2008年8月 2日 (土)

四川大地震後の心理援助11-中国心理学会Hpより

中国心理学会のHpに、日本チームの活動についての総括と感想が記載されています。

吉先生が翻訳をしてくれました。
http://www.cpsbeijing.org/newsletters/index.htm

北京チームの研修だけではなく、今回の派遣全体について紹介してくれました。

高橋先生は災害が身体・心理に与える影響、PTSDの話、それから記憶の問題などについて話した後、被災者への具体的な援助を行う時に、日常会話の大事さについて指摘されましたとか。冨永先生はリラックス方法、それから子どもを援助するときに、紙芝居とおもちゃなどの活用について実習を含めた研修。小澤先生は二次受傷と過労について話され、援助者のセルフケアとリラックス方法を紹介しました。、織田島先生の動作法は主に肩、腰と背中のリラックスについて教授した。岡嵜先生はロールプレイを通して、我々に援助するプロセスの中、出会う困難と責任について考えさせられました。

 研修紹介のあと、4名の参加者からの感想もあります。
その1:「心理援助は文化から栄養を摂取することを学ばなくては」。高橋先生が話された喪失の文化が大変興味深い。日本と中国は葬式の文化も大変似ていることに驚いたが、中国人は自分の民族に合うような理論と実践の体系を作ればいい。
その2:「日本専門家の研修の総括と感想」。援助隊の名所、服装の統一などは大変参考になったが、一番大事なのは被災者と良好な関係を作ること。1日目の午後の質疑応答は大変良かった。その中に私が2つ質問をした。フラッシュバックをどう処理するか、被災者の抑鬱と自殺をどう対応するか。冨永先生と高橋先生は具体的な回答をしたあと、高橋先生はご自分の体験を語ってくれました。抑鬱と自殺の対応は大変難しいことを教えてくれました。
その3:「災害後の援助は日常から」。高橋先生の日常会話の大切さがとてもよかった。「今日は暑いですね」「食欲がありますか?」「疲れているように見えるので、休みが必要ですね」とか。このような会話を通して、被災者たちの状態と反応を観察して、アセスメントして、援助を行っていく。冨永先生はこどもの援助に「パンダの気持ち」を紹介してくれました。可愛いパンダは地震が起きてから、どのような心理の変化があるのか、それからどのようにしたら、子どもたちは安心を得られるかについて教えてくれました。研修がもう終わって1週間も経ちましたが、研修の場面がよく頭に浮かんできます。日本の専門家に大変感謝です。

その4:
「災害後の援助に関するいくつかの注目問題」。①「形而上学」を捨てる。②心理介入をどう受けとめるか。③心理援助者の身分をどう受けとめるか。④心理検査を使うことを慎重になろう。⑤組織の統一と強化を急げ。

以下、最近のことから。

四川の幹部らが神戸と長岡を訪問し、震災復興の情報を収集にこられたそうです。残念ながら、ハードの復興に関心があったようで、心のケアは注目されなかったのかもしれません。ただ、今回の活動と日本政府が提案している「心のケア」の具体的な取り組みをまとめて、みなさんに一部ずつお渡しいただきました。声が届くといいですが。

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2008年7月10日 (木)

四川大地震後の心理援助10-四川大地震復興計画メニュー

昨夜の日中首脳会談で、「四川大地震復興計画」が提案された。外務省のHpに、項目が列挙されている。

B 健康福祉
 3.社会的弱者(孤児、身障者、高齢者)のケア
 4.被災者の自立支援(生活再建支援金制度の確立)
 5.住宅確保への支援
 6.心のケア(PTSD専門医療機関設置、児童・生徒への相談室設置)
 7.災害救急医療システムの建設

 6.心のケア(PTSD専門医療機関設置、児童・生徒への相談室設置)

「心のケア」がはいったことで、今後、日本からの心理援助の提供に、日本政府として、なんらかの貢献が明記されたことになる。

日本心理臨床学会・日本臨床心理士会の第一次派遣(5月26日~6月1日)と第二次派遣(7月1日~7月8日)の活動が、この項目に、反映されたことになる。文部科学省、外務省の担当官には、心より感謝申し上げたい。

さて、第二次派遣の活動報告記者会見が、12日(土)午後5時から、リーガロイヤルホテル広島にて、行われることとなった。四川の被災地の様子と、心理援助を展開する中国心理学会、西南大学、西華大学での研修の成果が報告される。

被災地での活動の一部は、「ある日のコバ研」をお読みいただければと思う。

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2008年6月28日 (土)

四川大地震後の心理援助9-四川地震被災者へのマスメディアの関心を

 阪神淡路大震災から約2ヶ月後、地下鉄サリン事件が起きた。被災地のメディアは、さーっといなくなった。被災者が、興奮期からうつ期にはいるのと時を同じくして、メディアが消えていった。単発のイベントは、祭りのあとの深い寂しさだけを残していった。

 しかし、「四川」という言葉をgoogleで検索すると、おおきなプロジェクトが2つ掲載されていた。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080627/tnr0806272331018-n1.htm
四川大地震被災者支援へコンサート

http://mainichi.jp/select/world/news/20080628ddm002030084000c.html
中国・四川大地震:復興で協力、日中首脳会談で合意へ

前者は、ジュディオングさんをはじめとする歌手たちのチャリティコンサートの企画だ。

後者は、日本政府のプロジェクトだ。

民官両方で、四川大地震の被災者を支援しようとする試みだ。

 「四川大地震こころのケアーチーム」(日本心理臨床学会・日本臨床心理士会)の第一次派遣、第二次派遣は、できれば、日本政府の支援がほしい。第二次派遣では、格安運賃チケットを手配しても11名の航空運賃だけでも150万円は支出することになる。学会の会計だけで支弁するには、心苦しい。

 いくつかの国際ボランティアへの基金をあたってみた。しかし、どこも、今年度の事業計画は、すでに昨年度の申し込みにて終了しているとの返事であった。少しでも、補助をだしてくれる団体・企業はないのだろうか。

 日本心理臨床学会は、Hpに第一次派遣の報告を掲載している。

http://www.ajcp.info/download/ShisenReport1.pdf

 「お金が欲しい!」と声高に叫ぶのは、どうも品がない。しかし、継続支援には、資金は必要だ。新潟中越地震で、ながく「リラックス動作法」を被災者に提供していった長岡チームに、日本臨床動作学会大会の折に募金を呼びかけ、ボランティアの交通費(高速自動車道を使って若い臨床心理士たちのチームを派遣していたので)にあててもらった。

 兵庫教育大学梶田学長は、第二次派遣のことで、色々と助言してくださった。そして、中国で使う中国語に翻訳した心理援助の冊子の印刷代と国際郵送費などを学長裁量経費で支出してくださった。「国際交流だから、がんばっていってらっしゃい」と声をかけてくださった。ありがたかった。

インドネシア・アチェのコーディネーター・フェルナンデスさんから最近メールがきた。「トラウマのアンケートを316名回収しました」と。ツナミから3年半、被災者の苦しみはどれほど癒えているのか、データを手にする日が待ち遠しい。もちろん、トラウマのアンケートには、心理教育のリーフレット(絵入り)を作成して、担任に読んでもらい配布した。自由記述にどのようなことを中学生が書いているだろう。八月にアチェで開催されるトラウマシンポジウムで発表したい。

いよいよ、来週、中国を再び訪問できる。西南大学の副学長先生、心理学院の李教授はじめチョウ先生、湯先生、おおくの人との再会も楽しみだ。

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/hyogo/080625/hyg0806250314002-n1.htm
中国・四川大地震で心のケアチーム再派遣 兵庫教育大などの専門家11人

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001169764.shtml
紙芝居で心のケア 「パンダの気もち」中国の被災児童へ

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080614/trd0806141100007-n1.htm
心のケア教材・紙芝居「パンダの気もち」 中国・四川大地震の被災者へ

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2008年6月26日 (木)

四川大地震後の心理援助8-再び中国へ

 7月1日~8日、四川大地震後の心理援助について、中国の心理士へ日本のノウハウを伝えるために、再び中国を訪問します。

 第二次派遣です。今回は、11名でチームを編成し、1-3日は、北京グループと重慶グループの2班に分かれます。

 北京では、中国心理学会の本部で、重慶では、西南大学心理学院にて、それぞれ2日間の研修・意見交換を行います。3日の夜に、北京グループは、重慶に飛びます。4日は、西南大学を訪問中のアメリカチームを交えて、中米日の「被災者への心理援助」に関するシンポジウムが予定されています。その夜、11名で、成都に向かいます。おそらく列車での移動になると思います。

 5日~7日は、2班にわかれて、1班は、西華大学での研修、もうひと班は、被災地に出かけ、地域心理援助ステーションを訪問します。

 私たちは、被災者に直接出会いかかわるのではなく、地域で活動する心理士のみなさんに、日本での災害後の心のケアのノウハウを伝え、アジアでの災害後の心のケアについて、いっしょに考えていくのが目的です。

 今阪神淡路大震災を振り返れば、当時、河合隼雄先生が、「地震の絵や作文をかかせることが心のケアではない」とメディアを通じて何度も繰り返しメッセージを送ったことを思い出します。当時、アメリカからディブリーフィングの考えが推奨されて、マスメディアは「怖い感情をはき出しましょう」とメッセージを送りました。しかし、9.11以降、災害後のディブリーフィングは、世界的に、評価されなくなり、むしろ、有害である、との見解も一般的になりつつあります。

 また、河合先生は、「悲しみを中心に据えて日常生活をしっかり送りましょう」と朝日新聞に掲載した記事をいまでも覚えています。それは、神戸児童連続殺傷事件(1997)の時に掲載されたと記憶しています。

 Stroebe M, Schut H が、Dual process modelを提案したのが1999年ですから、それに先駆けていたわけですね。.

 第一次派遣で出会った中国の人たちとの再会を心待ちにしています。そして、あらたに出会う中国の人たちとの出会いも楽しみです。

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2008年6月11日 (水)

四川大地震後の心理援助6-感恩の歌

 西南大学の教員・学生の真剣なまなざしと、あたたかな心は、チームメンバーに深い感動を与えました。派遣最終日の前日、西南大学のボランティアチームが、私たちに手話つきの歌を披露してくれました。吉先生をみると、ぼろぼろと涙を流していました。その歌詞をあとで、湯先生が翻訳して送ってくれました。ボランティアチームは、一日の活動を終えて就寝する前に、みなでこの歌を歌うそうです。

    「感恩の心」の歌は、http://youtube.com/watch?v=zmxNPPwvwd0&feature=related です。

  西南大学の湯永隆先生が、歌詞と日本語訳を送ってくれました。

感恩的心

作词:陈乐融 作曲:陈志远 编曲:terence teo

 我来自偶然 像一颗尘土
 有谁看出我的脆弱
 我来自何方 我情归何处
 谁在下一刻呼唤我
 
 天地虽宽 这条路却难走
 我看遍这人间坎坷辛苦
 我还有多少爱 我还有多少泪
 要苍天知道 我不认输
 
 感恩的心 感谢有你
 伴我一生 让我有勇气作我自己
 感恩的心 感谢命运
 花开花落 我一样会珍惜
 
 我来自偶然 像一颗尘土
 有谁看出我的脆弱
 我来自何方 我情归何处
 谁在下一刻呼唤我
 
 天地虽宽 这条路却难走
 我看遍这人间坎坷辛苦
 我还有多少爱 我还有多少泪
 要苍天知道 我不认输
 
 感恩的心 感谢有你
 伴我一生 让我有勇气作我自己
 感恩的心 感谢命运
 花开花落 我一样会珍惜
 感恩的心 感谢有你
 伴我一生 让我有勇气作我自己
 感恩的心 感谢命运
 花开花落 我一样会珍惜

 日本語訳:

  感謝の心

 歌詞:陳楽融 曲:陳志遠 编曲:terence teo

 偶然から生まれた 小さな塵のように
 私の脆弱なことは誰がわかるだろうか
 どこから来て 心はどこへ行き着くだろう
 次の瞬間私の名を呼んでくれるのは誰だろうか

 広い天地に 狭い道
 人生のつらさはたくさん見てきた
 私はまだ愛せるか 私はまだ涙を流せるか
 天に告げて 私は負けないよ

 感謝の心 感謝するよ あなた
 一生そばに居てくれて 自分らしく生きる勇気をくれた
 感謝の心 感謝するよ 運命
 花は咲いては散るが 私はすべてを大切にする
 
 感謝の心 感謝するよ あなた
 一生そばに居てくれて 自分らしく生きる勇気をくれた
 感謝の心 感謝するよ 運命
 花は咲いては散るが 私はすべてを大切にする

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四川大地震後の心理援助5-災害直後の心理援助3原則が中国のマスメディアに掲載されました

吉 沅洪先生からのメールで、災害後の心理援助3原則が、中国の新聞に掲載されていることがわかりました。
以下、吉先生からのメールです。

北京でもっとも発行量の多い新聞、「新京报」に「冨永三原則」が掲載されたようです。そのことが、また新華网xinhuanet に乗っています。

 掲載を投稿してくださったのは、朱永新先生、蘇州大学の心理学教授です。現在中国人民大会常任委員、民進党中央副出席を務めている方です。

 最後に、「这些原则具有重要参考意义。现在,许多心理救援队伍匆匆赶到灾区,有的队伍缺少长期考虑与安排,如果后续工作不能及时跟上,今后将会出现很多新问题。」は:これらの原則は重要な参考意義を持っています。現在、多くの心理援助チームが急いで被災地へ出かけ、その中に、長期な計画と考慮を持っていないものもあります。もし継続な援助がタイムリーにできなれば、今後多くの問題が発生するでしょう。」
 
http://news.xinhuanet.com/comments/2008-06/09/content_8328840.htm

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 世界的にも、これほど、組織的に、災害後の心理援助が行われたことはなかったと思います。中国でTVをみますと、中国の国民すべてが、心理援助に高い関心をもっているようでした。そして、日本の緊急救助隊の母子を囲んで黙祷している場面が、繰り返し、CCTVで流れていました。
 「安心」は、日本語も中国語も、まったく同じで、発音も同じです。中国から日本に臨床心理学を学びにたくさんの留学生が来ています。今回の災害後の心理援助(心のケア)については、地震大国日本が経験してきたことを、精一杯伝える義務があると思います。

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2008年6月 3日 (火)

四川大地震後の心理援助4-世界に発信したい災害直後の心理援助基本3原則

5月26日~6月1日、中国重慶・成都・徳陽を訪問しました。

私たちは、被災者を支援する現地の心理士・学生・医師への研修・質疑応答にあたりました。被災者に直接かかわることはしておりません。以下の3点は、支援に入る前から考えていましたが、災害直後の心理援助の原則として、つよく世界に発信したいメッセージです。

1,継続してケアできない心理援助者(グループ)は、被災者への直接関与をしてはいけません(接触するときは、現地の対人援助職者(心理士・教師など)と一緒にすること)。

2,恐怖の感情表現を促すこと(地震の絵や作文を描かせる、地震の時の体験を尋ねる等)は、安全感のない空間(継続してケアできない人、災害直後)では、二次被害を与えるので、決してしてはいけません。

3,トラウマのアンケート(IES-RやPtsr-edなど)は、アンケートのみ実施することは、二次被害を与えます。必ず継続して関与できる人が、トラウマと喪失の心理教育を同時に実施してください。また、個別のカウンセリングが実施できる体制で行って下さい。

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2008年4月20日 (日)

ディブリーフィング(debriefing)から心理的応急法(psychological first aid)へ

日本トラウマティックストレス学会第7回大会が福岡で開催されている。

基調講演は、「How should we coordinate?」U.Schnyder(チューリッヒ大学)であった。

 ミッチェルのdebriefingが、さまざまな検証により、その効果が実証されず、いまは、Psychological first aid(心理的応急法;PFA)が推奨されるという講演であった。とりわけ、感情表出に焦点をあてたdebriefingは、回復を遅らせるというエビデンスも紹介していた。そして、PFAでは、家族や仲間のサポートを重視し、専門家による被災者・被害者への直接的介入を慎重にすべきだと提唱している。すなわち、”家に帰って休みたい”と被災者が言うなら、”専門家とすぐにでも会った方いい”とは、決して言わない方がいいですよと。また、PFAにおいては、”その出来事の詳細を尋ねないでください(Not debrief)”ということが記されている。

 あの阪神淡路大震災のあと、debriefingがアメリカから紹介され、違和感を覚えたのは私だけではなかった。今は亡き河合隼雄先生は、”むりに聞きだそうとしないで”とマスメディアを通して、何度もメッセージを送った。

 河合先生は力動論的立場のわが国の代表者であるが、当時の災害後の心のケアの視点は間違っていなかった。

 もともと救援者のための精神的心理的方法として開発されたdebriefingを、自然災害や事件の被災者被害者に適用しようとした点から、無理があったのであろう。

 しかし、PFAにしても、その方法を受け入れることには慎重でありたい。どうもわが国は、アメリカで生まれたものを無批判で取り入れすぎる。わが国にあった、アジアにあった災害支援を確立すべきであろう。

 今日は、日本ストレスマネジメント学会と日本トラウマティックストレスマネジメント学会のコラボレーションのシンポジウムを、津田彰先生(久留米大学)と企画している。学派を超えたアプローチを提案したい。

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2008年2月29日 (金)

柏崎こころのケアセンター開所式-専門相談員に臨床心理士がいないという寂しさ

 新潟日報(2008.2.14)によれば、柏崎こころのケアセンターの開所式が14日に行われたと報じています。その記事をみると専門相談員は「作業療法士と看護士」とのこと。

 うーん!臨床心理士が国家資格であれば、ここは、臨床心理士が配置されていますよね。阪神淡路大震災のあと精神科医のN先生がながくセンター長を務めたのですが、N先生はよくおっしゃっていました。「臨床心理士はとてもがんばったんですよ」と。だから、こころのケアセンターには、何人もの臨床心理士が活動しましたよね。

 はやく心理士の国家資格ができないと、いろんなところで、市民の「こころのケア」に、心理士が関与できないことになってしまいますね。 

被災者の心のケア施設が開所

 中越沖地震被災者を支援する「柏崎地域こころのケアセンター」が柏崎市役所前の民間ビルに設けられ、14日、開所式が行われた。センターには作業療法士と看護士の専門員二人を配置。近く電話で悩み相談を受け付けるホットラインを開設するほか、PTSD(心的外傷後ストレス障害)予防の講演会などの事業を行っていく。

 センターは県精神保健福祉協会が中越沖地震復興基金から補助金を受け運営する。同地震で災害救助法が適用された柏崎市や刈羽村など10市町村が対象エリアで、設置期間は2011年まで。

 開所式には保健所や病院関係者ら30人余りが出席。同協会の田中政春中越支部長は「被災者の心のケアは中長期の視点で行う必要がある。関係者が密接に連携していきたい」とあいさつ。同センター事業運営会議の運営委員長の松田ひろし・柏崎厚生病院長は「地元精神科医療機関としても協力したい」と述べた。

 県内の心のケアセンターはこのほか、新潟(新潟市)と、中越大震災復興基金で設けられた中越(長岡市)、魚沼(小千谷市)があるが、中越と魚沼両センターは来月、魚沼から名称変更する小千谷地域こころのケアセンターに統合される。

新潟日報2008年2月14日

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2008年2月16日 (土)

子どもの心のケアシンポジウム(文部科学省)

文部科学省は、「子どもの心のケアシンポジウム」を2008年3月21日に開催します。

そこで、基調講演「災害時における心のケアについて」 【14時10分~15時10分(60分間)】 をします。

 災害(事件・事故を含む)後の心のケアのあり方と、平時の「心の授業」について話そうと思っています。

その後に、シンポジウムが開催されます。

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2008年1月19日 (土)

生きていること-震災特集から

1月17日朝日新聞夕刊に、感動的な記事が掲載されている。

震災で亡くなった米津漢之君(当時小1年生)のお父さんが漢之君の母校芦屋精道小学校で、17日の朝、児童の前で語りかけた。「20歳の君の姿を見ることができないのが本当に悔しい」と。お父さんが亡き息子たちのことを語ろうと決めたきっかけは、漢之君といつもペアで行動していた小6の少女の作文だった。

この少女の作文がすごい。最後を引用しよう。

「生きていること。それは、困難のかべにぶつかりそれを乗りこえること。約束された死までの時間を輝くものにすること。

 死んでしまうこと。それは、輝く人生を終え、他の人の心の中で、永遠に生きてゆくこと。」(吉田さん)

少女の作文がくれた勇気 子を失った父親は語り継ぐ

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2008年1月11日 (金)

阪神淡路大震災から13年-じーんとくる記事

もうすぐ阪神淡路大震災から13年目の日がくる。

読売新聞関西に胸がじーんとくる記事が掲載された。

山下吏良さんの体験を聴きたくなった。あれから13年。それぞれの13年。こういった記事に出会うと、事件後のメディアスクラムのマスメディアのイメージが変わる。

確かに、メディアは、人とひとの心をつなぐ力がある。

あのとき始まったもの――「心のケア」

<上>仮設でマイク向けた記者は自衛隊の臨床心理士になった

 山下吏良(りら)(35)は、昨年12月末、広島県江田島市の海上自衛隊幹部候補生学校を卒業した。2か月の訓練期間中、臨床心理士である山下に、上官や同僚がよく話し掛けてきた。何年も前に大災害現場で遺体収容に携わった体験を語り、「今でも涙が出る」「寒気がする」と。ひそめるような声の調子が、弱音を許されず、何年も抑え込んできただろうことを思わせた。
 自衛隊が臨床心理士の採用を始めたのは2004年。山下を含め9人が隊員らのカウンセリングに当たる。ひたすら強くあることを求められてきた組織が今、隊員の「心のケア」に目を向ける。「以前なら考えられなかったこと」と、防衛省の担当者がいう。
 日本人の「心」を取り巻く環境が、1995年1月17日の阪神大震災を機に一変した。山下はその震災を、テレビ局記者として体験している。
 発生当初、神戸大学病院の呼びかけで全国から精神科医が駆け付けた。目的は慢性の精神疾患患者への支援で、一般被災者に起こる事態は想定していなかった。

 幹部候補生学校卒業後、山下さんは海上幕僚監部所属となり、自殺した隊員の家族、同僚のケアに当たる

(広島県江田島市で)=前田尚紀撮影

 突然泣き出す人や余震に震えが止まらぬ人、不眠の人。医師らは、避難所の異変に驚いた。邦訳された数少ない専門書を奪い合うように読み、PTSD(心的外傷後ストレス障害)について学ぶと、まさに目の前で起こっていることが、それだった。
 「PTSDについて詳しく知る精神科医はほとんどいなかった」。04年にできたPTSDの研究機関「兵庫県こころのケアセンター」副センター長、加藤寛(49)が打ち明ける。
 ましてや一般の人が知るわけはない。
 「何をする人たち」と、兵庫県臨床心理士会理事の高橋哲(56)らは避難所でよく質問された。カウンセリングだと説明し、話を聞こうとすると、「病気扱いするな」と煙たがられた。
 だが、そんな空気は、急速に変わる。
 おびただしい量の震災報道の中で、新聞やテレビはPTSDの事例を詳しく紹介した。「心のケア」というやわらかな言葉とともに、心の傷と癒やしへの関心が一気に高まった。
 震災の年、文部省(現文部科学省)は子どもの心に目を配る学校カウンセラーを全国の小・中・高校に配置し始めた。
 大きな事件事故や災害の際、自治体が臨床心理士会などに心のケアの専門家の派遣を要請することは、いわば定石となった。緊急時に学校に派遣できる精神科医や臨床心理士、保健師らの「こころの緊急支援チーム」を持つ自治体もある。
 震災から10年近く後の04年10月、高橋は中越地震の被災地に駆け付けた。「よく来てくれた」と被災者に歓迎された。あの震災の影響の大きさを、つくづく感じずにはいられなかった。
 テレビ局記者時代の山下の、痛恨の思い出。96年1月、震災1年の企画取材をしていた。神戸市内の仮設住宅で被災者にマイクを向けた。「あなたの夢や希望を教えて下さい」
 「あるわけないやろ」。震災で妻を失った男性は、涙をうかべた。大きな喪失を体験した人に相対する覚悟も準備も、まるでなかったことを悔いた。
 00年10月、別の局のキャスターとして、鳥取県西部地震を取材した。避難所で、今度はカメラを回さず、ぽつんと独りでいる高齢女性の隣に座った。
 女性は、余震が怖く涙が止まらないことや、いつ家に帰れるかわからない不安を話し、「聞いてもらってホッとした。ありがとう」と、笑みをうかべた。
 「人を癒やす仕事がしたい」。山下がテレビ局を辞めて臨床心理士になるために大学院に入学したのはその3年後。自衛隊を選んだのは、被災地のために黙々と汗を流していた隊員らの姿を思い出したから。
 「自衛隊を泣きたいときに泣ける組織にしたい」と思う。
 震災後に設置が始まった臨床心理士養成の大学院課程は、今146校。臨床心理士は震災前の4倍の約1万6000人に達する。精神科医や臨床心理士、保健師ら250人で02年に設立した「日本トラウマティック・ストレス学会」の会員は1200人になった。「心のケアバブルのよう」。震災前からPTSDに目を向けてきたある医師は、激変ぶりをそう言い表した。
 心の傷に対処しようと策を重ねてきた13年。それは、私たちの心が何と寄る辺のないものかと知る道のりでもあった。
 (敬称略)

 見回せば、震災を機に生まれ、あるいは大きく変容したものがいくつもある。あの地震はどんな時代に起き、何を変えたのか。
(2008年01月11日  読売新聞)

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