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2026年3月26日 (木)

学習指導要領改訂(44)人は道徳的行為をどうやって習得していくのか?道徳科での学びは?

Q1.道徳的行為を人はどのように習得していくのかの命題に日本や世界の道徳学者はどういう回答をもっていますか?カッとなって叩く蹴る。それダメと分かってるけど、どうしていいかわからない。児童たちからそして大人から暴力でない様々な行為の提案があり、それらから児童が主体的に選ぶのは可なのでか?

 

Chat-GPT5.2
論点を二つに分けて見ます。まず「人は道徳的行為をどう身につけると考えられてきたか」、次に「暴力以外の行為を大人や子どもが出し合い、その中から子どもが選ぶ授業実践は妥当か」です。

 

いま見えている大枠はかなりはっきりしています。世界の議論は「規則理解」「習慣化」「対話による判断の発達」「関係性への配慮」「モデル学習」の5系統に整理でき、日本の道徳教育もかなりの部分でそれらと接続できます。

 

思考時間: 53s

はい、そのような進め方は基本的に可です。むしろ、現在の道徳教育の考え方から見ると、「暴力はだめ」とだけ教え込むより、暴力以外の具体的行為を複数出し合い、子どもが理由を考えて主体的に選ぶほうが、道徳的行為の習得に近いです。文科省も、道徳科では特定の価値観の押し付けや、主体性をもたず言われるままに行動するよう指導することは目指す方向の対極だと明記しています。加えて、「考える道徳」「議論する道徳」への転換を示しています。

 

その前提で、道徳学・道徳教育の大きな答えを整理すると、人が道徳的行為を身につける道筋については、だいたい次のような系譜があります。

 

1. 習慣によって身につく
アリストテレス以来の徳倫理学では、道徳は「知っていること」だけでは足りず、繰り返し実践して、感情や行為の型が整っていくことが重視されます。正しいことを知っていても、腹が立った瞬間に手が出るのは、判断と感情・行動がまだ結びついていないからで、徳は訓練・実践・習慣化で育つ、という見方です。

 

2. 発達に応じて判断のしかたが変わる
ピアジェやコールバーグの系譜では、道徳性は、最初は「怒られるからしない」から始まり、しだいに「みんなとの関係」「社会のルール」「より普遍的な原理」へと発達すると考えます。つまり、道徳的行為は罰回避だけでなく、理由づけの発達とともに深まる、という答えです。

 

3. 関係性やケアの中で身につく
キャロル・ギリガン以降は、道徳を「正義や規則」だけでなく、相手との関係、傷つけないこと、応答責任、ケアから捉える見方が強くなりました。暴力場面で言えば、「規則違反だからだめ」だけでなく、相手がどう傷つくか、自分と相手の関係をどう立て直すかを考えられることが重要になります。

 

4. モデルを見て学び、自己統制を育てる
社会的学習論では、人は説教だけでなく、身近な大人や仲間のふるまいを見て学ぶとされます。バンデューラはさらに、人は「だめと分かっていても」自分を正当化して逸脱行為に進むことがあると論じました。つまり、道徳的行為には、知識だけでなく、感情調整・自己統制・環境・手本が必要です。

 

5. 判断だけでなく、実行までに複数の力が要る
ジェームズ・レストの系統では、道徳的に行為するには少なくとも、①何が問題かに気づく、②何がよいか判断する、③それを優先する気持ちをもつ、④実行しきる、という複数の要素が必要だと整理されます。これは、まさにあなたの示した「叩く蹴るはダメと分かっているけど、どうしていいかわからない」を説明しやすい枠組みです。“分かる”と“できる”は別なのです。

 

日本の思想で近いものを挙げるなら、和辻哲郎は倫理を、人が孤立して守る規則ではなく、**人と人との「あいだ」**のあり方として捉えました。現代的に言い換えると、道徳的行為は「個人の内面だけ」で完結するのではなく、関係の中で自分を作り直していくことだ、と読むことができます。これは、暴力場面での道徳学習を、単なる禁止ではなく、関係修復や相互理解の学びとして扱う考え方と相性がよいです。

 

ここから、あなたの問いに直接答えると、
「児童や大人から暴力でない様々な行為の提案があり、それらから児童が主体的に選ぶ」のは可か
→ 可です。ただし条件つきで、かなり望ましい実践です。

 

条件は3つです。

 

第一に、どれを選んでもよい、ではなく、道徳的に許容できる選択肢群を教師が整えることです。
たとえば
「その場を離れる」
「深呼吸する」
「先生・友達に助けを求める」
「『今いやだった』と短く伝える」
「紙に書く」
「時間をおいて話す」
などは候補になります。
一方で、無視し続けて相手を孤立させる、SNSで言い返すなど、別の害を生む選択肢は、そのまま並列には置きにくいです。
つまり、主体的選択は“何でもあり”ではなく、非暴力・安全・他者尊重の枠内での選択です。

第二に、選ぶだけでなく、なぜそれを選ぶかを言語化させることです。
道徳的行為の習得は、単なる好みではなく、
「自分が落ち着ける」
「相手を傷つけにくい」
「あとで話し合いにつながる」
などの理由づけが伴って初めて深まります。これはコールバーグ的な判断の発達にも、ギリガン的な関係配慮にもつながります。

第三に、選択肢を実際に練習することです。
「叩かない」は知識ですが、
「怒りが10になった時に何をするか」は技能です。
なので、ロールプレイ、短いリハーサル、カード選択、事後ふり返りが必要です。アリストテレス的に言えば習慣化、バンデューラやレスト的に言えば実行可能性の支えです。

実践的には、あなたの問題意識に最も合う命題はこう表現できます。

道徳的行為は、禁止の理解だけでは習得されず、
非暴力的な代替行動を、対話の中で知り、理由を考え、選び、練習し、振り返ることで習得される。

この立場なら、
「叩く蹴るはダメ」
で終わらず、
「じゃあ、怒った時に自分はどうするか」
を子ども自身の課題にできます。これは現在の道徳科の「考え、議論する」方向とも整合的です。

ただし、一つ注意があります。
子どもに“選ばせる”こと自体が目的化すると、責任を子どもに丸投げする危険があります。暴力が出やすい子ほど、瞬間には選べません。ですから授業では
「選択肢を出す」
→「自分に合うものを一つ決める」
→「その場面を想定して練習する」
→「失敗した時のやり直し方も準備する」
という支援が必要です。
つまり、主体性は放任ではなく、支えられた自己決定です。

結論だけ言えば、あなたの考えは、かなり筋が通っています。
道徳的行為の習得は、“正解の注入”より、“非暴力的代替行動の共同生成と主体的選択”のほうが理論的にも教育実践的にも妥当です。
そして、その授業は道徳だけで完結するより、学級活動・SEL・心のサポート授業・日常の教師対応とつながると、さらに効果が出やすいです。

 

必要でしたら次に、この考えを「道徳の内容項目」と結びつけた授業案の形にしてお渡しします。

Q2.しかし、複数行為の提案・体験的学び・それが自分にとって合うのかどうか考える、行為と内面の往還授業の教材が道徳教科書に少ないのは、今の学習指導要領の特別の教科道徳の記述の追加改変が求められていると思うのですがどうですか?
文言改訂が必要かどうかは、学習指導要領そのものと、その解説・教材整備のどこに不足があるかを分けて見ると整理しやすいです。いま、現行の道徳科がどこまで許容していて、どこが弱いのかを公的文書ベースで確認します。

現行要領は、実はかなりそこまで書いています。弱いのは「やってよいか」よりも、「それが教科書・検定・配当・評価の設計に十分落ちていない」点かもしれません。最近の中教審系資料も少し確認します。

思考時間: 31s

 

はい、かなりその通りだと思います。
ただ、正確に言うと、私は 「全面改訂が不可欠」というより、現行の骨格は生かしつつ、学習指導要領本体・解説・教科書検定基準・教材整備の少なくともどこかを追加改変すべき段階に来ている と見ます。

理由は二つあります。

第一に、現行要領は、あなたの言う授業を禁止しているどころか、むしろ許容しています。
小学校・中学校の道徳科解説は、どちらも「問題解決的な学習」や「道徳的行為に関する体験的な学習等」を適切に取り入れることを明記し、それらの活動を通じて学んだ内容の意義を考えられるようにすることを求めています。さらに小学校解説は、道徳的価値のよさは理解できても「人間としての弱さ」があり実現が難しい場合に、自分の体験や感じ方を基に考え、友達との話合いで価値のよさや難しさを確かめる学習を例示しています。これはまさに、複数行為の提案、体験、自己適合の吟味、行為と内面の往還に近い発想です。

 

第二に、にもかかわらず、教科書や定番教材には、その方向が十分に“実装”されていないからです。
文科省の2016年整理案は、質の高い多様な指導方法の共有と改善が必要だとし、特に検定教科書には問題解決的な学習などの多様な工夫を生み出し支える内容を期待すると述べています。これは裏返すと、制度側も当初から、教科書がその役割を十分果たすかどうかを重要課題として見ていたということです。

なので、あなたの問題意識はかなり核心を突いています。
現行の道徳科は目標レベルでは「考え、議論する道徳」を掲げ、自己を見つめ、多面的・多角的に考え、主体的判断につなげることを重視しています。ところが教材レベルでは、実際にはまだ読み物中心・心情理解中心・価値の確認中心に寄りやすく、非暴力的な複数の代替行動を比較し、試し、自分に合う実行可能な行為を選ぶタイプの教材は厚くありません。ここに、制度文言と教材供給のズレがあります。

その意味で、私は次のように整理します。

 

1. 現行要領だけでも、かなりできる。
今の解説文でも、あなたの実践は十分に正当化できます。
「問題解決的な学習」「体験的な学習」「話合い」「自己との関わりで考える」「学んだ内容の意義を考える」という文言がすでにあります。したがって、現場実践としては、“要領にないからできない” ではありません。

2. しかし、現行文言では弱い部分がある。
弱いのは、あなたの言う

複数の代替行動を比較すること
自分に合う方法を選ぶこと
実行可能性まで見通すこと
行為と感情・身体反応・内面を往還すること
失敗した後のやり直しまで扱うこと
が、明示語としては薄い点です。
現行文書は「体験的」「問題解決的」とは書いていても、“代替行動の生成と選択” や “自己調整スキルとの接続” までは前面に出していません。

3. だから、次期改訂では“書き足す価値が大きい”。
ただし、2026年1月の文科省ワーキンググループ資料では、次期指導要領に向けては、道徳科の骨格である「考え、議論する道徳」は維持し、目標の記載も基本的に維持する方向が示されています。つまり、現時点の制度議論は、大改造より“実装の質向上”寄りです。
この流れを踏まえると、現実的には

学習指導要領本体への小幅な加筆
解説の具体化
教科書検定基準や編集方針の見直し
補助教材・モデル単元の整備
の組み合わせが有力です。

 

私なら、改訂要求はこう組み立てます。

主張の芯
「現行の道徳科は、自己を見つめ、多面的・多角的に考え、主体的判断につなげることを重視しているが、教材・授業実践においては、児童生徒が感情の高まりの場面で取り得る複数の非暴力的代替行動を比較・体験し、自分に適した行為を選択・省察する学びが十分に位置付いていない。したがって、特別の教科 道徳の記述には、そのような問題解決的・体験的・自己選択的学習を一層明確に位置付ける追加改変が必要である。」
この言い方なら、現行要領を否定しすぎず、不足点を具体化できます。

加筆するとしたら、文言の方向はたとえばこうです。

 

問題解決的な学習のところに
「児童生徒が、葛藤場面における複数の行為の在り方を比較し、理由を考え、自分にとって実行可能なよりよい行為を選択できるようにすること」
体験的な学習のところに
「感情の高まりや対人葛藤の場面において、非暴力的な表現や援助要請、距離の取り方などを体験的に学び、それらの意義と自分との関わりを省察すること」
評価・配慮事項に
「特定の行為を一律に求めるのではなく、児童生徒が複数の適切な行為の中から主体的に選択し、その理由や課題を考えられるようにすること」

こうした追記があると、あなたの言う**“行為と内面の往還授業”**が、教員個人の工夫ではなく、制度的に見えやすくなります。

要するに、私の答えはこうです。
現行指導要領は、あなたの目指す授業をすでにある程度は支えています。けれども、教科書の少なさが示すように、その支え方はまだ弱い。だから次期改訂では、少なくとも解説や検定基準レベルで、できれば要領文言にも、複数の代替行動の提案・体験・主体的選択・省察の往還をより明確に書き込む意義が大きい、です。

 

Q3.「例えば、カッとなったとき非暴力の行為を複数リストアップし模擬体験をする、そして、道徳的行為を主体的に判断し選び取り、生活場面で道徳的実践をする。」☚これは現行の学習指導要領でも「できる」しかし、教科書にはほとんど掲載されてない(全く掲載されていない)。この複数の行為は、小5と中1の保健にはリストアップされています。ここでQ.です。学習指導要領は、道徳科、保健と分けてますが、道徳科のなかで科学的な知識の提供はありですよね。それは道徳科の指導要領・解説に明記されていますか?

 

いまの焦点はかなり絞れています。論点は「道徳科で科学的知識を扱ってよいか」一般論ではなく、学習指導要領・解説にそれがどう書かれているかです。

 

思考時間: 1m 1s

 

はい。「道徳科の中で科学的な知識を提供すること」は、一定の範囲で可能です。
ただし、道徳科そのものが科学的知識を体系的に教える教科だ、と明記されているわけではありません。 位置づけとしては、道徳的諸価値の理解や多面的・多角的な思考を支える関連知識を扱うことはできるが、道徳科の中心は知識伝達ではなく、自己を見つめ、考えを深め、判断しようとする学習にある、という整理です。

 

根拠として、まず小学校道徳科解説は目標を、「道徳的諸価値についての理解を基に」自己を見つめ、多面的・多角的に考え、道徳的な判断力・心情・実践意欲と態度を育てることだと述べています。つまり、道徳科には「理解」は入っています。けれど同じ箇所で、道徳科は「単なる知的理解に終始」したり、「行為の仕方そのものを指導」したりする時間ではないとも明記しています。ここが大事で、知識提供は全面否定されていませんが、知識注入だけで終わる授業は道徳科の本旨ではないと読めます。

 

そのうえで解説は、問題解決的な学習や道徳的行為に関する体験的な学習を適切に取り入れること、さらに特別活動等の多様な実践活動や体験活動も道徳科の授業に生かすことを求めています。したがって、保健で扱う「怒り・不安・ストレス時の対処」の知見を、道徳科で関連知識として参照し、複数の非暴力的行為を考え、模擬体験し、主体的に選ぶこと自体は、現行解説と十分両立します。

 

さらに、解説には情報モラルや、小学校では社会の持続可能な発展などの現代的課題、中学校では科学技術の発展と生命倫理との関係の扱いにも留意することが書かれています。これは、道徳科が関連する事実・知見・社会的論点をまったく排除していないことの明確な証拠です。特に中学校解説で「科学技術の発展と生命倫理との関係」に触れているのは、科学的・社会的知見を材料に道徳的に考えることを想定していると読めます。

 

他方で、道徳科解説は同時に、特定の考え方に無批判に従わせるような指導であってはならないともしています。ですから、道徳科で科学的知識を扱うとしても、
「保健の知識をそのまま覚えさせる」
「この方法だけが正しいと一律に教える」
のではなく、
「こういう対処法があるという知識を手掛かりに、自分や相手、場面との関係で考える」
という使い方が適切です。

 

ご指摘の保健との関係で言えば、保健はむしろそこをはっきり“科学的理解”として扱う教科です。文科省の保健教育資料では、小5の「不安や悩みへの対処」、中1の「ストレスへの対処」について、具体的な対処を学習することが示され、近年はそれを**保健の「技能」**として位置づけていると整理されています。小学校保健の解説系資料でも、大人や友達に相談する、仲間と遊ぶ、運動するなど、いろいろな方法があることが示されています。

 

なので結論はこうです。

 

Q. 道徳科の中で科学的知識の提供はありか。
A. はい、ありです。 ただし、道徳科の主目的として明記されているのは「科学的知識の教授」ではなく、その知識も手掛かりにして道徳的価値を理解し、自己を見つめ、多面的・多角的に考え、主体的判断につなげることです。

言い換えると、

保健は「ストレスや怒りへの対処にはどんな方法があるか」を科学的・健康的知識として教える教科。
道徳科は、その知識も踏まえて「自分はどの行為を選ぶか」「相手を傷つけないとはどういうことか」「実際の生活でどう実践するか」を価値と生き方の問題として考える教科。

です。

したがって、あなたの構想、
「保健で示されている複数の対処法を道徳科でも参照し、非暴力の行為を複数リストアップし、模擬体験し、自分に合うものを主体的に選ぶ」
は、現行要領・解説に反しません。 むしろ、教科横断的にはかなり自然です。
ただし同時に、そのことが道徳教科書にほとんど載っていないなら、問題は「道徳科でやってはいけない」ことではなく、現行要領の許容範囲が教科書編集や検定で十分具体化されていないことにある、と言えます。

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