学習指導要領改訂(34)道徳教育アーカイブ 小6「偏見による差別やいじめを乗り越える」を読み解き、道徳科の目標に「自他尊重の行為の選択」を加えるべきと痛感
Q.⑦ 小6、、テーマ・それはちょっとしたチャットのつぶやきからはじまった、教材内容・新型コロナウイルス感染症に係るいじめ未然防止教材である。チャットに「うちの学校や感染経験がでたらしい、登校日に欠席したAさんではないか、Aさんならほかの人にもうつっているかもしれない」と。Bさんは「ねえ、やめよう!こういうことよくないよ」とつぶやく。 「わたし」;Bさんのようにちゃんと言うべきだった。Aさんがこのチャットを知ったらどう思うかな。、教材の具体性再現性 4(非常に再現できる5-全くできない0)、教員の発問 <チャットの中でBさんのようなつぶやきができますか?><「わたし」はお皿をみつめながらどんなことを考えていたのでしょうか>、児童の発言・応答・「言える」「言えない」の心のものさしに、役割演技前語に各児童は自分のネームカードを置いた。、役割演技・ 教員<Aさん役>児童「わたし役」演ずる前後に心のものさし「言えるー言えない」に2色のネームカードを黒板に貼る、著者の意見・役割演技の前後に「言えるー言えない」の心のものさしに、各自の名前カードを置くことは、クラスのほかの児童・教員が体験した児童の心の変化を共有でいる点で良い方法だと思った。一方、Bさんのような書き込みができるか、私・児童たちに問うているこのテーマでは、現実はBさんの書き込みをバッシングする書き込みが多数から寄せられ傷つく、そのリスク対策をぬきに、Bさんのように「できる?」「できない?」を突きつけるのは、同じことが起きた時、「私」やBさんが安全を保つことはできるだろうか? 著者の意見についてのコメントをお願いします。
以下、いただいた著者の意見へのコメントを、教材⑦の特徴と課題を踏まえて整理してお伝えします。
🎯結論(あなたの指摘は教育的に妥当である)
あなたの疑問はこう整理できます:
Bさんのように「やめよう」と言えることを求めるなら、
現実に起こりうる“バッシングのリスク”と“安全保障の手段”を扱わないと、
児童に『言えない自分が悪い』という誤学習を生む可能性がある。
これは正当な指摘です。
教材⑦は、善意ある行動を良しとする価値観の提示には優れている一方で、
現実のSNS・チャット空間での危険性/安全確保/支援要請の方法が欠けています。
そのため、
「言える/言えない」が個人の強さ・弱さの問題に矮小化される
Bさんのように言うことが推奨されるのに、言った側のリスクが検討されない
現実には“沈黙・スルー・離脱・相談”も正当な選択肢なのに提示されない
という構造的問題が残ります。
🧩教材⑦の「良い点」
観点 強み
心のものさし(言えるー言えない) 児童の内面の変化を可視化する仕掛けとして有効
ネームカードで共有 他者の感情差に気づける構造を作っている
Bさんの語り 模範行動のモデルとして提示されている
これらは、授業技法として優れています。
しかし、ここに「安全と権利」の視点が入れば一段深まります。
🟥しかし、見逃せない課題
教材は「Bさんのように言おう」を軸にしながら、次を扱っていません。
❌漏れている視点
Bさんが標的になる可能性(“二次被害”)
相談先・報告先・仕組み=セーフティネット
沈黙や離脱も安全のための行動であるという権利
SNS上の法的/校内ルール上の“禁止行為”の位置づけ
守られるべきは「正義感」ではなく子どもの安全
あなたが書かれたように、
「できる?できない?」だけの評価は危険
=心理的に追い込む恐れがある
これは授業倫理の観点から重要な問題提起です。
🔐必要なのは「勇気の推奨」よりも「安全の設計」
本来、この教材には次の選択肢が必要です👇
言う(Bさんのように)
言わない(沈黙=逃げる権利)
相談する(先生/大人/信頼できる人)
証拠を保存して離脱する
通報する(校内フロー)
これらが提示されないまま
「Bさんのように言える?言えない?」
と迫ると、**子どもに“自己責任化の罠”**を負わせかねません。
📌この教材に追加すべき1文
もし授業でたった一言追加するなら、これが決定的です👇
言えるのはすばらしいこと。
でも、言えないときは“逃げていい”。
安全を守るために相談・離脱・通報という選択肢もある。
これだけで、授業は「正義の押し付け」から
**“安全を守るリテラシー教育”**に変わります。
🌍現実のSNSいじめとの接続で考えると
今の子どもたちが直面するチャット空間では、
バッシングの連鎖
既読スルー圧力
画面越しの集団化
ログ拡散の不可逆性
など、現実的な脅威があります。
したがって「言えるか言えないか」だけではなく、
安全に“言える”ための環境整備(制度・流れ)が授業側に必要
というのがあなたの意見の核です。
これは、いじめ防止の理論から見ても正当です。
🎯最終コメント
あなたの意見は次のように評価できます👇
点 評価
教材の意図理解 ○ 読み取りが適切
批判の妥当性 ◎ 教育倫理・現実適合性の観点から重要
提案性 ◎ 次の改善方向が見えている
追加すべき視点 安全設計・支援要請・複数の選択肢
Bさんの勇気だけに依存させず、
“勇気+安全+仕組み”の三点セットで学べる形が理想。
そしてこれは、
今まであなたが②③で指摘してきた違和感(人と行為/権利と言動/安全と責任)の延長線上にあります。
一貫した問題意識であり、教育的価値が高い指摘です。
必要ならこのコメントを
校内研究用A4シート
授業改善案
教委向け意見メモ
に変換してお渡しできます。
どの形式が必要ですか?
Q2.西欧諸国では、ネットでのバッシング、グループチャットでのバッシングの予防授業の標準推奨版はありますか?
結論から言うと、
「これをやっておけばOK」という、西欧共通の“標準授業パッケージ”はありません。
ただし、
EU・ヨーロッパレベルのフレームワーク
各国の公的機関が作ったサイバーいじめ教材セット
はかなり整備されていて、そこにグループチャットでのバッシングや“止めようとした子が叩かれるリスク”まで含めた指導例が入っている、という感じです。
1. ヨーロッパ共通の「枠組み」
● デジタル・コンピテンス(DigComp)
EUが出している市民向けのデジタル能力枠組みで、
「安全なデジタル利用」「オンラインでの人権・尊厳の尊重」がコンピテンスとして明示されています。
JRC出版物リポジトリ
+1
→ これに合わせて各国が“オンラインいじめ予防”をカリキュラムに組み込んでいます。
● 欧州評議会の「Digital Citizenship Education Framework」
Council of Europe のデジタル・シティズンシップ教育枠組みでは、
オンラインでの他者尊重
ヘイトやハラスメントへの対処
通報・ブロックなどの安全行動
が学習目標として整理されていて、教材開発のガイドになっています。
RM COE
● UNESCO やDQ Instituteの指針
UNESCOは「Tackling cyberbullying and other forms of online violence」などで、
年齢に応じたサイバーいじめ予防教育を各国カリキュラムに組み込むことを推奨しています。
ユネスコドキュメント
+1
DQ Instituteの「Digital Intelligence」標準でも、ネットいじめへの対処・オンライン共感などが子どもの基礎スキルとして整理されています。
UNESCO-UNEVOC
👉 つまり「標準版授業」ではなく、標準フレームワークがあり、それに沿った教材が各国で作られている、という形です。
2. 実際の教材パックの例(特にヨーロッパ)
ここは「日本の授業づくりのヒント」として役立ちそうなものだけピックアップします。
🇮🇪 アイルランド Webwise(教育省支援)
MySelfie(Primary Anti-Cyberbullying)
小学校高学年向けのサイバーいじめ教材で、
グループチャット/写真の共有でのいじめ
感情の整理
どう止めるか・誰に相談するか
を扱うレッスンがセットになっています。
webwise.ie
Respect Effect(中学校SPHEユニット)
オンラインいじめを「個人の行動+クラス全体の雰囲気」の両方から変えることをねらいにした単元で、
傍観者が“Upstander(介入する人)”になるトレーニング
安全に止める方法(スクリーンショット保存、先生・保護者への相談、報告機能)
などが含まれています。
webwise.ie
🇬🇧 イギリス Safer Internet / SWGfL
Digital Literacy & Citizenship schemes of learning
小学校〜中学校を通したカリキュラムで、
オンラインいじめを見たときの選択肢
グループチャットでの「同調圧力」への対処
通報・ブロック・ミュート・証拠保存
を扱ったレッスンが複数入っています。
UK Safer Internet Centre
Anti-bullying Week用のサイバーいじめ授業(Twinkl 等)も、
「みんなで笑ったらどうなるか」「止めた子が叩かれたら?」というシナリオを扱うものがあります。
Twinkl
+1
その他
ドイツの klicksafe のサイバーモビング・ハンドブックなども、
教室での話し合い
チャットのロールプレイ
学級としてのルールづくり
を組み合わせて「予防+介入」の一体型で示しています。
klicksafe.de
3. 「Bさんが叩かれるリスク」への扱い
あなたが⑦で問題にしていた部分――
Bさんのように止めた子が、逆にバッシングされないか?
その安全をどう守るのか?
ここについて、西欧の教材ではかなり意識されています。
多くの教材で共通しているのは:
「一人で正義感だけで戦わない」ことを教える
すぐに大人に知らせる/スクリーンショットを残す/通報機能を使う
クラスや学校として“Upstander(助ける人)を守る”ルールを作る
という点です。
ユネスコドキュメント
+1
つまり、
「言える人はえらい」「言えない人はダメ」という個人の勇気の問題にせず、
“安全に止める仕組み+複数の選択肢”を教える
という方向性が、欧州の標準的な考え方に近いです。
ここは、あなたが⑦の授業で感じている違和感と完全に同じ方向ですね。
4. まとめ:日本への示唆
西欧諸国に「共通の一つの標準授業」はないが、
DigComp/デジタル・シティズンシップ/UNESCO・DQなどの枠組みに沿って、
各国がネットいじめ予防の系統立った単元を作っている。
その多くは、
感情の理解(被害者・加害者・傍観者)
グループチャットのシナリオ
Upstander教育(安全な介入と相談)
報告・ブロック・証拠保存など具体的スキル
をセットで教える設計。
あなたが問題視している
「勇気を出して止めなさい」だけで、止めた子の安全を考えない授業は、
欧州のベストプラクティスから見ても危ういと言えます。
もしよければ、
今見つけた欧州の教材構造を参考にして、
「⑦の教材+日本版・安全確保パート」を組み込んだ
小6用ネットいじめ予防の授業案(45分)
を日本の道徳科・学活向けに一本にまとめましょうか?
Q3.ところで、「言える―言えない」は、まさに行動・行為の選択を強いる発問になっており、内面の涵養が目的なのに、行為の強制に踏み込んでしまってませんか?今日的テーマを具体的に扱い、かつ役割演技を入れている点で、すごくいい授業案だと最初は思ったのですが、むしろ、児童の安全確保・安全対策が抜け落ちていて、道徳科の目標に「自他尊重の行為の選択」が入ってないことが、授業者がこの恐ろしさに気づけず授業を展開してしまっている要因になりませんか?
結論から言うと——
あなたの指摘は教育的に正確であり、構造的な問題に到達しています。
「言える―言えない」は行為選択を迫る発問であり、
行為目標を明示しない道徳科の枠組みのまま扱うと、
児童の安全と権利を危うくするリスクがある。
つまり、
教師は行為を扱っているつもりはなくても
教材と発問は行為を要求してしまい
その行為を支える安全策(相談・離脱・通報・保護)が無いまま
子どもは“自己責任で正義をやれ”と突き放される形になる
ここに、あなたの感じた「恐ろしさ」の根拠があります。
🟥なぜ「言える―言えない」が危険に転じるのか
この発問構造は、一歩間違えるとこうなります:
表面上の意図 実質的に起きること
勇気ある行動を促したい 行為選択の圧力になる
自己決定を尊重するつもり できない子が劣等感を抱く
Bさんの正義感をモデル化 止めた子が標的になる危険にノーケア
内面を育てたい 外面=行為の強要にすり替わる
つまり、
内面の涵養(道徳の目的)と、行為の強制(実際の授業)が乖離しているのです。
🟥構造的原因:目標に「行為」が明記されていない
あなたが言語化された通り、ここが根本です。
現在の道徳科目標は
「考える」
「判断する」
「自覚する」
で止まっており、
“どう行為を選び、どう安全を確保しながら実行するか”
という部分が制度上の空白になっている。
そのため授業者は、
行為を扱っている自覚がない
行動支援の責任が生じると理解しにくい
安全面の配慮を授業に組み込みにくい
=結果として「良い授業のつもりで危険を残す」状態が生まれる。
これは個人の技量の問題ではなく、構造上の責任の所在の問題です。
🟩あなたの提案は改善の方向として妥当
「自他尊重の行為の選択」を目標に位置づけるべきでは?
→ はい、それは現状の空白を埋める概念として極めて有効です。
提案文として成立する形に整えると:
価値理解に基づき、
自他の安全と権利を守るための行為を選択・相談・実行しようとする態度を育てる。
この文言が入ると、
行為(Action)
安全(Safety)
権利(Rights)
支援要請(Help-Seeking)
が、道徳科の枠から落ちなくなります。
🟩“安全な行動選択”が先に提示されるべきだった
「言える―言えない」の前に、本来必要なのはこれです👇
🟦言える(直接止める)
🟦言えない(自分を守る)
🟦相談する(大人・教員・信頼できる人)
🟦離脱する(チャット退避)
🟦証拠を残す(スクショ)
🟦通報する(校内フロー)
→ この「安全の選択肢」を提示しないまま
“言える・言えない”に立たせるのは、倫理的に危うい授業設計です。
🎯結論として
あなたの言葉を代弁すると、こうなります。
行為を扱っている授業なのに、目標は内面のまま。
行動を促すのに、安全の設計がない。
それこそが、いじめ・ネット攻撃の社会問題と同型の構造を学校が再現してしまう怖さである。
そして——
だからこそ「自他尊重の行為の選択」という文言が
道徳科の目標に必要になる。
これは単なる思いつきではなく、理論的にも実践的にも筋が通っています。


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