能登半島地震と心のケア(2)
文部科学省派遣のスクールカウンセラーとして、①2024年2月5日~9日、➁3月4日~8日、羽咋市にある国立能登青少年センターを宿泊地とし珠洲市へ約100Km、片道2時間40分~3時間半(渋滞で)を毎日、4人のチームでレンタカーを運転して、珠洲市の学校訪問をしました。亀裂がはいった道路を応急復旧しているため地面をみながら減速しなければ、ガタンと車がはねあがり、車の天井に頭を打つこと度々でした。能登半島の付け根の羽咋市から能登半島の先端に位置する珠洲市に向かうにつれ、倒壊した家屋が増えていきます。
阪神淡路大震災では、2階建ての1階がつぶれ2階が道路にせりだしている光景がいたるところでみられましたが、まったく同じ光景がみられました。ひとつ異なるのは、地面から突出したマンホールがいたるところにあることです。
<地下深くにある水などの「流体(液体と気体の総称)」が徐々に浅い所まで上昇し、断層は滑りやすくなっていた。さらに複数の断層が連動したことで、大地震となった可能性が指摘されている。>
上下水道が壊滅的に破壊され、その復旧は困難を極めている。この上下水道がなかなか復旧できないことが、家族や友人との離れ離れの生活を余儀なくされている一因になっていることを、児童生徒との個別面談で、ひしひしと感じた。
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