熊本地震と心のケア(25)地震ごっこの意味と対応
学校が再開され、学校で地震ごっこをする子どもがいて、そのことに教師はどう対応したらいいか困惑しているかもしれません。
Q1子どもが地震ごっこをするのですが、どうすればいいでしょう。
A1 少しほっとできるようになると、地震ごっこをはじめることがあります。危険でなければ、とめないで見守ってあげてください。子どもたちの遊びをみていると、地震のときの怖さを乗り越えようとするストーリーへと変わっていくこともあります。また、妙にあかるく元気に地震ごっこを繰り返し繰り返し続けることもあります。
命を脅かされる体験をトラウマ体験といいます。それは、記憶のされ方が、日常の体験とことなっていることがわかっています。比喩的にいいますと、<凍り付いた記憶の箱>といいます。少しほっとして安心できるようになると、記憶の箱の氷が溶けて、子どもであれば、地震ごっこをはじめることがあります。大人であれば、思い出して苦しくなりつらくなるというフラッシュバックという反応であらわれます。まるで、その記憶の箱にはいりこみ、そのときの恐怖を繰り返して表出しているのです。これは、むしろ、回復する過程の反応、当然の反応ととらえるといいでしょう。
ですから、<そんな不謹慎な遊びはやめなさい!>と叱ってはいけません。せっかく、こわかった体験を心のなかで整理をはじめようとしはじめたわけですから。
学校でそのような遊びを教師がみたなら、おそらく業間の休み時間などでしょう。机をがたがたさせて、「地震だー」と遊んでいるかもしれないですね。その遊びに、何人かいっしょに遊びだす子もいるかもしれないですし、嫌な顔をしてその遊びを無視しようとする子もいるかもしれません。
授業のはじまりに先生は、<さっき、地震だーって遊んでいる子がいましたね。あんな大変なことがあったあと、少しほっとすると、そんな遊びをしたくなることがあります。それはとても自然なことですよ。でも、そんな遊びはしたくないし、みたくもないなーという子もいます。ひとつの災害でも、感じ方がそれぞれ違います。それで、お互いを尊重して、外遊びをする、図書館で本を読む、教室で遊ぶといった工夫をしましょう!>といって、<じゃー背伸びをしましょう!肩を高くあげて、はい、ストン。落ちついて今度は授業に集中しましょう>と声をかけるのもいいでしょう。
ただ、危険な地震ごっこもあります。阪神淡路大震災のあと、机をつみ重ねて、がたがたと崩して、「地震だー」という遊びをしていた子どもたちがいました。そんなときは、<そんな遊びもしたくなるのは、わかるけど、それでけがしてはいけないよね>と気持ちを認めて、違った表現をうながすようにしましょう。
しかし、この遊びを繰り返し繰り返し行い続けるようであれば、<がんばって、遊んだね、すごいね、ちょっと休憩しようか>と、膝の上にだっこしてあげて、いっしょに、両手を伸びしたり、肩をぎゅーとあげてあげて、ストンと力をぬくのをお手伝いしてあげて、リラックス体験ができるようにしてあげてもいいでしょう。そうすると、その記憶の箱から離れて、少し落ち着いて、こわかったことを受けとめることができるようになります。
Q2 それでは、地震ごっこをさせる方がいいのでしょうか?
A2 いえ、地震ごっこに誘うのはよくありません。地震での体験は、自分が全く思い通りにならない、コントロールできない体験をしたわけです。大切なことは、自分はいろいろなことを自分で働きかけてコントロールできるよ、という体験です。やりたくない子どもに、地震ごっこをやらせようとすると、嫌な思いが残るだけです。それはトラウマ反応の「回避」(トラウマ体験とむすびついたすでに安全な刺激を避ける:”地震”という言葉を使うのをいやがる、”あのことは話たくない”など)を強めます。熊本地震の心のケアのニュースで、ある医師が「故郷のテーマで絵を描きましょう!」「家族であの日のことを語りあいましょう」というメッセージを流していますが、それは1995年当時は、デブリーフィングといって推奨された方法でしたが、2001年911テロ後、さまざまな研究から、国連の災害紛争後精神保健ガイドライン(IASC)でも、やってはいけないことと明記されています。
自分のペースで、語りたいときに、語れるようになっていくことを応援することが大切です。学校では、「先生あのね」「壁新聞」「3分作文」など日常生活体験を表現する機会があります。そこに、震災体験を描きたい・書きたい子どもが書いていき、それを教師やカウンセラーがしっかり受けとめる(<先生は〇〇と思ったよ>とキャッチボールする営み)ことが大切です。東日本大震災のときは、1学期の終わりころ、ぽつぽつと震災体験に関する表現がでてきたとある重災地区の教師は語っていました。もちろん、「震災体験に関することは一切話してはいけない、触れてはいけない」も誤りです。これも「回避」を強めてしまいます。
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