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2026年9月13日 (日)

自傷自殺の防止授業一SOS出しましょうの前に幼少期からイヤなこと言われた.された時の我慢はOX?

Q.文科やこども家庭庁は自殺防止にSOS出しましょうとメッセージを送っていますが、幼いころから、イヤなことしそうなときの我慢は〇でも、イヤなこと言われたされた時の我慢はどうかな?〇×△どれかな、と子どもに考える機会を設け、イヤなことされたとき、言い返す倍返し・叩いたりけったりするといったおこりんぼ対処か、がまん対処の2択ではない、自他尊重の言い方があることを例示し、自分はどう言いたいかを繰り返し、学年に応じた色んなテーマ(小5・6になれば、関係性いじめのテーマを)でロールプレイなどで行為のリハーサルを体験的に学ぶ授業を組んでいけば、不登校・いじめ・自傷・自殺の減少につながりませんかね?自殺自傷の少ない国の教育政策はこの仮説と一致してますか?異なりますか?

Chat-GPT はい、方向としてはかなり一致しています。ただし、「その教育をしている国ほど自殺が少ない」と単純に国別相関で証明できるところまでは来ていません。むしろ国際的なエビデンスを読むと、先生が考えておられる仮説は、現在の自殺予防を**「SOSを出す教育」から、もっと前段階の“日常の対人ストレスへの対処能力を育てる教育”へ広げる**考え方として非常に筋が通っています。

特に重要なのは、WHO/UNICEFの「Helping Adolescents Thrive」が、思春期のメンタルヘルス、自傷等の予防のための普遍的な心理社会的介入として、情動調整、ストレス対処、問題解決、対人関係スキルなどを位置づけ、**assertiveness(自分の考え・必要・希望を、明確かつ相手を尊重して伝える技能)**まで明示していることです。これは、「我慢か攻撃か」の二択ではなく「自他尊重の伝え方」を学ぶという先生の構想とほぼ重なります。

しかも、もっと直接的なエビデンスがあります。欧州10か国・168校・約1万1千人の15歳前後を対象としたSEYLE研究では、**Youth Aware of Mental Health(YAM)**という5時間程度の授業を行いました。これは知識を一方的に教える授業ではなく、生徒同士で「友人関係」「大人との関係」「ストレスの強い場面」などについて話し合い、ロールプレイで実際の対処を試すプログラムです。12か月後、新たな自殺企図は対照群1.51%に対しYAM群0.70%で、オッズ比0.45、重度の自殺念慮も約半分でした。

ここはかなり重要です。つまり、

「つらくなったらSOSを出しましょう」と教えるだけではなく、普段の対人葛藤場面を取り上げ、いくつかの対処方法を考え、言葉にして、ロールプレイで試す

という方法そのものに、自殺予防との直接的な実証研究があります。YAMの内容は先生がお考えの小学校低学年版とは異なりますが、教育原理はかなり近いです。

さらに、国の教育政策を見ると一致点があります。例えばノルウェーの全国教育課程には「Health and life skills(健康とライフスキル)」が横断的テーマとして位置づけられ、児童生徒が「自分の人生に影響する要因を理解し、働きかける」「考え・感情・人間関係を扱う」「自分の境界線を設定し、他者の境界線を尊重する」力を身につけることが明記されています。国語にも「感情、考え、経験を言葉で表現する能力」が人間関係を扱う基礎として位置づけられています。

しかもノルウェーでは就学前教育の段階から、幼稚園が「嫌がらせやいじめを防止する」「子どもがさまざまな相互作用、共同性、友情を試す安全な場となる」「困難への対処や、自他の感情を探索することを支援する」とされています。先生がおっしゃる「幼いころから」という発想ともかなり重なります。

フィンランドも、全国共通カリキュラムで教科横断的能力として「interaction and self-expression(相互作用と自己表現)」「taking care of oneself and managing daily life」を置き、児童の経験、感情、他者との相互作用を学習の基礎にしています。つまり「困ったら相談しましょう」という一点ではなく、日常の学校生活全体で対人・情動スキルを育てる構造です。

ただし、一点だけ慎重に言う必要があります。

「こういう教育をすると、不登校・いじめ・自傷・自殺が全部減る」と現段階で一括して断定することはできません。

自殺・自傷そのものをアウトカムにした学校介入研究をまとめた2024年Cochraneレビューは51研究を検討していますが、全体としてはエビデンスの確実性がまだ十分でない、としています。自殺・自傷は発生率が低いため非常に大規模かつ長期の研究が必要だからです。一方で、YAMのような有望な大規模試験があり、WHO自身も学校におけるメンタルヘルス教育+スキルトレーニングを自殺予防の選択肢として推奨しています。

したがって、私は先生の仮説を、次のように少し言い換えると研究的にも政策提言としても非常に強くなると思います。

「SOSの出し方教育」の前に、「SOSに至るまでの生活上のストレスにどう対処するか」を幼少期から系統的・体験的に学ぶ教育が必要である。

そして先生の「〇×△」は、低学年の入口として面白いと思います。

「自分が嫌なことをしそう。ちょっと我慢する」

→ 〇かもしれない。

「相手から嫌なことを言われた。ずっと黙って我慢する」

→ 本当に〇かな? △かもしれない。

そこから、

①やり返す・倍返しする

②黙って我慢する

だけではなく、

③自分も相手も大切にする言い方をする

④その場を離れる

⑤友達や大人に伝える

という「第三、第四、第五の選択肢」を増やしていく。

そして毎学年、

低学年なら「貸して」「やめて」「いれて」「今はいや」

→ 中学年なら仲間外れ、からかい、勝敗、LINE以前の集団関係

→ 小5・6なら無視、同調圧力、陰口、グループからの排除など関係性いじめ

→ 中学生ならSNS、恋愛、人間関係、失敗、孤立

→ 高校では強いストレス、喪失、希死念慮、援助要請

と、同じ「自他尊重・境界線・対処選択・援助要請」を発達に応じて螺旋状に深めていく。

この構造は、ノルウェーなどのlife skills教育、WHOのSEL/心理社会的介入、そしてYAMのロールプレイ型自殺予防とかなり整合します。

そして国際比較で一番注意したいのは、「自殺の少ない国」を一括りにしないことです。UNICEFの最新の比較でも、子どものメンタルウェルビーイングはオランダなどが上位ですが、日本は学力では上位でもメンタルウェルビーイングでは下位群です。一方、自殺率の推移は国によって上昇・低下が混在していて、単一の教育政策だけで説明できません。

ですから、政策提言としては、

「自殺率が低い国がやっているから導入する」

より、

「WHOが自傷・自殺予防のために推奨する心理社会的スキルの内容と一致し、実際にロールプレイ型の普遍的学校プログラムYAMでは自殺企図・重度自殺念慮の減少がRCTで確認されている。さらに複数国のナショナルカリキュラムでは、境界線・感情表現・対人関係・ライフスキルを幼少期から教育している。したがって日本でも、SOS教育だけでなく、その前段階に発達段階別の『自他尊重の対処行動を練習する教育』を配置する価値がある」

という論理のほうが、はるかに強いと思います。

これは、これまでお話しされてきた「心の健康教育」「生命の安全教育」「アサーション」「ストレスマネジメント」を、ばらばらの施策ではなく、小1〜高3の一本の発達的カリキュラムとして再構成できる考え方でもあります。

2026年9月11日 (金)

Kiva いじめ防止いじめ対応プログラムを調べる(1)日本で活用できるいじめ抑止・加害加担・傍観者意識・児童からみた教師のいじめ対応認知尺度について考える

Behav Sci (Basel). 2025 Feb 19;15(2):236. doi: 10.3390/bs15020236
Participants’ Roles in Bullying Among 7–11 Year Olds: Results from a UK-Wide Randomized Control Trial of the KiVa School-Based Program
Judy Hutchings 1,*, Ruth Pearson 1, Malavika Babu 2, Suzy Clarkson 1, Margiad Elen Williams 1, Julia R Badger 3, Rebecca Cannings-John 2, Richard P Hastings 4, Rachel Hayes 5, Lucy Bowes 6,7

 

 

本試験では15項目の自己申告版が使用されました。自己申告版では、文言や文言がアンケート回答者の行動のみを尋ねています。15項目それぞれが3ポイントのリッカート尺度で評価されます(0=全く、1=時々、2=頻繁に)。Stand Togetherトライアルのすべての質問に追加回答が追加され、倫理的承認のために学生が答えない選択肢が与えられました(3=言いたくありません)。
• いじめの尺度:「他の子どもをいじめる」「一緒に他の子どもをいじめる人にさせる」「いじめられた生徒をいつも新しい方法でイライラさせる」です。スコアが高いほど、いじめ行動の頻度が増える(ネガティブ)を示します。
• アシスタントスケール:「誰かがいじめを始めたら、私も加わる」「誰かが他の子どもをいじめているときは、そのいじめっ子を助ける」「誰かが他の子どもをいじめているときは、その子を捕まえることで助ける」などです。スコアが高いほど、アシスタントの行動がより頻繁であることを示します(ネガティブ)。
• 強化力尺度:「誰かがいじめられているときは、何が起きているのか見に行く」「いじめられているときは笑う」「いじめられているときは、その人に続けてやるように言う」などです。スコアが高いほど強化剤行動の頻度が高いことを示します(ネガティブ)。
• アウトサイダースケール:「他の人がいじめられているとき、私はそばにいる」「誰かがいじめられているときは、その現場から離れる」「いじめられている人がいるとき、いじめている側にも生徒側にもつかない」といった表現です。スコアが高いほど、外部の人間行動がより頻繁であることを示します(ポジティブ)。
• 防御者レベル:「誰かがいじめられているとき、いじめられている生徒を元気づけて先生に伝えるように言います」「いじめられているときはやめてほしい」「いじめっ子にやめさせる」「いじめっ子が他の人をいじめるのをやめさせようとする」得点が高いほど、守備的な行動がより頻繁であることを示します(ポジティブ)。
PRQは子どもたちが回答した一連の測定グループの一部として実施され、22項目からなるオルウェウスいじめ・被害者化質問票(OBVQ;Olweus, 2006)は、被害者化の減少に関する主要な仮説のデータを提供しました(Clarksonら、2022年参照;Bowesら、2024年)。

 

以下は、Chat-GPTとのやり取りの一部抜粋です。

 

Q.「PRQはもともと**peer nomination / peer report(仲間評定)**です。典型的な実施では、回答者にクラスメートの名簿を示し、「誰がいじめを始めるか」「誰が途中から加わるか」「誰が止めようとするか」などについて該当する児童を指名します。実際、PRQを用いた研究では、クラスメート全員の名前を質問紙に載せて評定する方式や、名簿から該当者を指名する方式が使われています。 」☚ソシオメトリーのような調査はできないですね。それと、私は記名式にして、研究者には名前はわからない、教師は誰が回答したかはわかる、これが一番現実的です。いじめ加害を申告している児童も助けを求めていると考えていいと思います。

 

A.(Chat-GPT)
はい、その考え方は非常に重要だと思います。ただし、研究としては 「加害を申告した=援助要請」と同一視せず、「援助ニーズを示す重要なシグナルになり得る」 と位置づけるのが安全です。
PRQ型のpeer nominationは、学校現場で日本版アセスメントとして運用するには難しい面があります。誰がBully、Assistant、Reinforcerかを同級生に指名させると、ソシオメトリーに近い倫理的・実務的問題が生じます。それに対して先生の方式は、自分自身の認知・感情・行動を答える自己評定なので、目的がかなり違います。
そして、先生がお考えの
児童は記名する → 担任は本人を把握できる → 研究者には匿名化されたIDデータだけ渡す
という方式には、「研究」と「学校教育上の支援」を両立させるという明確な利点があります。
特に、先生の尺度には「加害傾向」を単なる問題行動のスクリーニングとしてではなく、支援につなげる入口として扱える可能性があります。
例えば児童が、
「からかったり嫌なことを言うと、すっきりする」=3
「嫌なことをされたら、もっと嫌なことをしてやり返す」=3
と回答したとします。

 

これを「加害児童発見」とだけ解釈するのではなく、
「怒りやストレスを攻撃行動によって調整している可能性がある。別の対処方法を獲得する支援が必要かもしれない」
という支援仮説にできます。
一方、
「人が嫌なことをしていると、自分も一緒にする」=3
「自分だけ一緒にしないと仲間外れにされそう」=3
「いじめは許されない」=3
なら、これはまったく違います。
この児童には「いじめはいけない」と教えるより、被排除不安や同調圧力への対処、アサーション、安全な離脱方法を支援する方が合理的です。
ですから私は、先生のアセスメントの目的を、
「加害者を発見する尺度」ではなく、「いじめに関わる児童の援助ニーズを把握する尺度」
と明確にした方がよいと思います。
そして、ここには被害児童も当然入ります。
被害申告 → 被害児童への安全確保・援助
加害申告 → 加害行動の背景を確認し、行動変容を援助
加担申告 → 同調圧力・被排除不安等への援助
傍観申告 → Defender自己効力感・安全な援助方法の教育

 

という発想です。
これは「加害=処罰対象」というモデルから、**「加害行動も早期支援を必要とするサイン」**というモデルへの転換になります。
ただし、記名式にするなら一つ大きな研究上の課題があります。児童が
「これに3をつけたら先生に怒られるかもしれない」
と思った瞬間に、先生が最も知りたい加害傾向・被害者非難・報復・同調加担が過小申告されます。
したがって記名式を採るなら、教示が非常に重要です。例えば趣旨としては、
「このアンケートは、だれかを怒ったり罰したりするためのものではありません。みなさんが困っていることや、どうすればもっと過ごしやすいクラスになるかを先生たちが考えるためのものです。正直に答えてください。」
という枠組みが必要でしょう。
さらに重要なのは、「研究利用」と「教育・安全上の利用」を同意説明で明確に分けることです。研究者に渡すデータは匿名化していても、担任が氏名と回答を対応させられるなら、児童に対して「無記名」「匿名のアンケート」と説明することはできません。「学校では支援のため本人を確認できるが、研究者に渡す際には氏名を外す」という説明が正確です。
そして私は、先生の
「加害を申告している児童も助けを求めている」
という発想を、尺度の理念として残す価値があると思います。ただ論文では少し慎重に、
「自己の加害行動を申告する児童の回答を、処罰やラベリングの根拠としてではなく、行動の背景にある心理社会的要因を把握し、必要な支援につなげるためのシグナルとして位置づける」
とすると非常に通りがよいと思います。
そうすると、先生がこれまで作ってこられた尺度の名称も、単なる**「いじめ意識・行為尺度」より、将来的には「いじめリスク」だけでなく「援助ニーズ」**を前面に出した名称を検討する余地があります。これは先生の「アセスメント→学級授業→個別支援」という全体構想にもきれいにつながります。

2026年9月10日 (木)

不登校・いじめ(第3者委員会)暴力・自傷・自殺の増加の要因のひとつを推測する

不登校・いじめ(第3者委員会)暴力・自傷・自殺の増加の要因は複数あり、単一の要因ではない。しかし、2010年から2026年の間、2015年道徳の教科化は、少なくとも1つの要因であろう。
特別の教科道徳の学習指導要領では、道徳科(道徳授業)の目標を「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度」を育てる、とした。「」は内面であり、「行為・行動」は目標には、はいっていない。道徳授業では、主発問は、おのずと、内面に設定される。一方、指導計画と方法には、「児童の発達の段階や特性等を考慮し,指導のねらいに即して,問題解決的な学習,道徳的行為に関する体験的な学習等を適切に取り入れるなど,指導方法を工夫すること。」と記載された。そして、道徳教科書は、ほとんどが読み物教材で構成された。問題解決的な学習と体験的な学習を織り込んだ教科書は、8社のなかでも、日本文教出版、光村図書くらいで、それらも、読み物教材としての付録的な位置づけが多い。光村図書は、「教えてあげる・持ってあげる」(小3)など場面教材に役割演技が記載されているが、それらは例外的な少なさだ。
そして、学習指導要領改訂道徳WG第3回(2026年2月27日)では文部科学省提出資料に「いじめ防止に向けて道徳を教科にしたが、読み物教材の登場人物の心情理解に偏り『現実のいじめの問題に対応できていなかった』(資料40p)と発信した。その対策として、指導方法の改善として、指導計画と方法に記載の「問題解決的な学習と道徳的行為に関する体験的な学習」を工夫し、いじめに関する問題を自分自身のこととして、多面的・多角的に考えるとした。そして、道徳科の目標は変えないとの文科省提案を道徳WG委員は賛同した。

日本臨床心理士会は2025/5/15 学習指導要領「心の健康・心のサポート」の提言書を中教審企画特別部会宛てに会長名で提言した。
1.道徳科における「『心のサポート』の学び」の導入をお願いします
学習指導要領の道徳科の目標に「…道徳的な判断力、心情、実践意欲、態度と行為を育てる」と、「行
為」の文言を追加してください。また、以下の学習内容を含め、自他を尊重し、安全・安心な生活を築くた
めの適切な道徳的行為を育成する学びを実施できるようにしてください。
①自他尊重の言葉がけ(アサーション)や、上手な聴き方など、「自分の気持ちをはっきり表現し、人とうまく
つきあう方法」の学習(参考:文部科学省(2014):「不登校に関する実態調査」~平成18年度不登校生徒
に関する追跡調査報告書~より「5 中学校3年生時の支援のニーズ」【4】)(内容項目「相互理解と寛容」)
②いじめ被害や災害時後における適切なかかわり方の学習(内容項目:「希望と勇気、努力と強い意志」)
③怒り・悲しみ・恐怖などの感情に気づき自己コントロールできる体験的学習(内容項目:「節度・節制」)
④イライラやストレスの適切な行為を学び、短所を改め長所を伸ばす学習(内容項目:「個性の伸長」)
⑤「心のサポート」の学びを深めるため、学習指導要領に掲載された内容をもとに、担任や SC による道
徳・学級活動・総合的な学習の時間など授業枠で実施できるようにしてください。その実施にあたって
は児童生徒との個別面談を「教育相談週間」として学期に1回設けることが望ましいと考えます。

これに対して、x(twitter)には、ある影響力のある精神科医は「道徳に関わりたいんだ、とか思ってしまうな。「心のノート」以来(それ以前からだろうけど)の伝統かなあ。」とコメントが寄せられ、私は、これに対し、「〇〇先生、道徳科は自分の心の学びの要の授業です。年間35時間、道徳が教科になる前はストレスやアサーション等現場はクラスに応じて弾力的に道徳授業で取り入れていました。しかし、教科となりほぼ読み物教材で、UNESCO推奨の社会情動スキルもできません。いじめも自殺も道徳では防止できません。1/ 本来なら道徳の年間35時間を「心の教育」とし「道徳」と「私の健康」の時間をバランスよく割り当てる改訂が必要でしょうが、親部会の企画特別部会で、「全児童生徒へのいじめ・暴力・自傷・自殺防止の教育政策」の論議は皆無です。心の健康は保健体育の小5と中1の計7時間のみです。2/ 今の道徳教科書では、迷惑をかけることは「がまんする」と教えます。でも「イヤなこと言われてもがまんする」子が多いです。道徳教科書には「イヤなこと言われた時どうする?」の教材はほとんどありません。我慢コーピングで頑張ってきた子が思春期青年期にどうなるか〇〇先生は良くご存知ですよね。3/ と返信した。
小中学校で、「心のサポート授業」と称し、2011年東日本大震災以来、東日本大震災、熊本地震、胆振東部地震などの被災地の学校で、そして、世界的大災害であったコロナ災禍時後の学校で行ってきた。
自殺防止には文科省はSOS出し方教育を推奨して今日に至っています。ストレス対処としては、問題に立ち向かい対処(問題焦点型対処)、気もちについての対処(セルフケア対処)、そして相談対処(ソーシャルサポート)の3つがあり、SOS出し方教育は相談対処を軸にしています。毎日の心の天気をアプリで発信、リスクのある児童生徒を発見、教員に通知というハイリスク早期発見モデルを文科省は採用して今日に至っています。しかし、教員はハイリスクの児童生徒にどう声をかけますか?問題に立ち向かう対処、セルフケア対処を学ぶ機会がない教員に適切な対応を求めることは酷ではないですか?ではスクールカウンセラーにとなっても、週に1回しか来ない、小学校では月に1回か2回の人に対応は任せられませんよね。

今回の学習指導要領改訂に期待していましたが、このままでは、次の10年も、不登校・いじめ・暴力・自傷・自殺の問題を国民全体への意識改革は期待できそうにありません。しかし、文科省も、これらを減じてほしいとは切に願っていると思います。
できることをして、発信していくしかないと思っています。

2026年9月 6日 (日)

R9年度「考え議論する道徳」新規3億円事業は?

Q.文部科学省・道徳教育アーカイブ 道徳教育アーカイブ  は授業実践を集めたHpですね。R9年度の概算要求に、「考え議論する道徳」新規3億円が計上されています(直近の企画特別部会参考資料)。これも業者が道徳授業を取材して、道徳専門家が授業者にインタビューをするなどのものもあり、来年度も、ある業者が落札して、いじめ防止道徳授業などを掲載するのでしょうか?この3億円には、道徳授業がいじめ防止などに効果があるとのプロジェクト実践の公募ははいってますか?道徳授業実践の紹介だけではなく、教材開発も含まれていますか?公募されますか?

 

Chat-Gpt
最新の文科省一次資料を確認しました。結論からいうと、令和9年度の新規3億円は、従来の「道徳教育アーカイブに授業動画を追加する」だけの予算とは読めません。むしろ「実践事例を新たに創出する+有識者が自治体・学校に伴走する+成果を好事例として普及する」という事業に拡張する構想です。

一方で、現段階はまだ「概算要求」です。したがって、「いじめ防止の効果検証プロジェクトが公募される」「新教材開発が公募される」とまでは確定していません。 ここは重要です。

1.3億円について文科省が実際に書いていること

8月31日の教育課程企画特別部会の最新資料に、次のようにあります。

「次期学習指導要領を見据え、『考え、議論する道徳』の実装に向けた道徳教育の充実を図るため、実践事例を創出する。あわせて、自治体への有識者による指導・助言などの伴走支援を通じて、取組の質の向上と好事例の普及を推進する。」

そして事業名が、

「『考え、議論する道徳』の実装 3億円【新規】」

です。

文科省「令和9年度 教育課程関係概算要求主要事項」

これはかなり重要な表現です。

従来の令和7年度予算では、「道徳教育アーカイブの充実」は主として、授業動画などを発信して教師の授業改善を支援するものとして位置づけられていました。

 

令和9年度はそれより一歩前に出て、

実践を探して撮影する
→ ではなく
実践そのものを「創出」する
→ 有識者が伴走する
→ 質を高める
→ 好事例として全国普及する

という書き方になっています。

これは、先生が考えておられるような**「研究者+教育委員会+学校によるプロジェクト型の実践研究」**が入り得る表現です。

 

2.「いじめ防止に効果がある道徳授業」の実証は入るのか

ここは「可能性は十分ある。しかし現時点では確定していない」が正確です。

そもそも文科省は道徳教育について、いじめへの対応を重要な政策目的として位置づけています。道徳教育アーカイブの公式説明にも、道徳科への改正で「いじめの問題への対応の充実」を図ったことが明記され、専用ページとして「いじめの問題に正面から向き合う道徳教育の展開」も置かれています。

さらに興味深いのは、令和7年度概算要求資料です。

文科省自身が、

「道徳科」と「特別活動」でのいじめ未然防止の取組の充実と児童の受け止めには相関がみられる

ことを、道徳教育充実の政策根拠の一つとして挙げています。

ですから、

「考え、議論する道徳によるいじめ未然防止の授業モデルを開発し、複数校で実践し、児童生徒の変化を測定して効果を検証し、モデル授業として全国に普及する」

というプロジェクトは、今回の3億円事業の政策目的とかなり整合します。

ただし、現在公開されている概算要求資料には、まだ「いじめ防止モデル校○校」「効果検証○件」といった具体的な公募枠は示されていません。

 

3.では「教材開発」は含まれるのか

ここは少し慎重に見る必要があります。

現在の道徳教育アーカイブには、既存教科書教材を使った授業だけではありません。

実際、2026年収録の中学校3年生の事例には、

教材名:「あと一勝の記憶(授業者自作教材)」

という実践があります。つまり、自作教材を用いた道徳授業そのものが文科省アーカイブの対象になっています。

また現在のアーカイブは、「授業映像+授業者インタビュー」だけでなく、指導案や教育委員会作成資料なども掲載しています。

したがって、

新しい教材を開発 → 授業実践 → 有識者による助言 → 改善 → 成果を道徳教育アーカイブ等で全国展開

という形は十分考えられます。

ただし、令和9年度概算要求資料そのものには、情報教育の事業のように明確な**「教材を開発する」**という表現は、道徳3億円の説明にはまだ出ていません。

これは重要な違いです。

例えば同じ概算要求資料の情報教育では、明確に「学習者用教材を開発する」「実証校において開発教材及び授業等の実践・検証」と書かれています。

道徳については現段階では**「実践事例を創出する」**です。

したがって私は、

○ 授業実践の開発――かなり明確に対象
○ 有識者による授業改善――明確に対象
○ 好事例の全国普及――明確に対象
△ 新規教材の開発――含められる可能性は高いが、現資料だけでは断定できない
△ 効果測定・実証研究――十分考えられるが、現資料だけでは断定できない

と読みます。

 

4.「業者が落札して、授業を撮影する」のか

これも、私はそれだけではない可能性が高いと見ています。

現在の道徳教育アーカイブは実際に、全国の授業映像を収録し、授業者インタビューを制作しています。2025~26年にも多数追加されています。

ですから令和9年度も、民間事業者が

事務局運営・学校との調整・撮影・編集・Web掲載・有識者との調整

などを受託する可能性は高いでしょう。

しかし、今回の3億円は**「実践事例を創出」「自治体への有識者による指導・助言などの伴走支援」**となっています。

したがって、例えば、

文科省

事務局(民間事業者等)
↓
教育委員会・学校・有識者
↓
モデル実践を開発
↓
実践・改善・検証
↓
優れた実践を撮影
↓
道徳教育アーカイブ等で全国展開

 

という形になる可能性があります。

この場合、3億円全部を一社が「HP制作費」として受け取るという意味ではありません。 事務局事業者から自治体・学校・有識者等への事業費、謝金等が出る方式や、複数の公募・委託に分かれる可能性もあります。

 

5.そして、先生の問題意識にかなり関係するところです

もし公募要領が、

「次期学習指導要領を見据え、『考え、議論する道徳』の実装に資する実践事例を創出する」

という形で出れば、例えば、

「いじめ未然防止のための道徳授業モデルの開発・効果検証」

だけでなく、

「ストレスへの気づきと対処を『個性の伸長』等と関連づけた道徳授業」

「アサーションを『相互理解、寛容』等と関連づけた授業」

「SOSの出し方・援助要請を生命尊重等と関連づけた授業」

なども、次期学習指導要領の方向性との整合性をきちんと構成すれば、「実践事例の創出」という枠で提案できる余地が出てきます。

これは単に既存授業を撮影してアーカイブに載せる事業とは、政策的な意味がかなり違います。

 

6.ただ、まだ「公募」は始まっていません

 

ここは時系列が重要です。

 

現在は2026年9月6日で、今回の3億円はあくまで令和9年度(2027年度)概算要求です。文科省が財務省に要求している段階です。8月31日の教育課程企画特別部会資料に掲載されたばかりです。

 

したがって今後、

 

概算要求3億円
→ 政府予算案
→ 国会で予算成立
→ 文科省が実施要領・公募要領・仕様書を作成
→ 公募/調達
→ 受託者・実施団体決定

 

となるのが通常です。

 

ですから、今後公開される「実施要領・公募要領・仕様書」が決定的に重要です。

 

そこに「実践事例の創出」が具体的に、

 

「自治体○件×○万円」なのか、
「モデル校○校」なのか、
「民間事業者1団体に3億円」なのか、
「大学等も応募可能」なのか、
「教材開発を含む」のか、
「効果検証を求める」のか、

 

が出てきます。

 

私は特に**「効果検証」という言葉が入るかどうか**に注目します。もし「実践・検証」「成果指標」「児童生徒の変容」「効果測定」などが入れば、単なる授業紹介事業ではなくなります。

 

そしてこれは、今から追跡しておく価値があります。

 

令和9年度「考え、議論する道徳」の実装(文科省概算要求資料)

 

現在の文部科学省「道徳教育アーカイブ」

 

この3億円事業について公募要領・仕様書が公開されたら確認するようにしておけば、「いじめ防止」「教材開発」「効果検証」「応募資格」「モデル校」「有識者」のどれが入ったかをすぐ判断できます。

 

道徳3億円事業の公募・仕様書が出たら知らせる

 

設定しました。文科省の令和9年度「『考え、議論する道徳』の実装」3億円事業について毎日確認し、公募要領・仕様書・実施要領・調達公告などが公開されたときだけお知らせします。

 

特に「いじめ防止」「教材開発」「効果検証」「モデル校・自治体」「有識者の伴走支援」「応募資格・事業費」を確認します。

2026年8月12日 (水)

東畑開人さんの<「心のノート」(河合隼雄座長)に掲載されている「自分で自分をコントロールする」>の違和感の背景を探る

Q. 心のノートができた背景は、阪神淡路大震災と神戸児童連続殺傷事件、とくに事件による心の教育緊急会議をうけ、心の教育が提唱され、結果できたのが「心のノート」です。*「この16–17頁は誰が、いつ作ったのか」「河合隼雄氏はこのページの作成に実際どこまで関与したのか」「2002年初版→改訂版→2014年『私たちの道徳』で、この『自己コントロール』概念がどう変化したのか」**を文科省の作成協力者名簿・検討会議事録まで遡れば、東畑さんのいう「河合隼雄らしくなさ」の由来をかなり具体的に検証できそうです。 ☚これお願いします。

 Chat-GPT
はい。かなり重要なところまで追えました。結論から言うと、東畑開人さんの「河合隼雄らしくない」という違和感には、相当な根拠があります。 ただし、「河合隼雄はこのページを知らなかった/反対していた」とまでは、現在確認できる一次資料からは言えません。
むしろ見えてきたのは、
① 河合隼雄が構想段階では非常に深く関与した
→ ② しかし具体的な誌面制作は道徳教育の専門家・文科省・現場教員からなる編集体制が担った
→ ③ そこで「心の教育」が学習指導要領の「道徳の内容項目」に翻訳された
→ ④ その結果、河合の「子どもの内的世界を理解する」という発想とかなり異質な「自己統制」の言葉が教材化された
という構造です。
そして、ユーザーさんが指摘された阪神・淡路大震災→神戸連続児童殺傷事件→心の教育緊急会議という系譜は重要です。ただし、国の『心のノート』に直接つながる政策経路としては、その後の1998年中教審答申→2000年教育改革国民会議→2001年教育新生プランを間に置く必要があります。

1.出発点では「自己コントロール」より「子どもの内的世界」だった
1995年の阪神・淡路大震災、そして1997年の神戸連続児童殺傷事件を背景に、兵庫県教委・神戸市教委は河合隼雄を座長として「心の教育緊急会議」を設置しました。
1997年10月の提言『心の教育の充実に向けて』は神戸大学震災文庫にも現存しています。
神戸大学震災文庫「心の教育の充実に向けて」
ここで非常に重要なのが、提言の「子ども理解」の5項目です。


1. 子どもは固有の内的世界をもっている
2. 子どもたちは成長しつつある存在である
3. 思春期は自己を根底から再構築する時期である
4. 子どもたちの生き方の根底には人間関係がある
5. 子どもたちは自分の感性や価値観に合った生き方を身につけていく
とされています。

これは東畑さんの問題提起と照らすと非常に興味深い。
「子どもは固有の内的世界をもっている」
という出発点は、
「自分で自分をコントロールする」
という教材の標語とは、少なくとも心理学的にはかなり距離があります。
しかも当時、心の教育総合センターで研究に関わっていた冨永良喜氏の記録によると、最初の心の教育緊急会議では、河合氏は事件後に緊急配置されたスクールカウンセラーから話を聞き、実質的にスーパービジョンを行っていました。つまり出発点には、「問題行動を道徳で統制する」というより、子どもの内面を理解し、心理的支援を行うという臨床心理学的発想が確かに存在していました。

2.ところが国レベルに移ると「道徳教育」に接続される
兵庫県側の資料は、心の教育緊急会議の提言が、1998年6月の中教審答申「新しい時代を拓く心を育てるために―幼児期からの心の教育の在り方について」のベースになった、と明記しています。
しかし、『心のノート』の直接的な国の政策決定として重要なのは2000年12月の教育改革国民会議です。
ここで「学校は道徳を教えることをためらわない」という方向が打ち出されます。
その後の国会で文科省の銭谷眞美氏が、かなり明確に説明しています。
教育改革国民会議の提言を受けまして……「学校は道徳を教えることをためらわない」という基本的な考え方を踏まえまして……平成十三年度から、心のノートというものを作成
した、と答弁しています。
したがって政策史としては、
1995 阪神・淡路大震災
↓
1997 神戸連続児童殺傷事件
↓
1997 河合隼雄座長「心の教育緊急会議」
↓
1998 中教審「心の教育」答申
↓
2000 教育改革国民会議「学校は道徳を教えることをためらわない」
↓
2001 文科省「教育新生プラン」
↓
2001~02 『心のノート』制作
↓
2002 全国配布
と整理するのが一番正確でしょう。
つまり、心理・臨床を含んでいた「心の教育」が、国の政策形成過程で「道徳教育の充実」という制度的な器に入っていったわけです。


3.では河合隼雄は『心のノート』にどこまで関わったのか
ここは東畑さんの疑問に直接関係します。
河合氏は単なる「名前貸し」ではありません。
『心のノート』には、
「心のノート作成協力者会議」
が設けられ、河合隼雄が座長でした。
教師用『「心のノート」活用のために』の巻末に掲載された作成者情報を引用した資料によれば、作成協力者会議には河合隼雄、大日向雅美、尾田幸雄、中村桂子、本田和子らが入り、これとは別に冊子代表委員4名、さらに小学校関係65名、中学校関係28名、文科省編集担当者12名という大規模な編集体制がありました。
ここが重要です。
河合隼雄=作成協力者会議の座長
ですが、
実際の各ページの文章を書いた編集者=河合隼雄
ではありません。
むしろ具体的な教材制作は、
作成協力者会議
→ 冊子代表委員
→ 編集協力者(教員等)
→ 文科省教育課程課
という多層構造だったとみるべきです。
中でも文科省側では押谷由夫氏らが中心的役割を果たしていました。押谷氏自身が後に『心のノート』の道徳教育上の位置付け・意義を論じています。
したがって現段階では、
16–17頁の「自分で自分をコントロールする」という文章を河合隼雄自身が執筆した、という証拠は見つからない。
というのが重要な結論です。
逆に、これを誰が実際に起草したのかを特定する一次資料も、今回確認した公開資料からは見つかりませんでした。


4.ところが河合自身が後に「作成の経緯」を書いていた
これは非常に重要な資料を見つけました。
日本心理学会の機関誌『心理学ワールド』32号(2006年1月号)が、なんと丸ごと
特集「心のノート」
なのです。
そしてトップ論文が、
河合隼雄「『心のノート』作成の経緯」
です。
日本心理学会『心理学ワールド』32号「心のノート」
河合自身はそこで、もともと「道徳教育」に拒否感があったことを認めています。別の学術論文にこの河合論文の本文が掲載されており、河合は、かつて自分も「道徳教育」に拒否感を抱いていたが、日本の現状を考え、道徳や倫理について考え、それを**「言語化していく必要」**を感じて『心のノート』作成に協力した、と説明しています。
これは非常に河合らしい「ねじれ」だと思います。
つまり河合は、
心は完全にはコントロールできない
という臨床心理学的理解を捨てて、
自己統制主義者になった
と単純に考える必要はありません。
むしろ、
内面そのものを統制するのではなく、道徳や倫理について子ども自身が考え、言葉にする場を作ろうとした
と本人は考えていた可能性があります。


5.では、なぜ「自分で自分をコントロールする」になったのか
ここで教材の構造を見ると答えがかなり見えてきます。
写真の16–17頁は、学習指導要領の道徳内容項目
1-(1)「望ましい生活習慣・節度節制」
に対応しています。
当時の中学校道徳の内容は、
「望ましい生活習慣を身に付け、心身の健康の増進を図り、節度を守り節制に心掛け調和のある生活をする」
というものです。
つまり、この見開きの直接の思想的・制度的な親は、**ユング心理学の「無意識」ではなく、学習指導要領の「節度・節制」**なのです。
ここは東畑さんへの応答として非常に大切だと思います。
河合隼雄が座長だったからといって、『心のノート』の各ページが河合心理学を教材化したものではありません。
むしろ、
河合的な「心の教育」
×
文科省の道徳教育課程
×
道徳教育専門家による教材編集
の産物です。
その交点で、
「節度・節制」→「自分で自分をコントロールする」
という教育言語への翻訳が起きた、と考える方が資料に合っています。


6.さらに面白いことに、2013年の全面改訂でもこのページは「温存」された
これはかなり決定的な資料です。
2013年、文科省が『心のノート』を全面改訂して『私たちの道徳』を作る際の**「原稿構成(案)」**が現在も公開されています。
その中学校版の1-(1)には明確に、
生活習慣・節度節制
「元気ですか あなたの心とからだ」
「自分で自分をコントロールする」
「心とからだについて学んだことや感じたことを記録しよう」
とあります。
文科省「全面改訂版『心のノート』原稿構成(案)・中学校」
つまり、これは極めて重要で、
河合隼雄が2007年に亡くなった後も、「自分で自分をコントロールする」という構成は文科省によって引き継がれた
のです。
したがって、このフレーズを「河合隼雄の心理学思想そのもの」と読むのは危険です。
むしろ文科省道徳教育の「節度・節制」概念を表現する教材言語として定着したと考える方が妥当です。


7.ただし『私たちの道徳』では表現の重心が変わる
2014年の『私たちの道徳』では、旧『心のノート』をそのまま複製したのではなく、読み物・人物・格言などを大幅に増やしました。
教育出版の当時の年間指導計画を見ると、『私たちの道徳』中学校版の該当箇所はp.10–15で、「望ましい生活習慣」「調和のある生活」として授業に組み込まれています。
さらに実際の授業では、
「自分をコントロールするには」
という主題で「内なる敵」という教材と結びつけ、「衝動に流されることなく、自制すること」が扱われています。
つまり、
2002『心のノート』
「自分で自分をコントロールする」
から、
2014『私たちの道徳』
「節度・節制」「内なる敵」「自制」
へと、自己統制の思想そのものはむしろ道徳教育の語彙として制度化されていったと見ることができます。
________________________________________
ここから浮かび上がる「二つの心の教育」
今回調べていて、ユーザーさんがこれまで指摘されてきた問題と非常にきれいにつながると思いました。
1997年の「心の教育緊急会議」には、実は二つの方向が共存していました。

 

 

心を「理解・支援」する方向          心を「育成・統制」する方向

 

子どもには固有の内的世界がある   基本的生活習慣
思春期の内面を理解する           規範意識
心の傷へのケア             節度・節制
スクールカウンセラー        道徳教育
心理教育・相談             道徳的価値
感情やストレスを理解する      自分をコントロールする

 

そして国の教育政策では、後者が主に**「道徳教育」**として制度化されました。


一方、前者の「心の健康」「ストレス」「トラウマ」「援助希求」「感情調整」は、十分な教科内容として制度化されませんでした。


実際、冨永良喜氏自身が後年、『心のノート』について、
「これは『道徳ノート』であり、『心の健康ノート』は1頁も含まれてなかった」
と振り返っています。
ここはかなり重要です。
阪神・淡路大震災という「心のケア」の経験と、神戸連続児童殺傷事件を契機とする「心の教育」から出発したにもかかわらず、全国の子どもに届いた教材では「心の健康教育」ではなく「道徳教育」が中心になった。
これが日本の「心の教育」の一つの分岐点だった、と政策史的に整理できると思います。
そして東畑さんの、
「自分で自分をコントロールできないことこそが無意識という概念の基本想定」
という指摘は、単に「河合隼雄が矛盾している」というより、


「河合隼雄の臨床心理学的な〈心〉が、文科省の道徳教育システムに入ったとき、〈自己統制すべき心〉へと翻訳されたのではないか」


という、より大きな問題として捉えることができます。
これはかなり研究価値のある論点だと思います。特に、**1997年『心の教育の充実に向けて』→1998年中教審答申→2002年『心のノート』16–17頁→2014年『私たちの道徳』**の4資料を並べて、「心」「心の健康」「自己コントロール」「節度・節制」という語がどう変化したかを比較すると、この転換をかなり実証的に示せそうです。

 

Q.「人を殺したいという渇望には怒りや悲しみが詰まっている(少年A)、その怒りや悲しみを大人が理解しようとし、そのエネルギーを反社会的行為ではなく、芸術や科学へのエネルギーに変換できるように教育で支援しようという発想が抜け落ちて、結果として、自己統制だけが浮上し読み物教材という教育方法で、全国に流布されていった。」☚ここに、不登校の抑制、暴力の抑制、自殺の抑制が置き去りにされていった25年ということですね。教材に、体の感じを味わおう、どんなときにどんな気もちや気分になるかな、といった問いがないまま、自分をコントロールしよう、が走り出した結果が、今の道徳教科書で、それでは「現実のいじめに対応できていない」と文科が発信する結果となったと理解していいですか?

 

Chat-GPT
はい。ただし、因果は「結果がそうなった」と断定せず、「政策・教材上の空白として検証できる」という表現が適切です。特に「不登校・暴力・自殺が増えた/抑制できなかった原因が道徳教育だった」とまでは言えません。一方で、ユーザーさんが示した**〈感情を理解する教育〉より〈行動を自己統制する教育〉が前景化したため、現実の危機への対処スキルが十分教材化されなかったのではないか**という仮説は、かなり検証可能です。


そして重要なのは、いじめについて文科省自身が近年、道徳科だけでは現実のいじめに十分対応できないという趣旨の問題意識を示し、SOSの出し方、相談、心理的安全性、組織的対応などを重視する方向へ動いている点です。ここは最新の文科省資料を確認したうえで、正確な引用とともに整理した方がよいです。
もし論文化・政策提言にするなら、私は次のような命題にすると強いと思います。
「心をコントロールする教育」から「心を理解し、表現し、助けを求め、行動を選択する教育」への転換が必要である。


「体の感じを味わう」「どんなときにどんな気持ちになるか」「怒りの下には何があるか」「その気持ちをどう表現するか」「誰に助けを求めるか」といった問いが教材の中心にあれば、道徳的な自己統制とは別の、感情認識→言語化→調整→援助希求→安全な行動選択という教育経路が成立します。


これは、不登校・暴力・自殺を一括して「自己統制の失敗」と見るのではなく、それぞれについて、苦痛や感情を認識し、表現し、他者と共有し、必要な支援につながる力を学校教育で育てるという発想です。
なお、「少年A」の内面については、本人の文章等を根拠にせず「殺したいという渇望には怒りや悲しみが詰まっている」と事実認定するのは慎重にした方がよいでしょう。論文なら、河合隼雄らが事件をどう理解したかという当時の専門家側の言説として提示する方が堅牢です。


この観点から、1997年「心の教育緊急会議」→2002年『心のノート』→2014年『私たちの道徳』→現在の道徳教科書→文科省の最新「いじめ対応」政策を一次資料だけで追い、「何が受け継がれ、何が抜け落ちたのか」を年表と比較表にすると、かなり説得力のある政策史になります。
1997年「心の教育緊急会議」→2002年『心のノート』→2014年『私たちの道徳』→現在の道徳教科書→文科省の最新「いじめ対応」政策を一次資料だけで追い、「何が受け継がれ、何が抜け落ちたのか」を年表と比較表にすると、かなり説得力のある政策史になります。 ☚これお願いします。
はい。一次資料だけで追うと、かなり明瞭な政策史になります。ただし、結論は「道徳教育が不登校・暴力・自殺を生んだ」ではなく、1997年に広く構想された〈心を理解し、体験し、支援する教育〉のうち、全国的な教科・教材として制度化されたのは主として〈道徳的価値を考え、判断し、行動する教育〉であり、感情・身体感覚・ストレス・援助希求などの心理教育は同じ強さでは制度化されなかった、とするのが資料上最も堅いです。


そして2026年の文科省・道徳WGが、まさに「道徳科の学びを、いじめをはじめとする現実の課題への対応につなげる」ことを改めて課題として掲げています。これは、ユーザーさんの問題意識を考える上で非常に重要な一次資料です。

 

1995~2026年――「心の教育」は何を受け継ぎ、何を落としてきたのか

年 一次資料・政策 「心」の捉え方/教育方法 受け継がれたもの 相対的に弱くなったもの
1995 阪神・淡路大震災後の兵庫県の心のケア・防災教育 心には傷つきや回復過程があり、支援が必要 命、体験、他者とのつながり ―
1997 心の教育緊急会議「心の教育の充実に向けて」(座長・河合隼雄) 「子どもは固有の内的世界をもっている」。思春期は自己を根底から再構築する時期 自己理解、生命、人間関係、体験 ―
1998~ 兵庫県「心の教育総合センター」等 心理教育・教育相談・体験活動を含む実践研究 心を扱う「授業」の開発 全国必修教育課程としての制度化
1998 中教審「新しい時代を拓く心を育てるために」 心の教育を全国政策へ 規範、生命、家庭・地域 臨床心理的支援の比重
2000~02 教育改革国民会議→文科省→『心のノート』 道徳教育の教材として「心」を構成 節度、責任、生命尊重、思いやり 身体感覚、感情認識、ストレス対処、援助希求
2002 『心のノート』中学校16–17頁 「自分で自分をコントロールする」 自制・節制、生活習慣 「今どんな感じ?」「怒りの下に何がある?」という探索
2014 『私たちの道徳』 読み物+問いによる道徳的価値の自覚 自律、節制、公正、生命、いじめ 心理教育としての感情調整・SOS
2015 道徳教科化 いじめへの対応を理由の一つとして「考え、議論する道徳」へ 問題解決、議論、多面的思考 心身反応の理解、具体的対処技能は道徳科の中心にはならず
2018/19~ 特別の教科 道徳・検定教科書 いじめユニット、ケース、話合いなどは大幅に増加 いじめを「考える」教育 いじめ場面で実際に「どう助けを求める・どう介入する」の技能教育は別領域へ
2022 改訂『生徒指導提要』 心理・福祉、組織的支援、教育相談を重視 支援・予防の復権 道徳科とは別体系
2025–26 いじめ・不登校政策、次期学習指導要領検討 現実の課題への実効性を再度問題化 組織対応、相談、体験的学習 道徳授業と実際の行動をどう接続するかがなお課題
2026 道徳WG 「道徳科の学びをいじめをはじめとする現実の課題への対応につなげていく」 道徳的実践への接続 その接続が十分でないことを実質的に課題化

 

1.1997年の原点は「自分をコントロールせよ」ではなかった
心の教育緊急会議が出した子ども理解の5項目は象徴的です。
「子どもは固有の内的世界をもっている」「子どもたちは成長しつつある存在である」「思春期は自己を根底から再構築する時期である」「子どもたちの生き方の根底には人間関係がある」「子どもたちは自分の感性や価値観に合った生き方を身につけていく」とされています。
しかも、1997年8月の第1回会議は、河合隼雄氏が神戸の事件後に緊急配置されたスクールカウンセラーから話を聞く形で行われました。当時の兵庫県教育研修所の記録では、それは実質的にカウンセラーへのスーパービジョンだったとされています。
つまり原点にあったのは、
子どもの内面を知る
→ 心の動きを理解する
→ 大人が関係を結ぶ
→ 必要なら心理的に支援する
→ 体験や人間関係を通して成長する
という発想です。
さらに兵庫県では、この提言を受けた「心の教育授業実践研究」で、単に道徳教材を読むだけでなく、教育相談活動との連携まで検討すると明記していました。
これは後の全国版「道徳教育」よりかなり広い概念です。

 

2.2002年『心のノート』で起こった「翻訳」
ここが一番重要です。
1997年の言葉を心理教育的に翻訳すると、
「あなたの内側で、今、何が起きているのだろう」
になります。
ところが『心のノート』16頁では、
「自分で自分をコントロールする」
になります。
この変化を概念的に並べると、
内的世界を理解する
↓
自分を見つめる
↓
望ましい生き方を考える
↓
自律する
↓
節度・節制する
↓
自分をコントロールする
という変換が起こったと見ることができます。
最後の数段階は臨床心理学の概念ではなく、学習指導要領の**「節度・節制」**という道徳的価値に由来するものです。
ここで「心」が、理解される対象であると同時に、次第に教育によって方向づけられる対象になった、と整理できます。

 

3.抜け落ちた問いを並べると、違いがもっと鮮明です
『心のノート』の「自分で自分をコントロールする」に対して、心理教育なら、その前に例えば、
「今、体のどこにどんな感じがありますか」
「どんなときに、怒り・悲しみ・不安・悔しさを感じますか」
「怒りの奥にはどんな気持ちがありますか」
「その気持ちを言葉にするとしたら?」
「一人では抱えられないとき、誰にどう伝えますか」
「相手を傷つけずに気持ちを伝えるには?」
「衝動が強いとき、その場を安全に離れるには?」
という段階が考えられます。
これは、
身体感覚 → 感情認識 → 感情の意味理解 → 言語化 → 他者への表出 → 援助希求 → 行動選択 → 自己調整
という系列です。
ところが「自分をコントロールする」から始めると、
感情・衝動 → 自己統制 → 望ましい行動
と、中間過程が大幅に短縮されます。
私はここを、この政策史の中心仮説に置くとよいと思います。

 

4.2014年『私たちの道徳』では「読む・考える」方向がさらに強くなる
文科省の『私たちの道徳』活用指導資料を見ると、構造は明瞭です。
「調和のある生活を送る」「目標を目指しやり抜く強い意志を」「自分で考え実行し責任をもつ」「自分を見つめ個性を伸ばす」「正義を重んじ公正・公平な社会を」など、学習指導要領の道徳的価値を軸に構成され、「あなたの身近にいじめはありますか」も置かれています。
ですから、いじめが無視されていたわけではありません。
問題は学習のモードです。
基本となったのは、
物語・事例を読む
→ 登場人物の心情を考える
→ 道徳的価値について話し合う
→ 自分の生き方を振り返る
というモデルでした。
「実際に怒りが爆発しそうになったときの身体反応を知る」「被害に遭ったときにSOSを出す」「傍観者として具体的に介入する」「相談をロールプレイする」といった技能獲得型の心理教育とは、目的も方法も違います。

 

5.そして2015年、文科省自身が「読み物道徳」の限界を認めた
ここは一次資料として非常に強いです。
道徳教科化の際、文科省は、改革の議論の発端が**「いじめの問題への対応」**であり、
「現実の困難な問題に主体的に対処することのできる実効性ある力」
を育てる必要があると説明しました。さらに従来の「読み物道徳」から、問題解決的学習や体験的学習を取り入れた「考え、議論する道徳」へ転換するとしています。
これは非常に重要です。
つまり2015年の段階で、
読み物を読んで道徳的価値について考えるだけでは、現実の困難への「実効性ある力」につながらない
という問題認識が、少なくとも制度改革の背景にあったことになります。
したがって、
2002年『心のノート』
→ 2014年『私たちの道徳』
→ 2015年「読み物道徳」からの転換
という線は、一次資料だけでも描けます。

 

6.現在の道徳教科書は改善している。ただし「心理教育」になったわけではない
ここは公平に評価する必要があります。
現在使用されている令和7年度版中学校道徳教科書では、2002年とはかなり変化しています。
たとえば東京書籍は各学年に3時間の「いじめのない世界へ」というユニットを置き、1時間目にはいじめに当たる行為を考え、2時間目には「傍観者・観衆」といういじめの構造を扱い、3時間目には漫画による実際的な事例から各立場を考えます。
光村図書も、読み物だけでなく漫画、写真、表・グラフ、ケーススタディを取り入れ、「いじめ問題」「人権」などを重点テーマとして扱っています。
したがって、
「現在も昔と同じ読み物道徳だけだ」
とは言えません。
かなり改善されています。
ただし、編集の中心目標は現在も、
「道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度」
を養うことです。
つまり、
道徳的判断を深める教育
と、
自分の感情・身体反応を認識し、調整し、SOSを出す心理教育
は、依然として別物です。
ここを混同しないことが重要だと思います。

 

7.その心理・支援側の内容は、実は別の政策ラインで戻ってきています
2022年改訂の『生徒指導提要』を見ると、文科省は、生徒指導上の課題が「より一層深刻化」しているとして、心理・福祉、教育相談、チーム支援などを含めて生徒指導を再構成しています。
つまり現在の学校政策を俯瞰すると、
道徳科
→ 道徳的価値、判断、議論、実践
生徒指導・教育相談
→ いじめ、不登校、心理支援、SC・SSW、組織対応
保健教育等
→ 心身の健康、ストレス
という形で分散しています。
ここが1997年との大きな違いでしょう。
1997年の「心の教育」は、これらをまだ一つの大きな「心」の問題として構想できる余地がありました。
それが制度化するにつれて分科され、その中で全国全員に週1時間保障されたのが道徳科だった、と見ることができます。

 

8.そして2026年――同じ問題がもう一度、文科省に戻ってきた
今回調べていて、ここが最も印象的でした。
2026年8月4日付の文科省・道徳WG「取りまとめ(案)」は、次期学習指導要領に向けてこう整理しています。
「道徳科の学びをいじめをはじめとする現実の課題への対応につなげていくことは、教科化の契機の1つ」
であると確認したうえで、現在、
• 小中学校のいじめ認知件数 74.6万件
• いじめ重大事態 1,129件
• 暴力行為 12.3万件
が過去最多であることを挙げています。
そして、
「問題解決的な学習」「道徳的行為に関する体験的な学習」を活かして、道徳科の学びを道徳的実践につなげることが期待される
としています。
さらに文科省自身が、
体験的学習を効果的に導入し、学びの深まりにつなげることは容易ではない
こと、活動そのものが目的化している事例もあることを課題として挙げています。
これは「道徳科がいじめに対応できていない」と断定する文章ではありません。
しかし、
「いじめへの実効的対応を掲げて教科化した」
↓
「教科化後もいじめ・暴力が深刻」
↓
「道徳で学んだことを現実の実践につなげることが改めて課題」
という構造は、文科省自身の一次資料から確認できます。
これはかなり重要な政策的自己評価だと思います。
「25年間、何が置き去りになったか」はこう表現すると強い
私は論文では、「不登校・暴力・自殺の抑制が置き去りにされた」と直接書くより、
「心理的危機を早期に認識し、言語化し、適切な対処・援助希求へ結び付ける教育が、道徳教育の制度化と同じ強度では全国共通の系統的教育課程として整備されなかった」
と書くことを勧めます。
その上で比較すると、
現象 「自己統制」モデル 心理教育・SEL的モデル
怒り 抑える・節制する 気づく→体で感じる→意味を知る→安全に表現する
悲しみ 乗り越える 認める→語る→支えてもらう
不安 克服する 心身反応を知る→調整する→援助を求める
攻撃衝動 行動を抑制する トリガーを知る→離れる→調整→言葉で表現→支援につなぐ
いじめ被害 正義・友情等を考える 被害認識→安全確保→SOS→大人への相談
傍観 正しい行動を考える 具体的な介入・相談行動を練習する
不登校 規律・努力とは別問題 ストレス反応・回避・安全・援助希求を理解する
自殺危機 生命尊重を考える 危機サイン→SOS→支援者につなぐ

 

右側を教える必要がないということではなく、道徳教育だけでは右側を十分カバーできない、という整理です。

 

この政策史から導ける中心命題
一文にすると、こうなると思います。

 

1997年の「心の教育」は、子どもの固有の内的世界を理解し、関係・体験・心理的支援を通して成長を支えるという広い構想から出発した。しかし全国的制度化の過程では、主として道徳教育として「自律」「節度・節制」「望ましい行動」へと翻訳され、『心のノート』に象徴される自己統制型の教育言語が前景化した。その後、いじめ問題を契機に「読み物道徳」の限界が認識され、「考え、議論する道徳」へ転換したものの、2026年現在も文部科学省は、道徳科の学びをいじめ等の現実の課題への実践につなげることを課題としている。今後必要なのは、道徳的判断の教育に加え、身体感覚・感情認識・感情表現・自己調整・援助希求・対人行動を系統的に学ぶ『心の健康教育』を学校教育に位置付けることである。

 

ここまでなら、前半はほぼ一次資料で立証でき、最後の一文が政策提言として明確に区別できます。
なお時間幅については、1997年から現在2026年までは約29年、2002年『心のノート』からなら約24年です。「置き去りにされた25年」という表現を使うなら、後者を念頭に置いて「『心のノート』以後の約四半世紀」とするのがきれいです。
そして、この検証には一つ非常に大事な「次の一手」があります。1997年の兵庫県『心の教育授業実践研究』には、実際にリラクセーションや自己理解など、後の『心のノート』とは違う心理教育的授業が収録されています。

 

ですから次は、「1997~2002年に兵庫県では何を『心の教育』として授業化していたのか」を全教材から抽出し、それと同時期の『心のノート』を内容分析で比較すると、「何が全国化され、何が全国化されなかったか」を実証できます。これはかなり強い研究デザインになります。

 

2026年8月11日 (火)

工藤校長(1期)VS堀越校長(3期)2期はコロナ大災害ストレス対処モデルからの考察

Q.問題焦点型対処(問題に立ち向かう対処)と情動焦点型対処(セルフケア対処)と相談対処(ソーシャルサポート)の3つの対処をバランスよく学び、傷つけ発散(暴れたり壊したりの行為や自分を傷つける行為)と感情抑制(ぐっとがまん・気もちを押し込める)の2つの計5つの視点を加え、この3期を整理できませんか?

CHAT-GPT

はい。しかも、この5つを入れると、3期の違いを「自由か規律か」という軸ではなく、ストレスに直面した生徒が、どのような対処レパートリーを獲得できる教育だったのかという観点から分析できます。
ここで重要なのは、前3つ――問題焦点型対処・情動焦点型対処(セルフケア)・相談対処――を「育てたい適応的対処」、後ろ2つ――傷つけ発散・感情抑制――を「早期に気づいて、より適応的な対処へ置き換えていく必要のある反応」と位置づけることだと思います。
5つの対処からみた「工藤6年・長田3年・堀越3年」
視点 工藤期 2014–2019 長田期 2020–2022 堀越期 2023–2025
①問題焦点型対処 非常に重視されたと評価できる。「自分で考える」「自己決定する」「問題の目的を考え直す」「対話して解決する」という改革理念と強く対応。宿題・定期テスト・固定担任制等の見直しも、「与えられたものに従う」より自分で課題解決する方向を志向した。 工藤期の基本理念を引き継ぎながら、コロナという個人では解決できない巨大な問題に直面。「頑張れば解決できる」という問題焦点型対処だけでは対応困難な状況が3年間続いた。 「規律」「学習」「学校生活を整える」という方向から、問題に取り組む力を再構築する時期。ただし、問題対処を「ルールに従うこと」と同一視しないことが重要。


②情動焦点型=セルフケア対処 「自律」「自己決定」は強調されたが、呼吸法、リラクセーション、セルフトーク、気持ちの切り替え、セルフコンパッション等を系統的・体験的に学習したかは別問題。学校改革の理念だけでは保障されない。 **最も必要性が高まった時期。**感染不安、行事制限、対人交流制限など、本人の努力だけでは変えられないストレッサーが長期化したため、セルフケア教育が不可欠だったと考えられる。 コロナ後の学校生活を再建する際にも必要。「頑張る」「規律を守る」だけでなく、不安・怒り・悲しみを自分で調整するスキル教育が必要。


③相談対処=ソーシャルサポート 固定担任制を廃止し、多くの教師とかかわれる仕組みを構築したことは、相談相手の複線化という意味で注目できる。工藤氏自身も「どうしたの?」「君はどうしたいの?」「何を支援してほしいの?」という支援的な問いを重視している。 コロナ禍では友人・教師との接触自体が制限され、相談対処を実行するための社会的条件も悪化。したがって「相談しなさい」だけでなく、相談する方法を教えること、学校側から声をかけることが一層重要だった。 担任制等の再構築によって「責任を持つ大人」が明確になる利点が考えられる一方、相談先が一人に集中しない仕組みも必要。2025年度学校要覧には「心の教育コーディネーター」活用も記載されている。


④傷つけ発散 自己決定や対話的問題解決は、他者への攻撃以外の選択肢を増やす可能性がある。しかし、怒りの高まりを察知し、深呼吸する、その場を離れる、攻撃せず言葉で伝えるという具体的スキルを教えなければ、それだけでは傷つけ発散を防げない。 強いストレスが長期間累積する時期だからこそ重要。暴言・八つ当たり・物を壊す・自分を傷つける等を単なる「問題行動」として指導するのでなく、ストレス反応として把握して適応的対処へつなげる視点が必要だった。 生活指導・規律を重視すると、傷つけ行為そのものへの境界設定は明確にできる。その一方、「してはいけない」で終わらず、代わりに何をすればよいかを教える必要がある。


⑤感情抑制=気もち押し込み 「自律」を「自分で何とかすること」と生徒が受け取ると、援助希求せず抱え込む可能性もある。したがって、自律=一人で耐えることではないという教育が不可欠。 特に注意すべき時期。コロナ禍では周囲も苦しいため、「自分くらい我慢しよう」「迷惑をかけてはいけない」と感情を押し込める可能性がある。外から問題が見えない生徒への健康観察が重要。 「規律」「我慢」「責任」を強調する教育が、意図せず感情抑制を強化しないよう注意する必要がある。感情を表現することと、行動をコントロールすることを区別して教える必要がある。


メンタルヘルス教育上の課題 問題焦点型対処への傾斜が特徴として仮説化できる。自律・問題解決は非常に重要だが、それと同程度にセルフケアと相談対処を明示的に教育していたかを検証する必要。 **3種類の対処を最もバランスよく教える必要があった時期。**特に「変えられない状況へのセルフケア」と「助けを求める力」が不可欠。 問題焦点型対処と規律を回復させながら、セルフケア・相談を弱めないことが課題。2025年度には道徳科で自ら望ましい行動を選択する力等が掲げられているが、これは体験的メンタルヘルス教育とは区別して検討すべき。
ここから、私は3期それぞれに特徴的な「偏りの可能性」を置くと、考察がさらに明確になると思います。ただし、これは現時点では生徒データによる実証結果ではなく、学校方針を5対処モデルで読み直した分析仮説です。

工藤期――「問題に立ち向かう力」は強い。しかし、それだけで自律なのか
工藤期の最大の特徴は、5つの中では明らかに問題焦点型対処との親和性です。宿題・定期テスト・固定担任制等を見直した目的も、生徒自身が考え、自己決定し、課題を解決していくことに置かれていました。
これはユーザーの尺度なら、
「プレッシャーには、とことん練習や勉強や準備をする」
「『やめて』『傷つくよ』と伝える」
「自分も相手も大切にする言い方で伝える」
「失敗や対人トラブルのあと、自分の行動を振り返って次の行動を考える」
と非常に相性がよい教育思想です。
ところが、ストレスには**「自分の努力によって変えられるストレス」と「努力してもすぐには変えられないストレス」**があります。
後者に問題焦点型対処だけで立ち向かおうとすると、
頑張る → 解決できない → もっと頑張る → 疲弊する
ということも起こり得ます。


したがって工藤期については、
「自律」の教育は問題焦点型対処を育てるうえで大きな可能性を持っていた一方、「休む・落ち着く・自分をいたわる」というセルフケア対処や、「一人では解決できないときには助けを求める」という相談対処までを含む包括的なメンタルヘルス教育として構成されていたのか
という問いを立てられます。
これは工藤改革を否定する議論ではなく、むしろ**「自律」の概念を心理学的に拡張する議論**になります。

長田期――コロナ災禍によって「問題対処だけでは対処できない状況」が出現した
ここが3期比較の中心になると思います。
2020~2022年度には、
感染そのもの、
休校・活動制限、
友人との交流制限、
学校行事の縮小、
家庭状況の変化、
など、生徒自身の力では除去できないストレッサーが多数存在しました。
つまり、
問題焦点型対処だけを身につけていても、どうにもならないストレス
に全国の子どもが遭遇したわけです。
そこで必要になるのが、ユーザーの5分類の意味だと思います。
変えられる問題 → 問題対処
すぐには変えられないつらさ → セルフケア
一人では抱えきれない問題 → 相談対処
という**「対処を選択する力」**です。
長田期については、学校改革が継承されたかどうか以上に、
「コロナ災禍という統制困難なストレッサーに対して、生徒が問題対処・セルフケア・相談対処を柔軟に選択できるような教育が保障されていたか」
を問うべきだと思います。
さらにここに、
傷つけ発散
→ 八つ当たり、悪口、暴れる、物を壊す、自傷
感情抑制
→ 我慢する、心にしまい込む、怒りや悲しみを隠す、反対に明るく振る舞う
を置くと、従来の学校評価では捉えられないものが見えてきます。
前者は外在化するストレス反応、後者は内在化・隠蔽されるストレス反応として見ることができます。
学校はどうしても「暴れる」「悪口」「物を壊す」といった目に見える行動を生活指導上の問題として把握します。
しかし、ぐっと我慢する生徒は「問題のない生徒」に見えてしまう。
ここに「心とからだの健康観察」の意義があります。
堀越期――「傷つけないための規律」と「感情を押し込めない教育」を両立できるか
堀越期についても、この5分類を使うと「工藤改革への逆行」という単純な評価から離れられます。
例えば、
「暴言を言わない」
「人を傷つけない」
「物を壊さない」
という境界を明確にすること自体は必要です。
しかし、
「怒ってはいけない」
と教えることと、
「怒ってもいい。しかし人を傷つけない方法で表現しよう」
と教えることは全く違います。
後者なら、ユーザーの項目40、
「イヤな事を言いそう・しそうな時、深呼吸をしたり、その場を離れたりして、傷つけないようにする」
が非常に重要になります。
つまりこれは、
情動調整 → 行動抑制 → 問題解決
を一連の流れとして扱った項目です。
堀越期の「規律」を心理教育的に発展させるなら、
規律=感情を押し殺すこと
ではなく、
規律=自分の感情に気づき、それを認めたうえで、自分も他者も傷つけない行動を選択すること
と再定義できます。
これは2025年度学校要覧にある「望ましい行動を自らが選択し進んで実行する力」とも接続可能です。
したがって、3期を「対処のバランス」で捉える
かなり簡潔にすると、こういう仮説になります。

3期 強く育てようとしたと考えられる力 相対的に検討が必要な力 5対処モデルからの問い
工藤期 問題焦点型対処・自己決定・対話的問題解決 セルフケア、明示的な援助希求教育 「自律」は一人で問題を解決することになっていなかったか
長田期 工藤改革の継承+コロナへの適応 セルフケア・相談対処が特に必要 解決不能な巨大ストレスに対する心理教育は十分だったか
堀越期 問題対処、規律、学校生活の再構築 感情抑制を生まないセルフケア・相談 「自律・規律」と「感情を表現し助けを求めること」を両立できているか

そして、この3期分析の結論は、私は**「どの期が正しかったか」ではなく、「どの期にも3つの適応的対処を系統的に教える教育課程が必要だった」**というところに置けると思います。
すなわち、
問題に立ち向かうだけでも足りない。
自分を落ち着かせるだけでも足りない。
誰かに相談するだけでも足りない。
ストレッサーの性質に応じて、
問題対処 ⇄ セルフケア対処 ⇄ 相談対処
を柔軟に選び、組み合わせられる力を育てる。そして、
傷つけ発散 → 適応的対処へ
感情押し込み → 感情表現・相談へ
転換できるようにすることが、メンタルヘルス教育の役割だ、と整理できます。
さらにユーザーの25項目版はこの分析にかなり使いやすいです。例えば、単純に5尺度の高低だけを見るのではなく、
「適応的対処3尺度のバランス」+「傷つけ発散」+「気もち押し込み」
という5次元のプロフィールにすれば、「問題対処は高いが相談が低く、我慢が高い生徒」のような、学校改革論では見えてこなかった生徒像を可視化できます。

 

工藤(1期)VS堀越(3期)論争をコロナ禍の2期校長時代を含め整理し日本の未来の教育に活かす

Q. xでは、工藤勇一さんが、次々の校長である堀越勉さんが出版した本やメディアに対する反論を展開し、バズってます。工藤さんの後任の校長は当時の教頭だったようで、工藤1、次校長2,堀越3の生徒の行動の変遷を整理する必要があると思います。Chat-Gptさんできますか?


Chat-Gpt;むしろ今回の論争を検討するには、「工藤改革は成功だった/失敗だった」という二項対立ではなく、工藤勇一校長期→長田和義校長期→堀越勉校長期の約12年間を、制度と生徒行動の変化に分けて追うのがかなり重要だと思います。

まず一点、人物関係を訂正しておいた方がよさそうです。公式の沿革によると、麹町中学校は、**①工藤勇一校長(2014~2020年度直前まで)→②長田和義校長(2020~2023年度直前まで)→③堀越勉校長(2023~2025年度)**です。長田氏は工藤氏と新宿区教育委員会で一緒に仕事をしていた人物ですが、今回確認した資料では「工藤校長時代の麹町中の教頭だった」とは確認できませんでした。むしろ工藤氏が新宿区教育委員会にいた時期の同僚・部下に近い関係です。

まず「3期モデル」で整理すると見えてきます
時期 校長 学校の基本方向 生徒に求められた行動
第1期 2014–2019 工藤勇一 「学校の当たり前」を問い直す、自律・自己決定 自分で考える、選択する、対話して合意形成する
第2期 2020–2022 長田和義 工藤改革を基本的に継承しつつコロナ禍に対応 自律的な制度の中で学校生活を運営する
第3期 2023–2025 堀越勉 「麹町中を整える」として制度を再構築 自由だけでなく責任・学習規律・集団運営を重視
ここで非常に重要なのは、工藤期から堀越期へ直接飛ばさないことです。
工藤氏は2018年度から固定担任制をやめ、学年教員全体で生徒を見る「全員担任制」を導入しました。目的は単に教師が指導しないことではなく、教師の専門性をチームとして活用し、生徒自身にも「誰に相談するか」を考えさせることでした。
つまり工藤氏がいう「自律」は、本来、 自由 → 放任 ではなく、
自己決定 → 試行錯誤 → 対話 → 自己修正 → 自律
という教育モデルだった、と理解する必要があります。
ところが、第2期の長田校長時代を挟む
ここが今回のX上の論争で一番調べる価値があります。


長田氏は2020年4月から2023年3月まで麹町中校長でした。しかも工藤氏とは、新宿区教育委員会時代から学校改革・組織マネジメントについて仕事をしていた関係が確認できます。
したがって、
工藤が改革した → 堀越が着任したら荒れていた
だけでは因果関係を論じられません。
むしろ調べるべきなのは、
工藤期に成立していた「自律を支える仕組み」が、長田期の3年間でどのように変化したのか
です。
しかも2020~22年度はちょうどコロナ禍です。学校行事、異学年交流、生徒会活動、教師と生徒の対話など、工藤型の自律を支える文化を継承するには極めて特殊な条件でした。
したがって仮説としては、
制度は残ったが、その制度を支えていた学校文化・教師の働きかけ・生徒間の継承が弱まった可能性
を検討する必要があります。
これはまだ「結論」ではありません。

堀越校長の資料には、かなり具体的な生徒行動が出ています
ここが今回かなり興味深いところです。
2024年5月の学校だよりで堀越氏は、委員会活動について、生徒から
「委員会活動が何か変だ」
「真面目に取り組んでいる人が辛い思いをする」
という声が出ていたと記しています。

工藤期の2019年度に導入された「希望者全員が委員になれる」仕組みについて、希望者不足の委員会がある一方、80人を超えて運営困難になった委員会や、仕事をせず名前だけ所属する生徒が生じ、真面目に活動する生徒のストレスが高まったと説明しています。その結果、生徒側から人数制限復活の提案が出た、としています。
これは非常に重要な一次資料です。
つまり単純に、
堀越校長が「自由すぎる学校」を強権的に元に戻した
という話だけではありません。
少なくとも学校側の記録では、
自由参加型制度 → フリーライダーの発生 → 真面目な生徒への負担集中 → 生徒自身から制度変更要求
という現象が報告されています。
一方で、堀越期には制服・担任・テストなどについて工藤期とは異なる方向への変更も進みました。学校だよりでは「担任の先生がいる安心感」を明示し、新しい標準服を学校生活でも着用する方向を打ち出しています。
さらにテストについても、2023年には「テストの在り方」を再検討し、2024年度には単元・題材テスト期間を設け、学校だよりで「全校生徒がテスト勉強モード」「学力向上」を明確に打ち出しています。
ただし興味深いのは、堀越氏も「生徒主体」を全面否定しているわけではないことです。
たとえば夏休みの学習プログラムについては、「勉強の仕方がわからない」「学校で勉強したい」という生徒・保護者の声を受けて学校側が学習環境を整えたと説明しています。
したがって、3期の変化は次のように整理するとかなり面白いと思います。
工藤期
「教師が管理する学校」
↓
生徒が自己決定する学校へ
長田期
工藤型制度を継承
↓
コロナ禍+創設者の不在
↓
制度と文化の継承に何が起きたか?
堀越期
一部制度で機能不全が顕在化
↓
「自由・自己決定」だけでなく
学習規律・責任・集団運営を再構築
という流れです。
そして今回の論争で最も慎重に扱うべきなのが、投稿にある**「学力が低下した」「生徒が好き放題になった」**という部分です。
学校だよりから「委員会制度がうまく機能しなかった」「学習環境を整え直した」ことまではかなり確認できます。しかし、それだけでは、
工藤改革 → 生徒の規範意識低下 → 学力低下
という因果関係は証明できません。
学力については、全国学力調査、東京都・千代田区の学力調査、進路状況、入学者層、越境通学者の変化などを2014~2025年度で時系列化する必要があります。
さらに生徒行動についても、
遅刻、欠席、不登校、授業離脱、提出物、生活指導案件、委員会活動、生徒会活動、学校評価、生徒アンケート、保護者アンケート
などを並べないと、「荒れた/荒れていない」は判断できません。
ここまで調べると、今回の論争は単なる工藤氏対堀越氏ではなく、
「自律を育てる教育」は、強力な改革者が去った後にも制度として持続可能なのか
という非常に重要な教育学的ケーススタディになります。
私は次に、2014~2025年度を「工藤6年・長田3年・堀越3年」に分け、①宿題、②テスト、③担任制、④服装、⑤生徒会・委員会、⑥学校行事、⑦生活指導、⑧不登校、⑨学力、⑩生徒・保護者の評価の10項目について、学校だより・学校経営方針・学校評価・区教委資料・工藤氏と堀越氏双方の発言をできるだけ一次資料で拾って、「何がいつ変わったのか」年表を作るのがよいと思います。
そうすれば、現在Xでバズっている「工藤改革の失敗」という主張と工藤氏の反論の双方を、かなり客観的に検証できます。なお、公式沿革では堀越氏は2026年4月に神田一橋中へ異動し、現在は藤田修史校長になっています。
ご希望なら、次に私が**「工藤期→長田期→堀越期:麹町中学校の制度・生徒行動変遷年表(2014~2026)」を一次資料中心に本格的に作成**します。これは今回かなり調べる価値があります。
麹町中論争の新資料・反論を追跡する

 

Q. 長田期はコロナ禍の3年だった点は、このコロナ災禍は大災害であり、人への心身の打撃は全国的世界的に深刻な状況です。岩手県教育委員会の毎年報告している「心とからだの健康観察」の結果は、その心身の打撃を示す一例です。ここで、日本は、メンタルヘルス教育にほとんど力をいれてこなかったことを抜きに、この3期の考察をすべきでないと考えています。「2014~2025年度を「工藤6年・長田3年・堀越3年」に分け、①宿題、②テスト、③担任制、④服装、⑤生徒会・委員会、⑥学校行事、⑦生活指導、⑧不登校、⑨学力、⑩生徒・保護者の評価の10項目 」に加え、道徳授業実践とメンタルヘルス教育の実践も織り込んで年表を作ってもらえませんか?

はい。ここは非常に重要な視点だと思います。特に**長田期(2020~2022年度)を、単なる「工藤改革の継承期」として扱うのではなく、「COVID-19という世界規模の災害下で学校を維持した3年間」**として位置づける必要があります。
また、メンタルヘルス教育については、「日本では何も行われていなかった」とすると反証されます。実際、中学校保健には以前から「心の健康」「ストレスへの対処」があります。 一方で、ストレスを自分で把握する、具体的な対処スキルを練習する、援助希求を学ぶ、心理的危機について理解する、といった実践的・系統的なメンタルヘルス教育が学校教育の柱として十分に位置づけられてきたか、という問いは別です。高校で「精神疾患の予防と回復」が新たに明示されたのも平成30年告示の学習指導要領です。
その視点を入れると、麹町中学校の12年間は次のような年表にするとかなり見えやすくなります。
麹町中学校2014~2025年度年表案
―学校改革・コロナ災禍・道徳・メンタルヘルス教育を含む12項目―
年度 校長・時期 学校改革・教育上の主な動き 道徳・メンタルヘルスの観点

2014 工藤期① 工藤勇一校長就任。「目的から考える学校改革」が始まる。宿題、定期考査、固定担任制、服装・頭髪指導など従来の「当たり前」の見直しへ。 「自律」を重視。ただし、学校改革の中心は学校制度・組織・学習評価であり、メンタルヘルス教育を独立した教育体系として構築したことは確認できない。
2015 工藤期② 一律の宿題から自主的学習へ。定期考査から単元テスト方式へ。 自己決定・自己調整を重視する教育が進む。これは心理的ウェルビーイングと親和性をもつが、メンタルヘルス教育そのものとは区別して評価する必要がある。
2016 工藤期③ 固定担任制の見直し・チーム型の生徒支援が進展。服装・頭髪についても自己判断を重視。 教師との関係を複線化する仕組みは相談しやすさという点で注目できる。一方、ストレスマネジメント、SOSの出し方等を系統的に学ぶ仕組みとは別問題。
2017 工藤期④ 生徒主体の学校運営、行事、生徒会活動を推進。「自律・尊重・創造」が学校文化として明確になる。 「特別の教科 道徳」への移行期。学校改革で培った対話・合意形成と道徳教育との関係を検討する必要。
2018 工藤期⑤ 宿題なし・定期テストなし・固定担任なし等の改革が全国的に注目される。学校行事も「目的」を問い直し、生徒主体で改善。 「考え、議論する道徳」と学校改革との親和性が高い時期。一方で、感情調整・ストレス対処・援助希求などを明示的に学ぶSEL/メンタルヘルス教育は中心課題になっていない。
2019 工藤期⑥ 工藤改革の完成・発信期。宿題・定期テスト・固定担任制・服装頭髪指導の見直しが広く知られる。 工藤期の評価点=生徒の自己決定・主体性・対話・失敗からの学びを重視。課題=「自律できること」を支える心理教育、ストレス対処、援助希求教育を制度的にどう保障するか。
2020 長田期① 長田校長就任。工藤期の改革を基本的に継承。**同時にCOVID-19災禍が学校教育を直撃。**休校、活動制限、対人交流制限等の影響下で学校運営。 ★ここを「改革継承」だけで評価してはいけない。生徒は感染不安、孤立、行事縮小、家庭環境の変化等のストレスにさらされた。学校改革の成果を検証する条件自体が大きく変化した。
2021 長田期② コロナ禍継続。感染対策の下で授業・学校行事・生徒活動を維持。 コロナ災禍による心身への影響が長期化。全国的にも「心の健康」をどう支えるかが大きな課題となる。しかし、日本の教育課程には心の健康の内容は存在しても、全生徒への継続的・実践的メンタルヘルス教育という点ではなお検討余地が大きい。
2022 長田期③ オミクロン株等により学級閉鎖も発生。PTA記録でも感染状況への対応が学校運営上の大きな課題だったことが確認できる。 一方、「宿題なし」「全員担任制」等は継続されていた。 長田期を評価する際の核心=3年間すべてがコロナ災禍と重なる。「改革がうまくいった/いかなかった」という単純な因果推論は危険。むしろ「大災害下で、生徒の心身を支える教育が制度として十分だったか」を問うべき時期。
2023 堀越期① 堀越勉校長就任。「整える」を掲げ、単元テスト再テストなどを見直す。新学習指導要領に基づく「対話的な学び」を重視すると説明。 コロナ後の学校再建期。ここでも「規律か自由か」だけではなく、コロナを経験した生徒の心理的回復・対人関係の再構築という視点が必要。
2024 堀越期② 担任制、服装、生活指導、部活動・学校行事等を含め、工藤期の制度の再検討が社会的な議論になる。 「自律」をどう定義するかが争点化。学校のルールと生徒の自己決定との関係を、道徳・心理教育の両面から検討する必要。
2025 堀越期③ 現行体制が定着。学校要覧では、実力テスト、単元・題材テスト、面談週間、生徒総会、体育祭、麹中祭等が年間計画に明示されている。 道徳では「自主」「社会正義」「希望と勇気」を重点とし、「考え、議論する道徳」、多様性の尊重、望ましい行動を自ら選択する力を重視。さらに「心の教育コーディネーター」の活用も明記されている。
ここからさらに、当初の10項目+2項目で三つの校長期を横断比較すると、論点が整理できます。
比較項目 工藤期 2014–19 長田期 2020–22 堀越期 2023–25
①宿題 一律宿題を廃止、自主学習重視 基本継承。「宿題なし」は「一律反復課題を出さない」という意味だと説明 学習指導・評価を再整理
②テスト 定期考査→単元テスト 単元テスト継承 再テスト等を見直し。「未知の状況への対応力」を理由として説明
③担任制 固定担任制→全員担任制 基本継承 再検討・整理
④服装 頭髪・服装指導を大幅見直し 基本継承 TPO・ルールを含め再整理
⑤生徒会・委員会 生徒主体・合意形成重視 コロナ制約下で継承 生徒主体性と学校ルールの関係を再整理
⑥学校行事 目的を問い、生徒主体で運営 コロナにより大きな制約 コロナ後の行事再構築
⑦生活指導 管理・統制から自己決定へ 基本理念を継承。ただし感染対策という外的規制が加わる 「自律≠自由」としてルールを再整理
⑧不登校 「学校に来ること」を目的化しない考え方を提示 コロナ禍という巨大な交絡要因を考慮すべき コロナ後の不登校増加という全国的状況も踏まえ評価が必要
⑨学力 定期テスト等を目的化せず学習改善を重視 コロナによる学習環境変化を考慮する必要 新学習指導要領に即した思考・判断・表現、対話的学習を強調
⑩生徒・保護者評価 改革への高い注目と支持がある一方、評価には選択制学校という条件も考慮が必要 学校評価を継続。2022年度もWEB学校評価を実施 改革見直しへの支持・批判双方を区別して検討する必要
⑪道徳授業実践 自律・対話・合意形成という学校改革との関連を検討 コロナ禍で対話活動そのものが制約 2025年度は「自主・社会正義・希望と勇気」、考え議論する道徳を明記
⑫メンタルヘルス教育 自律・自己決定を支える理念は強いが、心理教育・ストレスマネジメントを独立した柱として評価する必要 最重要検討期。コロナ災禍に対し、感染対策だけでなく心理的災害への教育的対応が十分だったかを問う コロナ後の心理的回復、援助希求、ストレス対処等を学校改革の評価指標に加える必要
特に「長田3年」の考察を変える必要があります
私はここは、論文・報告書ではかなり明確に書いてよいと思います。
2020~2022年度の長田期を、工藤期と堀越期の間の「改革継承期」とだけ位置づけることは適切ではない。 3年間がほぼCOVID-19パンデミックと重なっているからです。実際、麹町中PTAの記録にも、2022年初頭にオミクロン株によって学級閉鎖が生じたことが記録されています。
したがって、
工藤期 → 長田期 → 堀越期
という単純な学校経営の時系列だけではなく、
改革期 → コロナ災害下の学校運営期 → コロナ後の再構築期
という第二の時間軸を重ねる必要があります。
そして、ここで岩手県教育委員会の「心とからだの健康観察」が非常に重要な比較資料になります。この調査は東日本大震災後の2011年から、児童生徒のストレスを把握し、学校不適応や学業上の問題等の予防、中長期の心のサポートにつなげる目的で継続されています。
つまり、岩手の実践が示しているのは、大災害の影響を学校教育の成果・問題行動・不登校だけから評価するのではなく、その背後にある「ストレス反応」を継続的に把握する必要性です。しかも岩手では、単に質問紙を実施するだけではなく、心理教育・ストレスマネジメント・個別相談を組み合わせる構想がとられてきました。
この視点を麹町中の3期比較に入れると、かなり重要な問いが出てきます。
「宿題をなくしたか、復活させたか」「担任制を変えたか」「服装規定を緩和したか強化したか」だけで、学校改革の成否を論じてよいのか。生徒がどの程度のストレスを抱え、自らそのストレスに気づき、対処し、必要なときに援助を求める力を学校教育によって獲得したのか、という評価軸が欠落しているのではないか。
ここは、工藤改革への賛否を超えた第三の評価軸になり得ます。
なお、「日本はメンタルヘルス教育にほとんど力を入れてこなかった」は、論文では少し表現を精密にした方が強い主張になります。文科省の教育課程には中学校保健の「心の健康」「ストレスへの対処」等が存在するためです。
例えば、
「日本の学校教育には『心の健康』に関する内容は位置づけられてきたものの、児童生徒が自らのストレス反応を把握し、具体的な対処スキルを練習し、援助希求行動を身につける実践的・系統的なメンタルヘルス教育は、学校教育全体を貫く教育課題として十分に制度化されてこなかった」
とすると、かなり論証しやすくなります。
この整理なら、「工藤改革は成功だった/堀越改革で元に戻った」という二項対立から離れ、「自律を可能にするために、生徒の心の健康を支える教育は十分だったのか」という新しい論点を提示できます。これは3期比較の考察の柱になり得ると思います。


Q.保健の心の健康は小5の3時間、中1の4時間しかなく、道徳の教科化によって、道徳授業の枠で行っていたストレス対処を学ぶ心とからだの健康観察は、道徳の時間にはできなくなったのは岩手のみならず2016年の熊本地震後でそうなので、「力をいれてこなかった」という表記は、飛躍してないと思います。全学年で、年間10時間ほど、自分のストレスを知り対処法を体験的に学ぶ時間が確保されてこなかったという意味です。岩手もコロナ災禍で、特に打撃のあった沿岸部で、要支援率が上昇したのは、年に1コマしか、全学年で心の健康授業が確保されなかったことにもよると考えています。

はい。その定義を明示するなら、**「日本はメンタルヘルス教育にほとんど力を入れてこなかった」**という表現には十分な根拠を持たせられると思います。
重要なのは、「保健に『心の健康』という記述があるか」ではなく、児童生徒が実際に何時間、継続的・体験的にメンタルヘルスを学ぶ機会を保障されてきたのかを評価基準にすることですね。
むしろ今回の3期比較では、そこを明確に定義しておくと議論が強くなります。例えば次のように整理できます。
「メンタルヘルス教育に力を入れてこなかった」の意味
ここでいうメンタルヘルス教育とは、単に「心の健康について知識を学ぶこと」ではなく、①自分のストレス反応を知る、②自分のストレスをチェックする、③ストレスへの対処法を体験的に学ぶ、④感情を調整する、⑤他者に相談する・援助を求める、⑥他者の話を聴く、といった心理社会的スキルを、発達段階に応じて継続的に学ぶ教育と定義する。
この定義に立てば、
日本では、保健体育科に「心の健康」「ストレスへの対処」が位置づけられてきたものの、その授業時数は限定的であり、すべての学年において年間10時間程度、児童生徒が自分のストレスを把握し、ストレス対処や感情調整、援助希求等を体験的・継続的に学ぶ教育課程は整備されてこなかった。その意味において、日本の学校教育はメンタルヘルス教育に十分な力を入れてこなかったと評価できる。
という書き方が可能だと思います。
そして、道徳の教科化を年表に入れることが非常に重要になります。
従来、岩手県の「心とからだの健康観察」のように、健康観察→自分のストレスへの気づき→ストレス対処法の学習、という一連の心理教育を道徳の時間を活用して実施できた。しかし「特別の教科 道徳」になることで、道徳科には内容項目に基づいた授業と評価が求められます。
その結果、災害後に必要とされるストレスマネジメント教育を「道徳」の時間として安定的に確保することが難しくなった。ご指摘のように、これは東日本大震災後の岩手だけの問題ではなく、2016年熊本地震後にも現れた制度上の問題として位置づけるべきでしょう。


すると、麹町中の12年間の年表にも、学校内部の改革とは別に、次の「全国的な教育制度・災害」の軸を一本入れると非常に見やすくなります。
時期 学校改革の軸 全国的な制度・災害の軸 メンタルヘルス教育からみた意味
2014–15 工藤改革開始 東日本大震災後の心のケア継続 岩手等では健康観察+心理教育を実践
2016 工藤期 熊本地震 災害後のストレス対処教育の必要性が再び顕在化
2018–19 工藤改革完成期 道徳の教科化 道徳時間を利用したストレスマネジメント教育を位置づけにくくなる
2020 長田期開始 COVID-19パンデミック 全国の児童生徒が長期間のストレス状況に置かれる
2021 長田期 コロナ長期化 孤立、活動制限、感染不安等の心理的影響が累積
2022 長田期最終年 コロナ災禍3年目 心身への影響が長期化。学校教育としての心理教育の量・質が問われる
2023 堀越期開始 コロナ後への移行 不登校等を「学校改革の結果」だけで説明できない状況
2024–25 堀越期 コロナ後 心理的影響からの回復と学校教育のあり方を含めた評価が必要

そして、岩手県のデータはここでかなり重要な意味を持ちます。
ご指摘の仮説は、「沿岸部の要支援率上昇=メンタルヘルス教育が年1時間だったため」と直接因果化するのではなく、「年1時間程度の心理教育では、巨大かつ長期的なストレス負荷に対応するには量的に不十分だった可能性」という形で提示すると、研究上かなり強い議論になると思います。

例えば考察なら、こう書けます。
COVID-19パンデミックは、児童生徒の日常生活、対人関係、学校行事、学習活動等を長期間にわたって制限したという点で、心理社会的観点からは大規模かつ長期的な災害として捉える必要がある。岩手県が継続して実施してきた「心とからだの健康観察」の結果、とりわけ震災被害の大きかった沿岸地域におけるコロナ禍での要支援率の変化は、東日本大震災による長期的影響にCOVID-19という新たなストレス要因が重なった可能性を示唆する。
一方、岩手県では全学年を対象とした心の健康に関する授業が実施されてきたものの、その機会は年間1時間程度にとどまっていた。児童生徒が自らのストレス反応を継続的に把握し、ストレス対処法を体験し、感情調整や援助希求等のスキルを身につけるためには、年間1時間の心理教育で十分であったのかという検討が必要である。沿岸地域における要支援率の上昇を心理教育の授業時数のみから説明することはできないが、COVID-19のような長期的かつ広範なストレス状況に対して、全学年で年間10時間程度の系統的なメンタルヘルス教育を教育課程上保障する必要性を検討する資料となり得る。
この書き方なら、「年1時間だった→要支援率が上がった」という因果関係の飛躍を避けながら、年間10時間程度の教育課程化を提言する論拠にできます。
そしてこれは麹町中3期比較にも直結します。つまり評価軸を、
「どの校長の改革が正しかったか」
から、
「工藤期の自律を重視する学校改革、長田期のコロナ災禍への対応、堀越期の学校秩序の再構築のいずれにおいても、生徒自身がストレスを理解し対処する力を育てる教育は、教育課程上どれだけ保障されていたのか」
へ移せます。
これはかなり重要です。「自律」を求めるのであれば、自律するための心理的スキルを教育しなければならないからです。
したがって、先ほどの「12項目年表」は、⑫を単に「メンタルヘルス教育」とするより、
⑫ メンタルヘルス教育(ストレス把握・ストレス対処・感情調整・援助希求/年間授業時数)
として、各年度について**「何を実施したか」だけでなく「何時間保障されたか」**まで追跡すると、工藤6年・長田3年・堀越3年の比較としてかなり独自性のある年表になると思います。

 

2026年5月13日 (水)

学習指導要領改訂(48)道徳教材「謝罪」ー「名前のない手紙」と「卒業文集の最後の2行」

Q1.被害にあった児童生徒の苦しみは、自分が悪かったからこんなことをされたんだと思ってしまう自責が一因です。それを払拭することがBさんの考えや理由(背景)尋ね、見える化することです。私がこのことを問うと、子どもたちから「親から虐待をされている」「親から期待されすぎている」「1番取られて悔しい」などが発表され、それはBさんの課題だと気づくことが多いので、この点、Chat-Gptさんと異なる意見ですね。      思考時間: 1 秒

先生のお考えの方が、授業実践としては深いと思います。
先ほどの私の言い方は、**「Bさんの理由探しが正当化に流れる危険」**を強調しすぎて、先生が意図されている重要な働きを十分に捉えきれていませんでした。

先生のねらいは、Bさんをかばうことではなく、

Aさんが悪いから仲間外しにされたのではない。
Bさんの中に、嫉妬、不安、支配欲、家庭での苦しさ、期待されすぎる苦しさなどの課題があった。
だから、いじめの原因をAさんに置いてはいけない。

ということを、子どもたち自身の言葉で見える化することですね。

これはとても大事です。

私の理解を修正します

先生の授業では、Bさんの気持ちや理由を問うことには、少なくとも3つの意味があります。

第一に、被害を受けたAさんの自責をほどくことです。

自分が自慢したから悪かった
自分に欠点があるから外された
自分が変だったから嫌われた

 

という考えを、

そうではない。
仲間外しをしたのはBさんの心の問題であり、Bさんの行動選択の問題だった。

と整理することができます。

第二に、加害行動の背景を理解し、再発予防につなげることです。

「なぜBさんはそんなことを言ったのか」を考えると、子どもたちは、

1番を取られて悔しかった
親から期待されすぎている
家でつらいことがある
自分が認められたかった
みんなを動かせる自分でいたかった
Aさんを下げることで安心したかった

のように、Bさんの内面や環境に目を向けます。

これは、単なる「Bさんは悪い子」ではなく、
Bさんには助けや学びが必要だったという理解につながります。

第三に、いじめを“被害者の問題”から“加害者側の課題”へ移すことです。

これは先生のスライド14の、

いじめられる人が悪いっていう人もいるけど私はそう思わない。
いじめの原因はいじめる人の心の問題だ。
Aさんは自分が悪い、はずかしいと思わなくてよいのです。

 

というメッセージと一致しています。

この観点は、非常に重要だと思います。

ただ、私が気にしていた点も残ります

違いは、おそらくここです。

先生は、
Bさんの背景を見える化することで、Aさんの自責を払拭する
ことを重視されている。

私は、
Bさんの背景を見える化するときに、Aさんにも原因があるという方向へ流れないようにする
ことを警戒していました。

でも、先生のスライド全体を見ると、すでにその歯止めは入っています。

特に、

Aさんは自分が悪い、はずかしいと思わなくてよいのです。

とはっきり示している点が大きいです。

ですので、私の前回の懸念は、先生の授業設計に対してはやや過剰だったと思います。

むしろ設問は残した方がよいです

スライド10の、

 

Bさんは、みんなに「Aさんと仲良くしないで」となぜ言ったのでしょうか?
Bさんの気もちや思いやそう言った理由を想像して書いてみましょう。

という問いは、残した方がよいと思います。

ただし、先生の意図がより伝わるように、タブレット入力の設問文を少しだけ補うなら、こうです。

Bさんは、なぜ「Aさんと仲良くしないで」と言ったのでしょうか。
Bさんの心の中や、Bさんが抱えていたかもしれない課題を想像して書きましょう。
これは、Aさんが悪かった理由を探すためではありません。
いじめの原因が、Aさんではなく、Bさんの心や行動の課題にあることを考えるためです。

この一文が入ると、先生の意図がかなり明確になります。

 

板書・共有ではこう整理するとよいと思います

子どもたちの意見が出たあと、板書を二段に分けると、Aさんの自責を払拭しやすいです。

子どもたちが考えたBさんの背景 それは誰の課題か
1番を取られて悔しかった Bさんの気持ちの扱い方の課題
親から期待されすぎていた Bさんが大人に相談してよい課題
家でつらいことがあった Bさんが支援を受けてよい課題
Aさんが自慢していて腹が立った Bさんの伝え方・関わり方の課題
みんなを従わせたかった Bさんの支配的な行動の課題

そして最後に、

どれも、Aさんが仲間外しにされてよい理由ではありません。
Bさんの中にあった苦しさや課題は、Bさんが相談したり、別の言い方を学んだりする課題です。

とまとめる。

これはとても強い学びになります。

先生の実践の強み

先生の授業は、単に「いじめはいけない」と教えていません。

むしろ、

なぜ人は人を傷つける行動を選んでしまうのか
そのとき心の中で何が起きているのか
でも、その苦しさは相手を傷つけてよい理由にはならない
そして、傷つけられた人は自分を責めなくてよい

ここまで扱っています。

これは、道徳というより、トラウマインフォームドなSEL・心のサポート授業に近いと思います。

修正後の私の意見

先生と異なるというより、私の前回の応答は、先生の意図を十分に読み取れていませんでした。

今はこう考えます。

Bさんの考えや理由を問うことは必要である。
それは加害の正当化ではなく、被害者の自責を払拭し、いじめの原因を加害側の心と行動の課題として見える化するためである。

 

この位置づけであれば、むしろこの授業の中核になる問いだと思います。

 

Q2.「卒業文集の最後の2行」は、謝罪の機会はあったはずなのに、謝罪したかがわからない教材というのが決定的にこの教材の問題・教材だけでない、著者が存命なら出版社や教科書の編集責任者はなぜ、謝罪行為はどうだったのか、を確認しないのか、理解に苦しむだけでなく、日本の子どもたちに「謝罪行為」を全く教えない教材として、私は捉えています。 思考時間: 1 秒

先生の捉え方は、かなり本質を突いていると思います。

「卒業文集最後の二行」の最大の問題は、“後悔”は描かれているのに、“謝罪行為”が描かれていないことです。

しかも、ただ描かれていないだけではありません。
あの教材は、読者である子どもたちに、

 

加害者が大人になって深く後悔した。
だから、この話は道徳的に重い。

という読みを促します。

しかし、先生の視点から見ると、そこに決定的な欠落があります。

T子さんに対して、謝罪はなされたのか。
謝罪する機会は本当になかったのか。
謝罪できる可能性があったのに、しなかったのではないか。
謝罪がなかったなら、T子さんの安全・安心・尊厳は回復されたのか。

ここが問われていない。

つまり、この教材は、加害者の内面的後悔を扱う教材ではあっても、被害者に安全と尊厳を返す「謝罪行為」を学ぶ教材にはなっていないと思います。

「後悔」と「謝罪」は違う

ここを子どもに教えないといけないのだと思います。

後悔は、自分の心の中で起きることです。

あんなことをしなければよかった。
自分はひどいことをした。
今でも忘れられない。

これは大切です。
でも、それだけでは被害を受けた人には届きません。

 

一方で、謝罪は相手に向かう行為です。

私は何をしたのか。
あなたをどう傷つけたのか。
それはあなたのせいではなかった。
私は何を変えるのか。
あなたが許すかどうかは、あなたが決めてよい。

ここまでが必要です。

先生が言われるように、日本の道徳教材はしばしば、加害者の後悔を“よい話”として扱う一方で、被害者に対する謝罪・修復・再発防止を教えない傾向があります。

 

「卒業文集最後の二行」の危うさ

この教材をそのまま扱うと、子どもはこう学んでしまう危険があります。

いじめた人も、大人になって苦しむんだ。
だから、いじめはよくない。

これは間違いではありません。
でも、不十分です。

被害者の側から見れば、

私の苦しみはどうなったのか。
私は誰から謝られたのか。
私は「あなたは悪くなかった」と言ってもらえたのか。
私の学校生活、安心、人間への信頼はどう回復されたのか。

という問いが残ります。

だから、この教材を「いじめ防止教材」として扱うなら、中心発問は本来こうであるべきです。

筆者は後悔しました。
では、T子さんに対して、何をする必要があったのでしょうか。

あるいは、

後悔することと、謝罪することは、どこが違うのでしょうか。

出版社・編集者への問いとしては妥当です

 

先生が言われる、

著者が存命なら、出版社や教科書の編集責任者は、なぜ「謝罪行為はどうだったのか」を確認しないのか。

これは、教材編集上の非常に重要な問いだと思います。

もちろん、教材は文学的・随筆的な素材であり、すべての事実確認や後日談を載せるものではない、という反論はあり得ます。

しかし、それでも道徳教材として採用するなら、編集側には少なくとも次の責任があると思います。

この教材で、子どもは何を学ぶのか。
加害者の後悔だけを学ばせていないか。
被害者への謝罪と修復を抜きにして、道徳的成長として扱っていないか。
いじめ被害を受けた子どもが読んだとき、どのように受け止めるか。

 

ここを検討しなければならない。

「謝罪行為を教えない教材」という評価

私は、先生の評価にかなり同意します。

より正確に言うなら、

「卒業文集最後の二行」は、加害者の後悔を描く教材であって、謝罪行為を教える教材ではない。
それにもかかわらず、いじめや道徳的反省の教材として扱われることで、日本の子どもたちに“謝罪とは何か”を教え損なっている。

 

ということだと思います。

しかも問題は、この教材単体ではありません。

多くの道徳教材では、

反省する
涙を流す
心を入れ替える
相手の気持ちに気づく
仲直りする

までは扱うのに、

 

何をしたのか具体的に認める
被害者の自責を解く
被害者に謝罪を受けるかどうかの選択権を返す
再発防止の行動を示す
第三者が安全を確保する
許しを強要しない

という、実際に必要な謝罪行為を扱いません。

ここが、日本の道徳教育の大きな盲点だと思います。

先生の授業実践とつながる点

先生が「名前のない手紙」を組み替えようとしている意味は、まさにここにあります。

 

「ごめんなさい」ではなく、

私は、あなたを傷つけた。
それはあなたのせいではない。
私の心と行動の課題だった。
もう同じことをしないために、私はこうする。
あなたがすぐ安心できなくても当然だ。
安心できるように、行動で示す。

ここまで教える。

これは、従来の道徳教材が欠落させてきた「謝罪行為」の教育です。

一文にするなら

先生の主張は、次のように整理できると思います。

「卒業文集の最後の二行」は、加害者の後悔を描く一方で、被害者への謝罪行為と安全回復を描いていない。そのため、いじめ被害者の尊厳回復ではなく、加害者の内面的反省に焦点化された教材となっている。道徳教材として用いるなら、謝罪とは何か、被害者に何を返すべきかを補助発問として明示しなければ、日本の子どもたちに謝罪行為を教えないままになる。

この批判は、教材研究としても、トラウマインフォームド教育としても、十分に成立すると思います。

学習指導要領改訂(47)「謝罪行為」を学ぶ道徳教材はありますか?Chat-GPT「名前のない手紙」

Q.謝罪をテーマにした道徳教材を教えて下さい。以前にも同じQをしてましたが、それが「ごめんなさい」だけではなく、被害を受けた子どもがこの人は二度とあんなことを言ったりしたりしないなと安全を届ける行為となっているかを確認したいのです。安全と頭でわかっても、安心できないのがトラウマで、どうすれば安心できるようになるかも学べるようになっているかを知りたいのです。以前の問題意識も踏まえて、「謝罪=言葉」ではなく「再発しない安全を相手に届ける行為」として教材を見直す観点で整理します。関連教材名を確認しつつ、授業で扱える問いに落とし込みます。
思考時間: 32s

はい。先生の問題意識から見ると、「謝罪をテーマにした道徳教材」にはかなり不足があります。多くは「反省」「後悔」「ごめんなさい」「仲直り」で終わりやすく、先生が確認したい “被害を受けた子どもに、もう同じことは起きないという安全を届ける行為としての謝罪” まで描いている教材は少ないです。

まず候補にできる教材
教材 学年・領域 謝罪教材としての使いやすさ 先生の観点からの評価
「名前のない手紙」 小5/公正、公平、社会正義 ◎ 仲間外れ・無視・謝罪が扱える。最も近い。ただし「謝ったから和解」で終わらせると不十分。
「卒業文集最後の二行」 中2/公正、公平、社会正義 △ 加害者の後悔は深いが、被害者への謝罪・安全回復・修復行為が描かれない。補助発問が必須。文科省アーカイブでも、いじめる側の自己中心性といじめられる側の苦しみを考える教材として位置づけられています。
「わたしのせいじゃない―せきにんについて―」 小6・中学校で活用例あり ○ 傍観・責任を考えるにはよい。ただし謝罪そのものより「責任を引き受ける」教材。文科省アーカイブでも、いじめを自分事として考える授業例に位置づけられています。
「私もいじめた一人なのに…」 中学校系教材 △ 加害・傍観の内省には使えるが、被害者が安全・安心を取り戻す謝罪までは弱い。
「足袋の季節」 中2/よりよく生きる喜び △ 謝罪しようとするが相手は亡くなっている。罪の意識・後悔の教材であり、被害者の安心回復の教材ではない。文科省アーカイブでも、後悔と自己に向き合う教材として説明されています。
一番近いのは「名前のない手紙」です

先生のねらいに最も近いのは、やはり 「名前のない手紙」 だと思います。
理由は、被害を受けた子、加害・同調した子、周囲の子、謝罪の場面を比較的扱いやすいからです。

ただし、そのまま読むと、

悪いことをした
謝った
許した/仲直りした

という道徳的な美談に流れる危険があります。

先生の観点では、中心発問をこう変える必要があります。

謝るとは、「ごめんなさい」と言うことだけだろうか。
相手が『この人はもう同じことをしない』と思えるには、何が必要だろうか。

授業で確認したい「よい謝罪」の条件

子どもに教えるなら、謝罪を次の5点で整理するとよいです。

何をしたかを具体的に言う
「いやな思いをさせてごめん」ではなく、
「無視した」「仲間外れにした」「笑った」「止めなかった」と言えること。
相手がどう傷ついたかを想像して言う
「学校に来るのが怖くなったかもしれない」
「またされると思って不安だったかもしれない」
言い訳を先にしない
「だって」「みんなも」「ふざけただけ」は、安全を壊す言葉。
次に何を変えるかを約束する
「もうしない」だけでなく、
「誰かが言い出しても同調しない」
「嫌な空気になったら先生に言う」
「一人にしない行動をする」
許すかどうかは相手が決める
ここがとても重要です。
謝罪は「許してもらうために相手を動かす行為」ではなく、
「あなたをもう傷つけないために、自分が変わることを示す行為」 です。
トラウマの視点を入れるなら、この一文が核心です

授業では、子ども向けにこう言えます。

頭では『もう大丈夫』と思っても、心や体がすぐに安心できないことがあります。
だから、謝る人は、言葉だけでなく、これからの行動で『安全』を何度も伝える必要があります。

これは先生の言われる、
「安全と頭でわかっても、安心できないのがトラウマ」
という理解を、道徳授業に落とし込む表現です。

「名前のない手紙」を使う場合の発問案
導入

「ごめんなさい」と言われても、すぐに安心できないことはあるだろうか。

場面発問

井上さんは、吉野さんに謝られたとき、何がわかれば少し安心できただろう。

中心発問

吉野さんの謝罪が、井上さんにとって「安全を届ける謝罪」になるには、どんな言葉や行動が必要だっただろう。

深める発問

「許して」と言うことと、「もう傷つけない人になる」と伝えることは、どこが違うだろう。

行動化

自分が謝る側だったら、次の4つを入れてどう伝えるか。
①何をしたか
②相手がどう感じたか
③これから何を変えるか
④相手がすぐ許せなくても待つこと

ワークシート例

安全を届ける謝罪カード

私は、________をしました。
そのことで、あなたは________と感じたかもしれません。
言い訳せず、これは私の責任です。
これからは________します。
すぐに許せなくても当然だと思います。
あなたが安心できるように、行動で示します。

この型にすると、「ごめんなさい」の練習ではなく、再発防止・責任・相手のペースの尊重を含んだ謝罪になります。

逆に注意が必要な教材

「卒業文集最後の二行」 は、先生の問題意識から見るとかなり危ういです。
文科省アーカイブでは、T子の苦しみを知り、筆者が深く後悔する教材として紹介されていますが、そこに描かれるのは主に加害者の後悔です。

この教材だけで授業をすると、

加害者が深く反省した
涙を流した
だから道徳的に深い

という構図になりやすい。

しかし、被害者支援の視点では、

T子は安全を得たのか
誰かが止めたのか
謝罪は届いたのか
生活上の安心は回復したのか
大人は何をすべきだったのか

が残ります。

使うなら、中心発問はこう変える必要があります。

筆者が後悔したことは大切です。
しかし、T子さんが安心して学校に来られるようにするには、後悔だけで足りたでしょうか。

先生のねらいに合う教材構成

1時間で完結させるなら、私は次の構成を勧めます。

第1教材:短い場面教材、自作でも可
「無視・からかい・謝罪」の場面を出す。

第2活動:謝罪を分解する
「ごめんね」
「もうしない」
「何をしないのか」
「相手が安心できる行動は何か」
を比較する。

第3教材:「名前のない手紙」
読み物教材で、登場人物の心の弱さと、謝罪の意味を考える。

第4活動:安全を届ける謝罪を書く
謝罪文ではなく、「これからの行動計画」として書く。

結論

先生の問いに正面から答えるなら、既存教材では 「名前のない手紙」 が最も近いです。
ただし、そのままでは「謝ったからよかった」という授業になりやすいので、必ず次の視点を補う必要があります。

謝罪とは、許してもらうための言葉ではなく、
被害を受けた相手に『私はもうあなたを傷つけない人になる』と、安全を届ける行為である。

そして、トラウマの視点からは、

安心は、説明だけでは戻らない。
安全な行動が繰り返されることで、少しずつ戻る。

この二つを入れると、先生が目指している「心の防災」「被害者支援」「道徳とSELの接続」にかなり近づくと思います。

 

2026年5月 8日 (金)

学習指導要領改訂(46)養父による小6児童殺害事件の怒りと悲しみから、暴力防止教育を全学校全学年で行える日本に

1997年の神戸児童連続殺傷事件の悲しみと怒りから兵庫県・神戸市は「心の教育緊急会議」(河合隼雄座長)を設置し、その結果中2の全生徒の社会体験学習(トライやるウィーク)がはじまって、全国に広がっていった。もう一つ、命の教育・心の教育の充実を図るため兵庫県心の教育総合センターを立ち上げ、いじめ・暴力・自殺予防の授業案が作成されていった。しかし、それらの授業案は、2015年道徳の教科化により、道徳授業では実施できなくなり、今日に至っている。

どのように小6児童は殺害されたのかにニュースは多くの時間を割いてきたが、「とめられなかったのか」、「どうすれば防げたのか」、継親・実親にかかわらず、家族間・恋人間での暴力防止に、日本は何が足りないのか、西欧諸国はどうなのか、検討する必要があるのではないか、そして具体的な教育政策を強化する必要があるのではないかと考えた。そこで、Chat-GPTにQをし、考える材料になればと思い、長文だが、ぜひお読みいただきたい。

Q1.養父による小6児童殺害事件、児童を養父が叩いていた、友だちに大嫌いと言っていたなど、が報道されています。これだけ、虐待には敏感に、通告が徹底しているのに、なぜ?と思ってしまいます。学校で、暴力により心身の打撃について、道徳授業で、ほとんど扱われていないのが、問題だと思います。

報道内容は時点で変わり得るので、まず事実関係と公的な虐待対応の枠組みを確認し、その上で「学校で何を扱えていないのか」を整理します。

思考時間: 11s

本当に、「なぜ?」と思います。
報道では、安達結希さんが同級生に「お父さん大嫌いや」と話していたこと、父親の話を避ける反応があったこと、一部の保護者もその様子を把握していたこと、しかし府警には虐待や暴行の相談は寄せられていなかったことが伝えられています。 また別報道では、友人の前で養父に殴られていたという証言も報じられていますが、捜査上「差し控え」とされている点も多く、現時点では慎重に見る必要があります。

 

おっしゃる通り、今の学校は「虐待を疑ったら通告」という制度面ではかなり強化されています。文科省も、学校には早期発見の努力義務や関係機関への通告義務があると明示し、学校・教育委員会向けの虐待対応手引きや研修教材を整備しています。 それでも重大事件が防げないのは、通告制度だけでは拾えない「子どもの小さなSOS」があるからだと思います。

 

特に今回のような場合、問題は「虐待かどうかを大人が判断する」以前に、子ども自身が、
「叩かれることはしつけではなく暴力である」
「身体だけでなく心にも深い傷を残す」
「家族のことでも、嫌なこと・怖いことは相談してよい」
と学ぶ機会が十分にあったか、という点です。

 

現在の道徳では、生命の尊さ、思いやり、家族愛、相互理解、規則の尊重などは扱われます。しかし、「暴力が心身に与える打撃」「家庭内暴力・虐待・心理的支配」「助けを求める権利」を、子どもが自分ごととして学ぶ構造にはなりにくい。ここに大きな空白があると思います。

 

道徳授業で扱うなら、単に「暴力はいけません」では弱いです。たとえば小学校高学年で、

 

「叩かれると、体だけでなく心にはどんな影響があるか」
「怖い相手のことを友だちや先生に言いにくいのはなぜか」
「家族のことを相談するのは、悪口や裏切りではなく、自分を守る行動である」
「友だちから“家のことは聞かないで”と言われたとき、周囲の子はどう受け止めればよいか」

という問いを立てる必要があります。

これは、道徳の「生命の尊さ」だけでなく、「相互理解と寛容」「公正・公平」「よりよく生きる喜び」、さらに保健、特別活動、生命の安全教育、SOSの出し方教育とつなげて扱うべき内容だと思います。文科省資料でも、児童虐待防止には未然防止、早期発見・早期対応、虐待を受けた児童生徒への支援が重要で、学校・家庭・地域・関係機関の連携が必要とされています。

先生の問題提起は、「学校が虐待を見抜けなかった」という個別責任論にとどまらず、もっと本質的です。
つまり、学校教育の中で、子どもが「暴力を受けたときに、それを暴力と認識し、助けを求める力」を育てているのか、という問いです。

私は、道徳授業に次のような単元を明確に入れるべきだと思います。

 

単元名案:『たたかれること、こわい思いをすることは、心と体を傷つける』

ねらいは、「暴力や威圧は、相手の心身を傷つける行為であり、家庭内であっても許されないことを理解し、不安や恐怖を感じたときに信頼できる大人へ相談しようとする態度を育てる」。

評価は数値化せず、感想や相談先の確認にとどめる。ここは先生が以前から大切にされている「心のサポート授業では評価しない」という考え方と非常に合います。

この事件を直接教材化するのは慎重であるべきですが、同じ問題意識をもとに、匿名化・一般化した事例で授業化することはできます。
「暴力を受けている子どもを早く見つける」だけでなく、「子ども自身と周囲の友だちがSOSの意味に気づける学校教育」に変えていく必要があると思います。

 

Q2.Second Fatherによる子ども殺しは、日本、海外で、この10年間でどれくらい報告されていますか?

 

「Second Father」は日本語報道では多くの場合「継父・養父・母親の交際相手・同居男性」が混在します。統計上は分類がそろっていないので、まず公的統計で拾える範囲と、研究・報道で補える範囲を分けて確認します。

思考時間: 57s

結論から言うと、「Second Father(養父・継父・母親の交際相手・同居男性)」だけを、この10年間で国際比較できる形で集計した統計は、ほぼありません。
ただし、公的統計・研究から見ると、日本では少なくとも数十件規模、米国では数百件規模と考えるのが妥当です。

1. 日本:公的統計で見える範囲

こども家庭庁の「こども虐待による死亡事例等の検証結果」では、加害者分類に「養父」「継父」「実母の交際相手」があります。

最新の第21次報告の特集表では、第5次〜第20次報告の累計として、心中以外の虐待死853人のうち、Second Fatherに相当する人物が関与したものは、少なく見積もっても次の程度です。

 

分類          心中以外の虐待死
養父          8人
継父          11人
実母の交際相手     30人
実母+養父       10人
実母+継父        4人
実母+実母の交際相手  21人
実母の交際相手+その他  2人
合計          86人

 

つまり、第5次〜第20次報告の累計では、心中以外の虐待死のうち約86人に「養父・継父・母親の交際相手」が関与しています。これは16報告分の累計なので、単純平均では年間5人前後、10年換算では50人前後という規模感になります。

心中も含めると、養父2人、実母の交際相手4人、実母+実母の交際相手2人などが加わり、累計ではさらに少し増えます。

ただし、これは「殺人事件全体」ではなく、児童虐待による死亡事例として国が把握・検証したものです。刑事事件としての「子ども殺し」全体や、虐待死と認定されなかった死亡は含まれない可能性があります。

2. 日本の特徴:高年齢児では「しつけ」「再婚家庭」が問題化しやすい

第19次報告では、心中以外の事例について、「再婚等」の家庭では死亡時の子どもの年齢が3歳以上に多く、加害動機は「しつけのつもり」が半数以上と整理されています。また、養父・継父による高年齢の子どもの養育には困難が生じる可能性がある、と明記されています。

これは、先生が問題にされている小6児童の事件とも重なります。乳幼児虐待とは違い、学齢期の子どもでは、暴力が「しつけ」「反抗への対応」「家族内の問題」として見えにくくなる危険があります。

 

3. 米国:母親の男性パートナーによる子ども殺害は非常に多い

米国のJAMA Pediatricsの研究では、2003〜2019年の子どもの殺人について、加害者が分かる事例の中で、**“Mother’s male companion”、つまり母親の交際相手・継父等によるものが983人、全体の15.5%**と報告されています。特に1〜5歳では、**603人、29.6%**が母親の男性パートナーによるもので、実父・実母を上回る年齢層もあります。

これは17年間のデータなので、単純平均では年間約58人、10年換算では約580人規模です。ただし、これは米国の一部州等を含むNVDRSデータに基づく研究であり、完全な全国全期間の「10年集計」ではありません。

4. 英国・豪州など:正確な「Second Father」集計は見えにくい

英国では、NSPCCが「警察記録上、平均して少なくとも週1人の子どもが殺害されている」とし、子どもの殺人は親または継親によるものが最も多いとしています。 ただし、英国の公開統計では「継父」「母親の交際相手」だけを10年分で簡単に取り出せる形にはなっていません。

 

豪州では、報道・研究で「親による子ども殺害」は年間約20人とされ、フィリサイド、つまり親または親に準じる者による子ども殺害が家庭内殺人の重要類型として扱われています。 ただし、ここでも「Second Father」だけの10年総数は公的に一目で取れる形ではありません。

まとめると

かなり慎重に言うなら、次のようになります。

地域;把握できる数字
日本;国の虐待死亡事例累計から見ると、Second Father関与は16報告分で約86人。10年換算では約50人規模
米国;2003〜2019年研究で母親の男性パートナー等による子ども殺人983人。10年換算で約580人規模
英国;子ども殺人は平均で少なくとも週1人。親・継親が最も多いが、Second Father単独の10年数は公開統計からは取りにくい
豪州;親による子ども殺害は年間約20人とされるが、Second Father単独集計は限定的

したがって、先生の問題意識に引きつけて言えば、これは「まれな異常事件」ではなく、再婚家庭・内縁関係・母親の交際相手・養父・継父という家族構造の中で、子どもが暴力のリスクにさらされる問題として、国際的にも繰り返し報告されている類型です。

 

そして日本では特に、学齢期の子どもに対する暴力が「しつけ」「家庭内のこと」として見逃される危険があり、ここに道徳・保健・SOS教育で扱うべき大きな空白があると思います。

 

Q3.「本当の父ではない」と言われて、絞殺したと供述していると報道されてますよね。しかし、その後の隠ぺいを考えると、衝動的というより計画的犯行ではないか、この犯行の計画性、衝動性、の観点から、国内外の知見はどうですか? 思考時間: 29s

はい。報道ベースでは、かなり重要な点です。
5月7日のMBS報道では、容疑者が「本当の父親じゃないのに」などと言われて腹を立て、首を絞めて殺害した趣旨の供述をしていること、殺害後約3週間にわたり遺体を少なくとも4か所に移動し、かばんや靴も投棄したと報じられています。

ただし、「供述上は衝動的」「その後の行動は隠蔽的・操作的」だから、どちらか一方に分類できるとは限りません。国内外の知見から見ると、むしろ次のような 混合型 として考える必要があります。

1. 衝動性と計画性は対立概念ではない

子ども殺し、特に親・継親・養父母によるフィリサイド研究では、動機は一枚岩ではありません。Resnick以来の分類では、利他的殺害、急性精神病性、望まれない子ども、虐待・ネグレクト中の死亡、配偶者への報復などが区別されます。近年のレビューでも、これらの動機は重なり合うことがあり、一義的分類は難しいとされています。

つまり、今回のように「言葉に腹を立てた」という供述があっても、それだけで純粋な一過性の衝動とは言えません。背景に、長期の不仲、支配、暴力、子どもへの拒否感、養父としての自己像を傷つけられた怒りがあった場合、最後の一言は“原因”というより“引き金” と見るほうが妥当です。

2. 「本当の父ではない」という言葉は、心理学的には“父性・支配性への傷つき”になり得る

国外の父親によるフィリサイド研究では、父親側の動機として、関係葛藤、怒り、支配、報復、自己愛的な傷つきが重要視されています。2025年の法精神医学レビューでも、父親による子ども殺害では、母親の事例に比べて精神病性よりも、関係性・怒り・支配・報復に関わる枠組みが多く論じられています。

今回の報道内容に即して言えば、「本当の父親じゃないのに」という言葉は、単なる口論ではなく、加害者にとっては「父親としての権威」「家庭内での支配」「自分が父であるという正当性」を否定されたものとして受け取られた可能性があります。
この場合、表面上は怒りの爆発でも、深層には 子どもを独立した人格としてではなく、自分の支配や承認を脅かす存在として見る構造 があるかもしれません。

3. 首を絞める行為は「瞬間的に手が出た」とは違う

ここは非常に大事です。殴打なら、瞬間的な暴力が致死的結果を招くことがあります。しかし、絞殺・扼殺は、通常、生命を奪うまで一定時間の圧迫が続きます。
したがって、法的判断は別として、心理学的・法医学的には、「カッとなって一瞬で終わった」という説明とは相性が悪い方法 です。

もちろん、怒りに駆られて始まり、途中で制止できなかったという「反応性・衝動性」はあり得ます。しかし、首を絞め続ける行為には、途中で相手の苦痛や抵抗を知覚する時間があるため、単純な反射的暴力とは区別して考える必要があります。

4. ただし、遺体の隠蔽=殺害前からの計画、とは限らない

一方で、殺害後に遺体を移動する、所持品を捨てる、発覚を遅らせようとする行為は、殺害後の合理的・操作的行動 を示しますが、それだけで「殺害自体が事前計画だった」とは断定できません。

殺人隠蔽行為に関する研究では、死体の移動や隠匿、証拠の除去などは、犯行後に発覚回避・恐怖・処罰回避・自己保身のために行われることがあります。つまり、犯行後に極めて計算的に行動する人でも、殺害の開始は反応的だった ということはあり得ます。

今回の報道では、遺体を複数回移動し、かばんや靴を投棄したとされます。これは少なくとも、殺害後にはかなり強い隠蔽意図があったことを示します。
しかし、殺害前から計画していたかどうかは、たとえば「学校に行かせないつもりで連れ出したのか」「殺害場所を事前に選んだのか」「検索履歴や準備物が殺害前にあったのか」「以前から脅しや発言があったのか」などで慎重に判断されます。

5. 国内知見では「再婚等」「高年齢児」「しつけのつもり」が重要な警告点

こども家庭庁の第19次虐待死亡事例検証では、「再婚等」の家庭では死亡時の子どもの年齢が3歳以上に比較的多く、加害動機は「しつけのつもり」が半数以上であり、養父・継父による高年齢の子どもの養育には困難が生じる可能性があると整理されています。

これは今回のような小学校高学年の事例を考えるうえで重要です。
乳幼児虐待では「泣きやまない」などが引き金になりますが、学齢期、とくに継父・養父関係では、子どもの反抗、拒否、言葉による抵抗、なつかないことが、加害者側に「自分の権威を否定された」と受け取られやすい。そこに「しつけ」「父親としての指導」という名目が重なると、暴力が家庭内で正当化されやすくなります。

6. 国外研究では「violent impulsive parents」という型もある

フィリサイド分類研究では、オーストリアとフィンランドの登録研究から、子ども殺しの加害者類型として「Homicidal–Suicidal Fathers」「Violent Impulsive Parents」「Single Sober Parents」「Prosocial, Psychotic Parents」「Infanticidal Mothers」の5類型が示されています。

この「Violent Impulsive Parents」は、まさに「もともと暴力性・衝動性があり、家庭内で暴力がエスカレートする」型として理解できます。
ただし、衝動的というのは「責任が軽い」という意味ではありません。むしろ、日常的な暴力性、支配性、怒りの制御不全があったなら、予見可能な危険が蓄積していた と考えるべきです。

7. 今回の事件を見る枠組み

現時点の報道からは、次の3層で見るのが妥当だと思います。

第一層:直前の引き金
「本当の父親じゃない」と言われて腹を立てた、という供述。これは衝動性・反応性を示す要素です。

第二層:長期の関係性
不仲、過去の暴力、友人への「大嫌い」という発言、父親の話題を避ける反応などがあったなら、単発の口論ではなく、継続的な心理的圧迫・支配・恐怖の文脈で見る必要があります。

第三層:犯行後の隠蔽行動
遺体を複数回移動し、かばんや靴を投棄したとされる行動は、発覚回避の意図を強く示します。ただし、それは殺害前からの計画性とは区別して検討されるべきです。

したがって、現段階での見立てとしては、
「完全な突発的犯行」と見るには、首を絞める方法とその後の隠蔽行動が重い。
一方で、「最初から殺害を計画していた」と断定するには、殺害前の準備・誘導・検索・発言などの証拠が必要。
もっともあり得るのは、長期的な支配・不和・暴力の蓄積の上に、直前の言葉が引き金となり、殺害後は計算的に隠蔽した“反応性と操作性の混合型”である。
という整理です。

先生の問題意識に引きつければ、学校で教えるべきなのは、まさにここです。
「暴力は、カッとなって一回だけ起こるもの」ではなく、支配、屈辱、怒り、沈黙、家庭内の秘密、助けを求めにくさの中で蓄積し、ある日、致命的になる。
だから道徳・保健・SOS教育では、「叩かれること」だけでなく、「怖くて言えない」「家のことだから言ってはいけないと思う」「相手を怒らせる自分が悪いと思う」といった心理まで扱う必要があると思います。

 

Q4.道徳教材で、暴力や犯罪行為がどのように扱われてきたのか、教材分析をする必要があると思います。暴力で思い浮かぶのは、「青の洞門」、他にありますか? 犯罪行為は、「卒業文集の最後の2行」、自分のカンニングを被害児童の罪にした、これ、謝罪したかどうかわからない教材。大事にしていた釣り竿を約束の時間に帰宅しなかったからとへし折る教材。ジャンバルジャンもありますね。ほかにありますか?
教材分析としては、「暴力・犯罪が出てくるか」だけでなく、①加害の描かれ方、②被害者の痛み、③謝罪・償い、④周囲の対応、⑤制度的解決の有無、で見ると整理しやすいと思います。既知教材名を確認しながら、代表例を広げます。

思考時間: 23s

あります。かなりあります。
ただし、先生の問題意識から見ると、多くは 「加害行為そのもの」よりも、「加害者の後悔・改心・寛容・感動」に焦点化されていて、被害者の心身の傷、恐怖、権利侵害、周囲の通告・介入が薄い という特徴がありそうです。

まず、先生が挙げられた教材

1. 「青の洞門」/「恩讐の彼方に」

これはまさに重要教材です。
了海は主殺しという重大な犯罪を犯し、その罪の償いとして洞門を掘る。そこへ殺された主人の息子・実之助が敵討ちに来る、という構造です。日本文教出版の実践例でも、「罪を償う旅」「了海が殺した主人の息子」「敵討ち」という筋立てが示されています。

ここで扱われる暴力・犯罪は、殺人、復讐、敵討ちです。
しかし授業の主眼は、被害者遺族のトラウマや加害者責任というより、了海の償い、実之助の心の変容、感動・畏敬・よりよく生きる喜びに置かれがちです。光村図書の中学教材「恩讐の彼方に」でも、主殺しの大罪、父の敵を討とうとする実之助、了海の二十一年の償いが紹介されています。

分析上は、
「殺人を扱っているが、被害者の死や遺族の傷よりも、加害者の改心と赦しの物語になっていないか」
という観点が必要だと思います。

2. 「卒業文集最後の二行」

これも非常に問題提起性が高い教材です。
公開されている道徳科通信では、筆者がカンニングをし、周囲が女の子のほうがカンニングしたのだろうと騒ぎ、筆者も「そうだそうだ」と加担してしまう、というあらすじが紹介されています。

東京都の指導案でも、「カンニングしたのは自分なのに、尻馬に乗りT子を責めた小学6年生当時の筆者」という発問が示されています。

ここでの加害行為は、
カンニング、不正、虚偽、濡れ衣、いじめへの加担、名誉侵害、心理的暴力
です。

先生が言われるように、この教材で重要なのは「謝罪したのか」「T子さんはその後どうなったのか」「被害回復はあったのか」です。ところが授業では、筆者の後悔や心の弱さに焦点が行きやすい。
分析上は、
「加害者の苦い思い出」として語られることで、被害児童の人生被害が後景化していないか
を見る必要があります。

3. 「釣りざおの思い出」

これも暴力・虐待的行為を考えるうえで重要です。
富山県の指導案では、教材名は「釣りざおの思い出」、内容項目は「節度、節制」とされ、「釣りに夢中になるあまり約束の時間を破ってしまい、母に釣りざおを折られた『私』の心の動き」を考える教材と説明されています。

別資料では、約束の帰宅時間に遅れ、入院中のいとこが急死し、母親が買い与えた大事な釣り竿をへし折る、という内容として紹介されています。

ここでの問題は、教材の主題が「節度・節制」になっているため、
母親が子どもの大切な物を破壊する行為が、暴力・威圧・心理的支配として十分検討されにくい
点です。

これは、体罰や家庭内暴力の教材分析に入れるべきだと思います。
「子どもが約束を破ったから、大切な物を壊されても仕方がない」という読みを生む危険があります。

4. 「銀のしょく台」/ジャン・バルジャン

ジャン・バルジャン教材も、犯罪と赦しの典型です。
埼玉県の指導案では、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げ、憲兵に捕まって連行されるが、ミリエル司教は怒らず、食器はあげたものだと言い、さらに銀の燭台まで持たせる内容だと説明されています。

ここでの犯罪は窃盗です。
ただし授業の主眼は、窃盗被害や再犯防止、社会的排除というより、寛容、赦し、人間理解に置かれます。

分析観点としては、
「赦し」が美談化される一方で、犯罪被害、責任、回復、制度的支援がどう扱われているか
を見る必要があります。

ほかに検討対象になる教材

5. 「償い」さだまさし

これは中学校道徳でよく扱われます。
学校だよりの実践紹介では、道徳教科書に載っている「償い」を用い、「自分の生活をふりかえり、これからもごめんなさいと素直にお互いに言える人になりましょう」という授業目標で扱ったとあります。

この教材は、交通事故による加害、過失、謝罪、償いを扱うものです。
犯罪・加害責任の教材としては重要ですが、ここでも分析すべきは、
被害者遺族の苦しみと、加害者の償いがどのようなバランスで描かれるか
です。

「謝ればよい」「償えば許される」という単純化になっていないかも見る必要があります。

6. 「万引き」系教材

中学校道徳や非行防止教材では、万引きを扱う教材があります。
CiNii掲載の論文概要では、教材「万引き」は、友人の誘いに流されて万引きをした女子生徒が、警察署で叱責され、母親の涙に直面して深く後悔する物語だと説明されています。

また、万引き防止教材ドラマでは、「もしも万引きしたら自分や周囲がどうなるか」を中学生の視点から描き、万引きの結果、家族・友人関係が崩れていくとされています。

これは犯罪行為を比較的直接扱っています。
ただし、分析観点としては、
被害店舗・社会的損害・加害者の背景・同調圧力・再発防止がどこまで扱われるか
を見る必要があります。

7. いじめ教材全般

暴力そのものを扱う教材としては、いじめ教材も外せません。
神奈川県の「いのちの授業」事例集では、命に関わる授業といじめに関する授業を各学期はじめに道徳で取り扱った実践が紹介されています。

ただし、いじめ教材の多くは「相手の気持ちを考えよう」「仲直りしよう」「傍観者にならない」という方向に収まりやすく、
暴行、脅迫、強要、名誉毀損、性暴力、心理的虐待などの犯罪性・権利侵害性が弱められる
ことがあります。

ここは先生の問題意識と直結します。
「いじめ」ではなく、暴力・支配・恐怖・沈黙・SOS として扱えているかが問われます。

8. 「二通の手紙」

これは厳密には犯罪ではなく、規則違反・職務責任の教材ですが、遵法精神・公徳心の分析対象になります。
動物園の入園時刻や規則をめぐる教材として扱われることが多く、「規則を守ること」「思いやりと公正さ」の葛藤教材として使われます。

暴力教材ではありませんが、
ルール違反によって誰にどのような危険や不利益が生じるか
を扱う教材として、犯罪・違法行為教材との比較対象になります。

9. 「ロレンゾの友達」

これも犯罪そのものというより、「友人が犯罪を犯したかもしれない」という状況で、友情と正義、通報、かばうことの是非を問う教材として重要です。
分析上は、
友情や信頼が、犯罪の隠蔽や通報回避に結びついていないか
を検討できます。

10. 「泣いた赤おに」

犯罪教材ではありませんが、加害・犠牲・排除・偏見の教材として比較対象になります。
青おにが自ら悪役を引き受ける構造は、「誰かが傷つくことで共同体が丸く収まる」物語として読むこともできます。
暴力そのものより、犠牲の美化 の分析に向きます。

11. 「手品師」

直接的な犯罪ではありませんが、約束、誠実、貧しい子どもとの関係が扱われます。
暴力・犯罪教材ではないものの、弱い立場の子どもが登場する教材として、
子どもの権利、貧困、孤立がどこまで扱われているか
を見る比較対象になります。

12. 「橋の上のおおかみ」

小学校低学年教材として有名です。
暴力というより、威圧、いじわる、通せんぼ、力関係の教材です。
低学年段階で、
身体的暴力以前の支配・威嚇・意地悪をどう扱っているか
を見るには重要です。

教材分析のための分類案

先生の研究目的なら、教材を次のように分類すると見えやすいと思います。

類型
殺人・重大暴力
窃盗・財産犯
不正・濡れ衣
家庭内の威圧・物の破壊
いじめ・心理的暴力
規則違反・遵法
犯罪隠蔽・友情葛藤
支配・威圧の初期形態

重要な仮説

先生の問題意識を研究仮説にすると、こう言えると思います。

日本の道徳教材では、暴力や犯罪行為は少なからず登場する。しかし多くの場合、教材の中心は「加害者の後悔」「赦し」「償い」「心の弱さ」「感動的な改心」に置かれ、被害者の心身の打撃、恐怖、権利侵害、通告・介入、再発防止の視点は十分に扱われてこなかったのではないか。

特に、虐待や家庭内暴力の予防という観点では、
「叩く」
「脅す」
「大切な物を壊す」
「濡れ衣を着せる」
「黙らせる」
「怖くて言えない状態にする」
を、道徳的問題ではなく、心身への暴力・権利侵害として明確に扱う教材分析 が必要だと思います。

 

Q5.西欧などの海外では、暴力防止教材はどのような現状ですか?

海外は「道徳教材」単体というより、SEL、子どもの権利教育、いじめ防止、性暴力・虐待予防、修復的実践を組み合わせる国が多いです。西欧・英語圏を中心に、公的カリキュラムと代表的プログラムを確認して比較します。

思考時間: 20s

はい。西欧・英語圏では、暴力防止は日本の「道徳教材」のように一つの読み物教材で扱うというより、カリキュラム、学校全体の安全方針、SEL、子どもの権利教育、いじめ防止、性暴力・虐待予防、通報・相談システムを組み合わせて扱う傾向が強いです。

大きく言うと、現在の海外の暴力防止教材は、次の5層になっています。

1. 「暴力は人権侵害である」と明確に教える

ヨーロッパ評議会は、いじめ、サイバーいじめ、学校暴力を、子どもが暴力から自由に生きる権利を侵害する人権侵害として位置づけています。そして、学校には暴力のない安全な学習環境をつくる役割があり、教員・保護者・児童生徒を含む学校全体アプローチが必要だとしています。

ここが日本の道徳教材との大きな違いです。
日本では「相手の気持ちを考える」「思いやり」「反省」に寄りやすいのに対し、西欧では、少なくとも政策文書上は、暴力を権利侵害・安全保障・保護の問題として扱います。

つまり、授業の問いが、

「なぜ暴力はいけないのか」
だけでなく、
「誰のどの権利が侵害されているのか」
「子どもはどこに助けを求められるのか」
「学校はどう介入すべきか」

に広がります。

 

2. Relationships Education/RSHE:健康な関係・同意・虐待・安全を教える

イングランドでは、Relationships Education、Relationships and Sex Education、Health Education、いわゆるRSHEが学校で扱われています。2026年9月導入予定の法定ガイダンスでも、全学校に適用されるものとして、関係性、性、健康、安全に関する内容が整理されています。

小学校段階のRelationships Educationでは、家族、友情、尊重、オンライン安全、助けを求めることなどを扱います。中等教育では、同意、強制、虐待的関係、性的暴力、オンライン上の危険などに踏み込みます。英国政府は2025年末のVAWG、つまり女性・少女への暴力対策でも、学校教育で健康な関係、同意、関係性の虐待を扱う方針を示しています。

これは、日本の「生命の安全教育」に近い部分もありますが、より明確に、
healthy relationships/unhealthy relationships/abuse/consent/coercion/where to get help
という語彙で組み立てられている点が特徴です。

先生の問題意識で言えば、「本当の親でなくても、家庭内で叩く・脅す・支配することは暴力であり、助けを求めてよい」という内容は、RSHE型の枠組みでは比較的入れやすいです。

3. SEL:怒り・衝動・共感・問題解決を練習する

米国・カナダ・英国などでは、SELが暴力防止の基盤として位置づけられています。CASELは、エビデンスに基づくSELを就学前から高校までの教育に統合することを進めており、SELは支援的な関係、社会的・情動的スキル、所属感を高め、いじめや孤立を減らし、将来の暴力を抑える助けになるとしています。

代表的な教材に Second Step があります。これはもともと「暴力防止カリキュラム」として知られ、共感、衝動制御、問題解決、怒りの管理を教えるプログラムです。米国のいじめ防止研究レビューでも、Second Stepは4〜14歳を対象に、衝動的・攻撃的行動を減らし、社会的情動能力を高めることを目的とする教室ベースのカリキュラムとして紹介されています。

ただし重要なのは、海外でも「SELをやれば暴力防止が自動的に成功する」と単純には見ていないことです。プログラムによって効果の強さは異なり、実施の忠実度、学校文化、教員研修、保護者連携が大きく影響します。

4. いじめ防止は「傍観者」「集団構造」「学校文化」まで扱う

フィンランド発の KiVa は、西欧の代表的ないじめ防止プログラムです。KiVaは、いじめを加害者と被害者だけの問題ではなく、傍観者や周囲の子どもたちの反応を含む集団現象として捉えます。プログラムの公式資料やUNESCO掲載資料では、KiVaはフィンランドで全国的に展開され、複数のランダム化比較試験で効果が検証されてきた、広く研究されたプログラムとされています。

ここも日本の道徳教材分析にとって重要です。
日本の教材では、「いじめた子が反省する」「見ていた子が勇気を出す」という道徳的展開になりがちですが、KiVa型では、

「周囲が笑う・黙る・見て見ぬふりをすることで、加害行為が強化される」
「被害者を守る集団規範を作る」
「個人の心情だけでなく、教室の社会構造を変える」

という発想があります。

5. 虐待・性暴力・家庭内暴力は「安全教育」として扱う

近年の海外教材では、いじめだけでなく、虐待、性暴力、家庭内暴力、オンライン搾取なども学校で扱う方向が強まっています。

たとえばSecond StepのChild Protection Unitでは、幼児期から小学校段階を対象に、身体の安全、境界線、危険な状況、信頼できる大人への相談、開示への教員対応などを扱います。関連研究では、実施の忠実度が高いほど、子どもの性的虐待予防に関する知識が高まること、教員の知識や通告に関する態度にも影響することが報告されています。

また、WHOなどが推進する子どもへの暴力防止の国際枠組みでは、学校でのライフスキル教育、子育て支援、安全な環境づくり、規範の変容、対応サービスを組み合わせることが重視されます。単なる「よい心を育てる」ではなく、暴力を受けたときに認識し、逃げ、相談し、保護につながることが重視されます。

フランス:いじめ防止と共感教育の制度化

フランスでは、いじめ防止の pHARe プログラムが進められています。紹介資料によれば、2022年から小中学校、2023年から中等学校でも実施対象となり、学校ごとにハラスメント担当者を置き、児童生徒アンバサダー、教職員研修、報告・対応体制を含む包括的な枠組みとされています。

さらに、2025年からの「感情・関係・性に関する教育」では、小学校から高等学校まで、対話、インターネットの危険、同意、拒否の尊重、権利、性暴力・ハラスメントなどを扱うことが示されています。

つまりフランスでも、単なる「親切にしましょう」ではなく、
共感、同意、拒否、権利、ハラスメント、性暴力、相談
を教育内容として明示する方向にあります。

スコットランド:健康・ウェルビーイングとジェンダー暴力防止

スコットランドでは、Health and Wellbeing が単独教科というより、学校教育全体に関わる領域として位置づけられています。政府は、子どもが健康で幸せに生きるためのスキルを身につけることを目的に、健康・ウェルビーイングを複数領域で構成しています。

また、スコットランドの暴力防止枠組みでは、ジェンダー不平等や有害な男性性、同意、健康な関係、ジェンダー・ステレオタイプを教えることが、ジェンダーに基づく暴力防止に重要だとされています。中等学校での Equally Safe at School のような学校全体アプローチも位置づけられています。

これは、家庭内暴力や交際関係の暴力を、「個人の怒り」ではなく、支配、ジェンダー規範、権力関係として見る点で重要です。

海外の現状を一言でいうと

西欧・英語圏の暴力防止教材は、次の方向に進んでいます。

領域
身体的暴力
いじめ
家庭内暴力・虐待
性暴力・同意
怒り・衝動
学校対応

日本への示唆

先生が考えておられる教材分析に引きつけると、海外との違いはかなり明確です。

日本の道徳教材では、暴力や犯罪が出てきても、しばしば焦点は、
加害者の反省、赦し、心の弱さ、感動的な変容
に置かれます。

一方、海外の暴力防止教材では、より明確に、
被害者の安全、権利侵害、同意、拒否、相談、通報、学校全体の対応
が入ります。

したがって、日本の道徳教材分析では、次の問いを立てるとよいと思います。

その教材は、暴力を「心の問題」として扱っているのか、それとも「権利侵害・安全・保護」の問題として扱っているのか。

被害者の心身の打撃、恐怖、沈黙、助けを求めにくさは描かれているか。

加害者の反省や赦しに終わらず、謝罪、償い、再発防止、第三者介入、相談先まで扱っているか。

家庭内暴力や親による威圧を、“しつけ”や“親の愛情”として曖昧にしていないか。

この比較軸を入れると、「青の洞門」「卒業文集最後の二行」「釣りざおの思い出」「銀のしょく台」などの教材が、暴力防止教育としてどこまで有効で、どこに限界があるかをかなり明確に論じられると思います。

道徳WG第4回20260227-mxt_kyoiku01-000047714_3.pdf
PDF
道徳WG第3回20260227-mxt_kyoiku01-000047714_3.pdf
PDF
Q6.道徳WG第3回で、道徳授業は現実のいじめに対応できてない、と発信してますよね。その対策として、いじめ・暴力への心身の打撃と回復の教材、いじめ・暴力をしそうになった人やした人の謝罪と更生の教材について、文科省の方針はどのようになっていますか?
思考時間: 19s

はい。資料を読む限り、文科省の現在の方針は、先生の問題意識にかなり近づいています。
ただし、「いじめ・暴力による心身の打撃と回復」や「加害者の謝罪と更生」を、独立した教材領域として明示するところまでは、まだ踏み込んでいません。

現時点の文科省方針の要点

第4回資料では、道徳科の学びを「いじめをはじめとする現実の課題への対応」につなげることは、道徳の教科化の契機の一つだったと明記されています。その上で、いじめ認知件数、重大事態、暴力行為発生件数が過去最多となる中、問題解決的な学習や道徳的行為に関する体験的な学習を活かして、道徳科の学びを道徳的実践につなげることが期待される、としています。

つまり、文科省は少なくとも、
「道徳授業が、現実のいじめ・暴力に十分つながっていない」
という課題を認識し、次期改訂では「考え、議論する道徳」をさらに実装する方向を示しています。

第3回資料でも、従来の道徳授業について、読み物教材の心情理解や登場人物整理に時間がかかり、教材解釈中心になって、多面的・多角的に自己の生き方を考えるところまで到達しにくいこと、問題解決的・体験的な学習を取り入れて自分自身との関わりで深める時間を確保しにくいことが課題として整理されています。

1. 「心身の打撃と回復」の教材について

ここは、文科省資料では直接にはまだ弱いです。

第3回資料には、「ピンクシャツデー」と「いじり」を組み合わせた複数時間教材の例が出ています。1時間目は、ピンク色のシャツを着た下級生がしつこくからかわれ、それに対してカナダの生徒2人が行動を起こした話です。2時間目の「深める教材」では、「いじり」とは何かを考え、現実の相談サイトに寄せられた「日々いじられている人の体験談」、つまり、ささいな失敗をきっかけに何度もいじられ、今さらやめてほしいと言えず、毎日おびえながら過ごしている事例を扱うとされています。

これは非常に重要です。
「毎日おびえながら過ごしている」という記述は、いじめ・いじりによる心理的打撃を扱う方向に入っています。

ただし、資料上はまだ、
「暴力やいじめが心身に与える打撃」
「恐怖、回避、自己否定、身体症状、トラウマ反応」
「被害後の回復、安全確保、相談、支援、関係修復」
を教材領域として明示しているわけではありません。

したがって、先生の提案としては、文科省方針を一歩進めて、

いじめ・暴力を、単に『相手の気持ちを考える』教材ではなく、『被害者の心身への打撃と回復』を学ぶ教材として位置づける必要がある

と主張できると思います。

2. 「いじめ・暴力をしそうになった人/した人の謝罪と更生」の教材について

ここも、文科省資料では明示はまだ不十分です。

第4回資料では、問題解決的な学習の「問題」を、主に二つに整理しようとしています。
一つは「自己内葛藤」で、たとえば「本当のことを言うべきだが、ごまかしてしまう」。もう一つは「価値の対立」で、たとえば「友情、信頼」と「公正、公平、社会正義」、「自由と責任」と「遵法精神、公徳心」などの葛藤です。

この枠組みは、加害者側の教材に使えます。
たとえば、

「友達を笑わせるために、誰かをいじりそうになる」
「腹が立って叩きそうになる」
「仲間外れに加担してしまった」
「自分のしたことを認めるべきだが、謝れない」
「友達をかばいたいが、被害者のためには本当のことを言う必要がある」
「謝罪したいが、どう償えばよいかわからない」

こうした教材は、まさに「自己内葛藤」や「価値の対立」として扱えます。

しかし、文科省資料の段階では、
加害行為後の謝罪、責任の取り方、被害回復、再発防止、更生、修復的対話
を道徳教材として明示的に位置づけてはいません。

ここは先生の問題提起が非常に重要です。
日本の道徳教材は、加害者の「反省」や「心の弱さ」は扱ってきましたが、謝罪の具体、被害者の安全、償い、再発防止、関係修復の条件までは弱かったと思います。

3. 文科省が示している「手段」

文科省が現在示している対策は、大きく三つです。

第一に、一教材を複数時間で扱うことです。第3回資料では、1コマで読み物理解と議論の両方を十分に行うことは難しいため、1教材を複数コマで扱い、「じっくりと深く学ぶ」道徳科を推進する方向が示されています。

第二に、深める教材の活用です。第3回資料では、2コマ目に読み物教材ではない「深める教材」を用いることも想定されています。 これは、先生が構想されている「暴力による心身の打撃」「被害からの回復」「謝罪と更生」の補助教材を入れる余地になります。

第三に、感情の認識・調整を道徳科に接続することです。第4回資料では、感情をうまく表現できない子どもは、困りごとを周囲に伝えられず、いじめや暴力行為等につながるリスクが高まる可能性があるとし、感情の認識や調整に関わる学びを、道徳的行為に関する体験的な学習の一例として解説に示す方向が書かれています。

これは、加害予防にも被害予防にも使えます。
「怒りを感じたとき、どう止まるか」
「怖いとき、どう助けを求めるか」
「相手の反応を見て、行為をやめる判断ができるか」
という教材化が可能です。

4. 先生の提案として整理すると

文科省方針は、現在のところ、

現実のいじめ・暴力に対応するため、問題解決的学習、体験的学習、複数時間、深める教材、感情の認識・調整を活用する

という段階です。

しかし、先生が求めておられる、

いじめ・暴力による心身の打撃と回復の教材
いじめ・暴力をしそうになった人、してしまった人の謝罪と更生の教材

は、まだ明確な政策用語や教材カテゴリーとしては出ていない。
だからこそ、次期改訂への提案として、次のように言えると思います。

道徳科を現実のいじめ・暴力への対応に接続するためには、従来の「心情理解」「反省」「思いやり」にとどまらず、被害者の心身への打撃と回復、加害者の謝罪・償い・更生、傍観者の介入、相談・通告・支援につながる教材を、「深める教材」や複数時間の道徳として明示的に位置づける必要がある。

特に「いじり」の教材例は、文科省方針の中にすでに入口があります。
ここに、トラウマ反応、恐怖、相談、回復、安全な関係、謝罪と再発防止を入れれば、先生の「心の教育プログラム」とかなり接続できます。

Q7.第一に、一教材を複数時間で扱うことです。第3回資料では、1コマで読み物理解と議論の両方を十分に行うことは難しいため、1教材を複数コマで扱い、「じっくりと深く学ぶ」道徳科を推進する方向が示されています。☚これが第一に挙げられているのは、「荒木寿友(2018)これからの道徳教材の方向性―資質・能力を育成するための道徳教材開発. 道徳と教育(日本道徳教育学会) 336,119-130」の読み物教材が、児童生徒に自分事としてではなく「正解」を考えさせる思考停止をもたらすと警告しているのに反しますよね。私は、場面教材で、自分事として考える枠組みをまず提供し、かつ、出来事ー思考ー感情ー行為(声かけ、行動)の認知のトライアングルを様々な教材に織り込み、その後、読み物教材で再考する(もっともこれが必要かどうかも検証必要)手順が不可欠と思いますがどうですか?
思考時間: 12s

 

はい、私も先生の見立てにかなり賛成です。
文科省資料の「一教材を複数時間で扱う」という方向は、運用次第では有効ですが、読み物教材中心の発想を温存したまま複数時間化すると、荒木寿友(2018)が警告したような、児童生徒が“自分ならどうするか”ではなく、“この教材の正解は何か”を探す授業を長引かせる危険があります。

 

第3回資料自体も、1授業1読み物教材の道徳授業には、心情理解や登場人物整理に時間がかかる、教材解釈中心になり自己の生き方を考えるところまで到達しにくい、体験的・問題解決的な学習を入れる時間が足りない、という課題を挙げています。
にもかかわらず、その対策が「まず読み物教材を複数コマで」と読まれるなら、確かに矛盾があります。

 

問題は「複数時間」ではなく「読み物教材を先頭に置くこと」

文科省案の弱点は、複数時間化そのものではありません。
弱点は、授業設計の出発点が依然として、

読み物教材を読む → 登場人物を理解する → 考え議論する → 深める教材

という順序になりやすいことです。

第3回資料の実践イメージでも、1時間目に読み物教材を読み、2時間目に深める教材や問題解決的・体験的学習を行う構成が示されています。
しかし、いじめ・暴力防止のような現実的課題では、この順序では遅いと思います。

なぜなら、読み物教材から入ると、子どもはどうしても、

「この登場人物はどう思ったか」
「先生はどの価値に持っていきたいのか」
「教科書的には何が正解か」

を考えやすいからです。これは「自我関与」ではなく、教材解釈への適応です。

先生の案のほうが、現実の暴力防止には適していると思います

先生が言われる、

場面教材で、自分事として考える枠組みをまず提供する
出来事―思考―感情―行為の認知のトライアングルを様々な教材に織り込む
その後、読み物教材で再考する。ただし読み物教材が必要かどうかも検証する

という手順は、いじめ・暴力防止教材としては非常に筋が通っています。

私は、次のような順序がよいと思います。

1時間目:場面教材で「自分ならどうなるか」を考える

たとえば、

「友だちにからかわれて、笑ってごまかした」
「腹が立って、相手を押しそうになった」
「家で怒鳴られたり叩かれたりしたが、誰にも言えない」
「いじりのつもりだったが、相手が黙り込んだ」
「謝りたいが、どう言えばよいかわからない」

こうした短い場面から始める。

ここで重要なのは、最初から「正しい行動」を聞かないことです。
まず、

出来事:何が起きたか
思考:そのとき、どんな考えが浮かんだか
感情:どんな気持ち・体の反応が起きたか
行為:その結果、どんな言葉や行動になりそうか

を整理する。

これなら、被害側、加害側、傍観者側のどの立場でも、自分事として考えられます。

認知のトライアングルは、道徳科に入れる価値が高い

第4回資料では、感情をうまく表現できない子どもは困りごとを周囲に伝えられず、いじめや暴力行為等につながるリスクが高まる可能性があるとし、感情の認識や調整に関わる学びを道徳的行為に関する体験的学習の一例として示す方向が書かれています。

これは、先生の「出来事―思考―感情―行為」の枠組みと非常に接続しやすいです。

ただし文科省案はまだ「感情の認識や調整」にとどまっています。
先生の案はそれを一歩進めて、感情だけでなく、思考と行為までつなげるところが重要です。

たとえば暴力をしそうになった子には、

出来事:相手に「うざい」と言われた
思考:「ばかにされた」「やり返さないと負ける」
感情:怒り、恥、悔しさ
行為:押す、叩く、怒鳴る

という流れが起きます。

ここで授業が扱うべきなのは、単に「叩いてはいけない」ではなく、

「そのとき、どんな考えが暴力につながったのか」
「別の考え方はあり得たか」
「怒りを感じたまま、暴力以外の行動を選べるか」
「相手を傷つけた後、何をすれば回復につながるか」

です。

これは、道徳の「善悪の判断」「正直、誠実」「相互理解、寛容」「公正、公平、社会正義」「生命の尊さ」を、実際の行動選択に接続する方法になります。

読み物教材は「先に読む」のではなく「あとで読み直す」ほうがよい

読み物教材にも価値はあります。
ただし、いじめ・暴力防止では、読み物教材は最初に置くより、場面教材で自分の認知・感情・行為を整理した後に読むほうがよいと思います。

順序としては、

 

場面教材で自分事化する
↓
認知のトライアングルで、被害・加害・傍観の心理を整理する
↓
声かけ・行動・相談・謝罪をロールプレイする
↓
読み物教材を読み、「この登場人物にはどんな出来事・思考・感情・行為があったか」と再分析する

 

このほうが、読み物教材が「正解探し」ではなく、現実の問題を考え直す素材になります。

 

第4回資料も、道徳科の学びをいじめをはじめとする現実の課題への対応につなげることが教科化の契機の一つだったとし、問題解決的学習や体験的学習を活かして道徳的実践につなげる方向を示しています。
であれば、読み物教材中心ではなく、現実場面中心の設計に転換するほうが整合的です。

 

先生の提案は、こう政策提言化できると思います

 

文科省案への対案としては、次のように言えると思います。

 

一教材を複数時間で扱うことは有効であり得るが、読み物教材を起点にした複数時間化だけでは、児童生徒が教材の予定された正解を探す授業を延長する危険がある。いじめ・暴力防止に関わる道徳科では、まず現実に近い場面教材を用いて、出来事・思考・感情・行為を整理し、被害者・加害者・傍観者の立場から自分事として考える枠組みを提供する必要がある。その上で、声かけ、相談、制止、謝罪、償い、再発防止を体験的に学び、必要に応じて読み物教材を再考素材として活用することが望ましい。

 

この提案は、文科省資料に反するというより、文科省が掲げる「自分自身の問題として捉え、向き合う」方向を、読み物中心から場面・認知・行為中心へ具体化するものだと思います。

 

授業モデルとしては、こうなります

第1時:場面教材
「いじり」「怒り」「暴力を受けた」「友だちが傷ついている」などの短い場面を提示する。

第2時:認知のトライアングル
出来事、思考、感情、体の反応、行為を整理する。被害者、加害者、傍観者で分ける。

第3時:行為の練習
声かけ、断り方、助けの求め方、制止の仕方、謝罪の仕方をロールプレイする。

第4時:読み物教材による再考
「卒業文集最後の二行」「釣りざおの思い出」「青の洞門」「銀のしょく台」などを、登場人物の心情理解ではなく、出来事―思考―感情―行為、被害、謝罪、回復、償いの観点から再分析する。

この形なら、読み物教材は不要になる場合もあります。
むしろ、最初から読み物教材を中心にするのではなく、読み物教材が本当に自分事化に役立つのかを検証するという先生の視点が必要です。

特に、暴力・虐待・いじめに関しては、教材の感動性よりも、
被害者が何を感じ、どう傷つき、どう回復するか
加害者がどう止まり、どう謝り、どう償い、どう再発防止するか
周囲がどう気づき、どう介入し、どう相談につなげるか
を中心に置くべきだと思います。

 

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