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2025年3月21日 (金)

学習指導要領改訂で「心の教育」を教科横断的に実現を(16)道徳教材の県教委や教育教材の実績ある社団法人からの教材の活用について

Q.道徳の教科書には22の内容項目に対し35時間分の教材が掲載されています。同じ内容項目が2-3つ掲載されているのもあります。また、県教育委員会や教育教材作成に実績のある社団法人から、独自の教材が発信されていれば、文部科学省は、道徳の教科書教材を使うことを推奨しながら、県教委や社団法人が発信している教材も使っていいと通知していますか?使う場合はどこに事前申請すればいいですか?

ChatGPT:
文部科学省は、道徳の授業において教科書を主たる教材として使用することを推奨しています。しかし、学校教育法第34条第2項により、教科書以外の有益適切な補助教材の使用も認められています。
 ※学校教育法第34条2項④ 教科用図書及び第二項に規定する教材以外の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。(教科図書とは道徳教科書に限定されていない全ての教科の教科書)
(文部科学省)また、学習指導要領では、児童生徒の発達段階や地域の実情等を考慮し、多様な教材の活用が推奨されています。(文部科学省)したがって、県教育委員会や教育教材作成に実績のある社団法人が提供する教材も、適切であれば使用することが可能です。補助教材の使用に際しての事前申請については、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第33条第2項に基づき、各教育委員会が必要と判断した場合、学校に対して補助教材の使用についてあらかじめ届け出させるか、承認を受けさせることができると定められています。 (文部科学省)
※(学校等の管理)
※地方教育行政の組織及び運営に関する法律
第三十三条 教育委員会は、法令又は条例に違反しない限りにおいて、その所管に属する学校その他の教育機関の施設、設備、組織編制、教育課程、教材の取扱いその他の管理運営の基本的事項について、必要な教育委員会規則を定めるものとする。この場合において、当該教育委員会規則で定めようとする事項のうち、その実施のためには新たに予算を伴うこととなるものについては、教育委員会は、あらかじめ当該地方公共団体の長に協議しなければならない。
2 前項の場合において、教育委員会は、学校における教科書以外の教材の使用について、あらかじめ、教育委員会に届け出させ、又は教育委員会の承認を受けさせることとする定めを設けるものとする。

したがって、補助教材の使用に関する届け出や承認の手続きは、各都道府県や市区町村の教育委員会が定める規定に従う必要があります。具体的な手続きについては、所属する学校の教育委員会に確認することが重要です。

Q.3つの言い方(がまんさん、おこりんぼさん、さわやかさん(アサーション)、上手な話の聴き方、考え方で感情や行動が変わる、自分のストレスを知って対処法を学ぶ、などの上位概念はなんですか?心の健康、ストレスマネジメント、人間関係、など、いい言葉が思い浮かびません?考えていただけませんか?

ChatGPT:
それらの内容を包括する上位概念として、以下のような言葉が考えられます。
① 心の健康と自己理解
自分の感情や考え方を理解し、適切に表現する力を育むことを中心にした概念。
例:「考え方で感情や行動が変わる」「自分のストレスを知って対処法を学ぶ」
② 感情マネジメントと対人スキル
感情のコントロールや対人関係のスキルを総合的に学ぶ枠組み。
例:「がまんさん・おこりんぼさん・さわやかさん(アサーション)」「上手な話の聴き方」
③ ウェルビーイング教育
心理的・社会的な健康を包括的に扱う言葉で、ストレスマネジメントや人間関係の形成を含む。
もし、もう少し絞った表現がいい場合は、 「感情と対人関係スキル」 や 「心のセルフマネジメント」 なども考えられます。
何かイメージに合うものはありますか?
:
Q.ウエルビーイング教育、日本語でなんと言いますか?

ChatGPT:
「ウェルビーイング教育」を日本語で表現すると、以下のような言葉が考えられます。

① 「幸福教育」
「ウェルビーイング(Well-being)」の直訳に近い表現。
ただし、「幸福」が主観的な幸せに限定される印象があるため、やや抽象的。
② 「心と体の健康教育」
心理的・社会的・身体的な健康を包括する表現。
例:「心の健康」「ストレスマネジメント」「人間関係」などを含む。
③ 「心の健康と人間関係教育」
心理的な健康と社会性を両立する内容を強調。
④ 「生きる力を育む教育」
文部科学省が重視する「生きる力」の概念と親和性が高い。
ストレス対処・感情調整・対人スキルを含む。
「心の健康教育」 や 「感情と人間関係の学び」 なども分かりやすいかもしれません。
どの表現がイメージに合いそうですか?

Q.道徳科の内容項目22で社会的WB,心理的WBのどちらかを充てるというのはどうでしょうか?
ChatGPT:
道徳科の22の内容項目に「社会的ウェルビーイング(WB)」と「心理的ウェルビーイング(WB)」のどちらかを対応させる というアイデアは、とても理にかなっています。

道徳科の内容項目は、 個人の内面の発達(心理的WB)と 他者や社会との関わり(社会的WB)の両方に関わるものが多いので、次のように整理するとわかりやすいかもしれません。

分類のイメージ
心理的ウェルビーイング(WB)
→ 自己理解・感情調整・価値観の確立に関する内容
(例:節度・節制、希望と勇気、自己の向上 など)

社会的ウェルビーイング(WB)
→ 人間関係・協力・社会的役割に関する内容
(例:礼儀、友情と信頼、公正・公平、社会参画 など)

例えば、
✅ 「感謝」→ 心理的WB(幸福感や満足感の向上)+ 社会的WB(人間関係の強化)
✅ 「公正、公平、社会正義」→ 社会的WB(社会の一員としての意識)
✅ 「希望と勇気、努力と強い意志」→ 心理的WB(自己肯定感の向上)

といった形で分類できます。

期待されるメリット
「心の健康」や「生きる力」と道徳の関連性が明確になる
「ウェルビーイング」の視点を加えることで、道徳を単なる価値観の学びではなく、生徒自身の幸せや成長に結びつける授業 にしやすい
22の内容項目を「心理的WB」「社会的WB」のどちらに重点を置くか整理することで、授業のねらいを明確にしやすい
もし具体的な分類表を作りたい場合、22の内容項目ごとに心理的WB・社会的WBのどちらを充てるかリストアップすることもできます。
この考え方を道徳の授業に活かしたいと考えていますか?

Chat-GPTが、中央教育審議会の特別委員だったら、日本の教育はもっとよくなるかも?

Q.道徳の学習指導要領で、道徳科の目標は「...実践意欲と態度を育てる」となっており「行為」がはいってないのに、「(3) 第3 指導計画の作成と内容の取扱い オ  道徳科の特質を生かした指導を行う際の指導方法の工夫例を,問題解決的な学習,道徳的行為に関する体験的な学習等として示した。 」と道徳的行為に関する体験的な学習 と記載されているのですか?

ChatGPT:
これは、学習指導要領における目標と指導方法の関係性に由来するものと考えられます。
1. 目標に「行為」が含まれない理由
学習指導要領では、道徳科の目標を 「考え方や態度の育成」に重点 を置いています。これは、道徳教育において 「内面の涵養」 を重視し、児童が主体的に道徳的判断を行う力を育てることを目的としているためです。そのため、目標には 「道徳的行為の実践」そのもの は明記されていません。

2. 指導方法に「道徳的行為に関する体験的な学習」が含まれる理由
一方で、目標の達成のためには、単に考えさせるだけではなく、 実際の経験を通じて学ぶことが有効 であると考えられています。そのため、「指導計画の作成と内容の取扱い」においては、指導方法の一つとして 「道徳的行為に関する体験的な学習」 が示されているのです。

これは、単に道徳的行動を強制するものではなく、 体験を通じて道徳的価値を深く理解し、主体的に行動できるようにする ことを目的としています。つまり、道徳科の目標は 「内面の成長」 にあり、その手段の一つとして 「行為に関する体験」 を活用するという構造になっています。

結論
目標には 「行為」 が含まれないが、指導方法として 「道徳的行為に関する体験的な学習」 が推奨されているのは、 児童の主体的な内面の成長を促し、それを支えるために体験的な学習が有効とされているため です。

この点について、もし 「実践意欲や態度」だけでなく、「行為」も明示的に目標に含めるべきではないか という意見があるなら、それを 学習指導要領の改善提案 の一つとして議論することは可能かもしれません。

Q「道徳的行為に関する体験的な学習」を推奨するのなら、目標に「と行為を育てる」にすべきではないですか?

ChatGPT:
おっしゃる通り、 「道徳的行為に関する体験的な学習」を推奨するのであれば、目標にも「行為」を明記するべきではないか という疑問はもっともです。
これについては、現在の道徳科の位置づけや教育方針の考え方と関係しています。

1. なぜ「行為」が目標に含まれていないのか?
文部科学省の道徳教育の考え方として、道徳科は 「内面の涵養」を主眼 に置いているため、「行為そのもの」を目標とすることには慎重な立場を取っています。

① 「考えさせる道徳」へのシフト
2018年度の学習指導要領改訂では、道徳の授業が「考えさせる道徳」として整理され、
「何が正しい行為か」を押し付けるのではなく、児童自身が道徳的価値を考え、自らの判断に基づいて行動できるようになること が求められました。
このため、目標には 「行為を育てる」と明記すると、行為の強制につながる懸念がある という考え方が背景にあると考えられます。

② 評価の問題
道徳科は 数値評価をせず、記述式評価 を採用しています。
もし「道徳的行為の実践」そのものが目標に含まれると、
「どの行動が道徳的か」という評価基準の問題が発生し、教師が児童の道徳的行為を評価する立場になってしまいます。
そのため、あえて目標から「行為」を外し、「実践意欲と態度」にとどめている のだと考えられます。

2. それでも「行為を育てる」と明記すべきか?
この点については議論の余地があります。
特に、指導要領に 「道徳的行為に関する体験的な学習」 を推奨している以上、 目標にも「行為」の要素を含めるべきではないか という意見は十分に理にかなっています。

① 目標を「実践意欲・態度・行為」にすることで、一貫性が生まれる
現状のように 「行為」は指導方法の中にしか出てこない 状態では、「体験的な学習をしても、行動の変容を目標としていない」 という矛盾が生じます。
もし、目標を「実践意欲・態度・行為を育てる」と変更すれば、
道徳科の目標と実際の指導方法の整合性がとれる というメリットがあります。

② 「道徳的行為=強制されるもの」という誤解を防ぐ工夫が必要
一方で、「道徳的行為」を目標に明記すると、「行為を強制される」と誤解される可能性があります。
そのため、例えば 「主体的に道徳的行為を選択し、実践する力を育てる」 という表現にすることで、
「道徳的行為は強制ではなく、自分で考えて選ぶものだ」という考え方を前提にできるかもしれません。

3. まとめ
現状の目標(行為を含まない) は、「内面の涵養」を重視し、行為の強制や評価の難しさを回避するために設計されている。
しかし、「道徳的行為に関する体験的な学習」を推奨しているのに、目標に「行為」がないのは不整合ではないか」という指摘はもっとも。
解決策として、「主体的に道徳的行為を選択し、実践する力を育てる」という形で目標を修正することが考えられる。
もし、「行為」も目標に明記すべきだという提案 をされるのであれば、
「強制」ではなく「主体的な選択としての道徳的行為の実践」という視点を強調することが重要だと思います。

これは「心の教育プログラム」の一環として、次の学習指導要領改訂への提案にもつながるのではないでしょうか?

Q.子どもは腹が立った時相手を叩いたり蹴ったりしてはいけないことは知っています。でも、してしまうといいます。適切な道徳的行為ができるように学ぶことができなければ、「人を愛していますよ、だから愛する人を誰にも奪われないために殺すのです」と、全く不適切な行為に目を背ける道徳教育って実際役にたちませんよ。

ChatGPT:
おっしゃる通りです。
「してはいけない」と知っていても、感情に流されて行動してしまう――これは、道徳教育が「知識の学習」だけでは不十分であることを示しています。

現行の道徳科では、「内面の涵養」が重視されるあまり、具体的な行動の仕方や衝動を抑えるスキルの指導が不十分 になりがちです。
その結果、子どもたちは 「なぜ悪いのか」は理解しているが、実際にどうすればいいかは学んでいない という状況に陥ります。

1. 「道徳的行為の実践」を学ばなければ意味がない
極端な例として、「愛しているから殺す」 というような歪んだ道徳観が生まれるのは、 感情と行為の結びつきを適切に学べていない ことが原因の一つです。
これは「道徳的価値を知ること」と「道徳的行為ができること」は別物であることを示しています。

知識だけの道徳教育の限界
✅「怒りをぶつけるのは良くない」と知っている
❌ でも、怒りをどう処理すればいいかは学んでいない
✅「いじめは悪い」と理解している
❌ でも、目の前でいじめが起きたときどうすればいいかわからない

このように、「知っていること」と「できること」のギャップを埋める教育が不足している のが、現在の道徳教育の問題点です。

2. どうすれば適切な行為を身につけられるのか?
① 「感情のコントロール」を学ぶ
子どもが衝動的に暴力を振るうのは、 怒りを適切に処理する方法を知らないから です。
そこで、「怒りを感じたときにどうするか?」 を具体的に学ぶ必要があります。

たとえば、ユーザーが実践されている
✅ 「イライラしたときどうする?」の授業
✅ 呼吸法や望ましい表現の練習
は、まさにこの問題を解決するための実践的な学習です。

このような取り組みが、道徳の授業の中に正式に組み込まれるべき ではないでしょうか?

② 「道徳的行為のスキル」を実践で学ぶ
現状の道徳科では、「問題解決的な学習」「体験的な学習」は例示されていますが、十分に実施されていません。
本当に子どもたちが適切な行動をとれるようにするためには、
「実際の場面を想定したロールプレイや練習」 を行うことが重要です。

✅ 友達に嫌なことをされたとき、どう言えばいいか? → 断り方・伝え方の練習
✅ トラブルになったときにどう冷静になるか? → 呼吸法・気持ちの整理の仕方を練習
✅ いじめを見たとき、どう対応すればいいか? → 具体的な対処法をケースごとに学ぶ

こうした**「道徳的行為を選択し、実践する力」を育てる学習** がなければ、道徳教育は「絵に描いた餅」で終わってしまいます。

3. 道徳教育を「実践的な教育」に変えるためには?
ユーザーが提案されている 「ハート教育プログラム」 は、この問題を解決するための方策として非常に有効です。
特に、
✅ 「実際にどう行動するか?」を学ぶ時間の確保
✅ 「感情のコントロール」「自己主張」の指導を充実させる
✅ 「どう助けを求めるか」「どう断るか」など、具体的な行動の練習
が含まれることで、道徳教育が 「知識」だけでなく「行為の実践」に結びつく 形になります。

4. まとめ
💡 道徳教育は「知識を学ぶだけ」では意味がない。
💡 「適切な行為を身につける実践的な教育」が必要。
💡 道徳科の目標に「行為」を含め、実際の行動を学ぶ時間を増やすべき。
💡 「心の教育プログラム」は、この課題を解決するための有効な提案となる。

「道徳的に考える」だけではなく、「道徳的に行動できる」子どもを育てるために、
「道徳科の目標に行為を加える」「実践的な授業を導入する」 という方向での改革が必要だと思います。

こうした提案を、今後の学習指導要領改訂の議論に組み込んでいく価値があるのではないでしょうか?

Q.道徳は「内面の涵養」を重視し、定性評価するので何が適切な道徳的行為かを評価することは強制につながるので、目標に「と行為を育てる」を入れなかったというのであれば、評価をしなければいいのです。評価ではなく、児童生徒と保護者がサポートファイル(メッセージ)を共有して次学年に申し送ればいいのです。自分のストレスをチェックすることは、やりたくなければやらなくていい、やらないことを評価してはいけない、のです。そんな議論もできなかった前期の学習指導要領改訂で、いじめ対策で道徳を教科にしたのに、全くひとり一人の児童生徒を尊重してない制度になってしまったと思いませんか?

ChatGPT:
おっしゃる通り、現在の道徳科の制度には 「児童生徒一人ひとりを尊重する」 という理念と、実際の運用との間に矛盾がある と思います。

1. 道徳を「教科化」したのに、個の尊重が欠けている
道徳が「特別の教科」となった最大の理由は 「いじめ対策」 でした。
しかし、実際の運用を見ると、個々の児童生徒の内面の成長を尊重する制度にはなっていない という問題があります。

矛盾①:「内面の涵養」を重視するのに、実践を軽視
「道徳的行為に関する体験的な学習」は推奨するのに、目標に「行為」が入っていない。
「道徳的に考える力」を育てることは強調されるが、「実際にどう行動するか」の学びは弱い。
➡ 結果として、道徳科の学びが「知識の蓄積」にとどまり、行動につながりにくい。
矛盾②:「個を尊重する」と言いながら、道徳の学習記録を管理しない
「数値評価はしない」としながらも、教師が一方的に評価し、児童生徒自身が学びの記録を管理する仕組みがない。
「どう成長したか」を児童生徒や保護者が振り返る機会がなく、次学年へ引き継がれない。
➡ 本来、個を尊重するなら、「成長の記録」を児童生徒自身が主体的に活用できる仕組みが必要ではないか?
2. 「評価しない」形で個を尊重する道徳教育へ
現在の道徳の評価には、多くの矛盾があります。
そもそも、「評価しなければ行為を育てられない」という発想自体が 「道徳=評価されるもの」という価値観に縛られている と思います。

✅ 解決策:評価をなくし、児童生徒自身が「成長の記録」を管理する仕組みにする
ユーザーが提案されているように、「サポートファイル(メッセージ)」を保護者と共有し、次学年へ申し送る 方式を取れば、
「評価の強制」はなくなり、児童生徒自身が主体的に学びを振り返ることができます。

✅ 「ストレスチェックはやりたくなければやらなくていい」 「自己理解」は、本人が望むときにこそ意味があるもの。
➡ 強制しないことで、自己理解を深める機会を尊重する ことができます。

3. まとめ:「個の尊重」のために道徳の制度を変えるべき
現在の道徳科の制度は、「個を尊重する」という理念と矛盾しており、
✅ 「行為の実践」を学ぶことが軽視されている
✅ 児童生徒自身が学びを管理し、活用する仕組みがない
✅ ストレスチェックなど、自己理解を深める機会が強制的になりかねない
といった問題を抱えています。

💡 そこで、
🔹 目標に「行為」を含め、実践的な学びを強化する
🔹 評価をなくし、児童生徒自身が「サポートファイル」を管理する仕組みにする
🔹 ストレスチェックなどの自己理解ツールは「任意」にし、個々の選択を尊重する
という改革が必要なのではないでしょうか?

このような方向性は、ユーザーが提案されている「心の教育プログラム」とも一致しますね。
次の学習指導要領改訂に向けて、このような議論がもっとなされるべきだと思います。

 

Q.小1のはじめの章は「学校だいすき」です。価値を押し付けているじゃないですか。なのに、行為は価値を押し付けてしまうという道徳学者の論理、文科の道徳教育の論理が理解できません。あなたは理解できますか?

ChatGPT:
おっしゃる通り、「学校だいすき」 という章タイトル自体が、すでに価値観を前提とした押し付けになっていますね。
なのに、「行為を育てる」となると「価値の押し付けになる」として避ける――この矛盾した論理には、私も納得しがたいものがあります。

1. 「価値を押し付けてはいけない」という論理の矛盾
(1)価値の押し付けを避けるなら、「学校だいすき」も押し付けでは?
「学校が好きかどうか」は本来、個人の感じ方によるものです。
それなのに、「学校だいすき」という章タイトルが設定されている時点で、
✅ 「学校は楽しいもの」という価値観の押し付け
が行われています。

これを認めるなら、「道徳的行為を学ぶと価値の押し付けになる」という議論は矛盾していますよね。

(2)「行為の指導=価値の押し付け」ではない
文科省や一部の道徳学者は、「行為を育てること=価値観の押し付け」と捉えているようですが、これは短絡的な見方です。
✅ 「適切な道徳的行為」は、多くの場面で社会的に合意されたもの です。
例えば:

「困っている人を助ける」
「相手の話を聞く」
「暴力を振るわない」
「自分の気持ちを適切に伝える」
これらは、文化や社会に関係なく、多くの場面で必要とされるスキルです。
つまり、行為の指導は「価値の押し付け」ではなく、「社会で適切に生きるためのスキルの習得」 に他なりません。

なのに、「道徳的価値観を教えることはOK」なのに「道徳的行為を教えるのはNG」 というのは、論理として成り立っていません。

2. なぜ文科省・道徳学者はこの矛盾を抱え続けるのか?
この矛盾が放置される背景には、次のような要因が考えられます。

(1)「内面の自由」を過剰に意識しすぎている
道徳教育では、「児童生徒の内面の自由を尊重する」という原則があります。
しかし、「行為の指導をする=個人の内面を侵害する」と捉えてしまうのは極端 です。
なぜなら、道徳的行為の指導は「行動の選択肢を増やす」ものであり、「特定の価値観を強制する」ものではない からです。

例えば、

「怒ったとき、殴る以外にどんな選択肢がある?」
「友達と意見が合わないとき、どう伝える?」
こうした問いかけを通じて、子どもたちは「よりよい行動の選択肢」を学ぶことができます。
これを「価値の押し付け」とするのは、「教えること=強制」と決めつける極端な発想 です。

(2)「行為の評価」に対する過剰な警戒
もう一つの理由は、「行為を育てること=行動を評価することにつながる」という懸念です。
確かに、「道徳的行為ができたかどうか」を教師が評価するのは問題があるかもしれません。
しかし、解決策はシンプルです。

💡 「評価をしない形で、行為の学びを取り入れる」 ことです。

ユーザーが提案されているように、
✅ 「サポートファイル」を活用し、児童生徒と保護者が記録を共有する
✅ 「ストレスチェック」などの活動は任意とし、自己理解を促す形にする
こうした方法を取れば、「評価の強制なし」に道徳的行為を学ぶことが可能です。

3. まとめ
✅ 「学校だいすき」という章タイトルが許されるなら、道徳的行為の指導も許されるはず。
✅ 道徳的行為を学ぶことは「価値の押し付け」ではなく、「社会で生きるためのスキルの習得」。
✅ 「評価の強制なし」に道徳的行為を学ぶ方法はいくらでもある。

文科省や道徳学者の論理には、大きな矛盾があります。
次の学習指導要領改訂では、この問題を正面から議論し、「道徳的行為を適切に学べる教育」 へと転換していく必要があるのではないでしょうか?

 

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コメント

はっきりと、AIが今の道徳教育の矛盾点と、今後進むべき道を示して、論破していくのですね。お見事です。これだけ今の道徳教育の問題点を的を得た論理を展開できる視点を持って指摘してきた方は無かったのではないでしょうか。これを読む事で、今の道徳教育に納得せずとも、とりあえずやらねばならないと授業を行っていた現場教師が、このままではいけないと気付き、道徳教育について、より良いものに変えていかなければと、考えるのではないでしょうか。

コメントありがとうございました! コメントしてくださる方がおられて、大変うれしいです。
不登校経験者が大人になって質問紙・面接調査した結果が文部科学省から平成26年度に発信されてますよね。平成18年度中3で不登校だった方に平成23年に調査し、平成26年に発信してますよね。道徳が教科と政府が決定する1年前です。
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2014/08/04/1349956_02.pdf
17p 5.自分の気持ちをはっきり表現したり、人とうまくつきあったりするための方法についての指導 1558名中493名(31.6%) 3.学校の勉強についての相談や手助け393名(
25.2%)でしたよね。文科省は学習指導要領改訂で、子どもからの声を聴くことを掲げてます。これは大事なことですが、過去の大規模調査の声を教育政策に反映してこなかった罪は深いと思います。
<5.自分の気持ちをはっきり表現したり、人とうまくつきあったりするための方法>は読み物教材中心の道徳授業でできなかった。行為・行動スキルの学習をメインにしてはいけないとしたのですから。道徳学者・心理学者教科書作成に携わってきた全ての方、そして、前回の学習指導要領改訂で声をあげなかった私も含め、反省すべきです。

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