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2008年11月30日 (日)

そんなとき、臨床心理士への相談が救いになった

「そんなとき、臨床心理士への相談が救いになった」

  この一言の重みは、なんと表現したらいいのだろう。「被害者支援」という概念を超えるものだと思う。心理療法やカウンセリングでは、世界的には、認知行動療法が全盛だ。犯罪遺族の認知行動療法も開発されている。トラウマの場面の語り、亡くなった人とのよき思い出を写真などを通して語る、そしてイメージの中で故人と語る、そういったプログラムで構成されている。私も、犯罪遺族のカウンセリングや自助グループに立ち会っている。それらのいずれも回復に重要な心理的過程であることは間違いない。しかし、それを短期間で、カウンセラーなりセラピストが、”与えよう”とうすると、うまくいかないのではないかと思う。

  トラウマの長時間暴露療法のある講師は、「共感性の乏しい人はこの方法は使わないでください」と言っている。認知行動療法は、クライエントへの豊かな共感性が前提なのである。

 この事例では、おそらく認知行動療法を主軸にしていないと思う。おそらく、「支援する-支援される」という関係性を超えた関係性で、この犯罪遺族の方とかかわってきたのではないかと思う。

 いま、認知行動療法を研究する人の中に、精神分析やクライエント中心療法を排して、心理士の資格化をすすめようとする人がいる。それは間違いだ。もちろん、エビデンスを重視することには、異論はない。エビデンスを大切にしながら、お互いの技法や理論を切磋琢磨し、支援の方法と理論を充実していく時代にきている。この記事を読みながらそう思った。

一家6人殺傷 「許せぬが、恨まず」 大分市でフォーラム 遺族の父 心情語る


2008年11月30日 01:30 カテゴリー:九州・山口 > 大分
 犯罪被害者支援フォーラム(大分被害者支援センター主催)が29日、県庁で開かれ、旧野津町(現・臼杵市)で2000年に発生した一家6人殺傷事件で、加害者男性=当時(15)=から長男ら3人を殺傷された男性(51)が「相手は許せないが、恨まない」との思いで家族の幸せをたぐり寄せようとしてきた8年間を振り返った。

 「どうして涙が出るのか、私にも分からない。被害者の心が癒えることはない」。男性は壇上で目頭を押さえた。

 8年前の夏。15歳の少年がナイフで長男ら6人を刺した。長男は亡くなり、長女と次男もけがを負った。

 長女と次男に病室で、母親ら3人の死を伝えた。「相手を許さなくていいから、恨まないでほしい」。恨んで生きても幸せになれない。そんな思いだった。

 それでも自らを責めた。「命は普通にあるものだと、あぐらをかいていた。私自身に責任がある」。そんなとき、臨床心理士への相談が救いになった。「じっと聞いてもらえることが、つくづく大事だと思った」

 事件から8年が過ぎ、加害者男性から反省状況などの報告が年2回届く。35歳までの“約束”だ。「手紙で心情を教えてくれる。本当に反省しているなら35歳を過ぎても手紙がほしい」と願う。

 男性は臨床心理士や弁護士ら支援者に囲まれて訴えた。「被害者を絶対に1人にしない。力を携えて生きていく世の中になれば、長男が生きていた証しになると思う」

=2008/11/30付 西日本新聞朝刊=

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2008年11月24日 (月)

「心のノート」は「道徳ノート」-わが国も「心理健康教育」の導入を!

私は、これまで、道徳に、「怒りのコントロール、ストレスマネジメント、ソーシャルスキルトレーニングなど」をいかに組み込むかということを考えてきた。「心のノート」は、そういった活動をいれるチャンスだと思っていた。

しかし、その考えが基本的に間違っていることに、四川大地震後の被災地での「心理健康教育」の授業をみて、気づいた。

「心のノート」の改訂に伴い「なぐるな、盗むな、殺すな!」というページが盛り込まれるらしいが、それは道徳規範からすれば、当然のことである。改訂前の「心のノート」にそれがなかったことの方が不思議だ。しかし、家で虐待的養育を受けている子どもに「なぐるな!」とメッセージを送っても、効果は乏しいだろう。一方で、怒りの感情とのつきあい方を学ぶ機会や暴力がどのような心理的身体的影響を及ぼし、どうすれば回復できるのかを、子どもにわかることばで、ロールプレイやリラクセーションなどの体験をとおして、教えていかなければならない。

「心のノート」は「道徳ノート」であり、「心理健康教育ノート」ではないのだ。

「べき論」の道徳は必要だ。だから、私は道徳教育を否定するつもりはまったくない。

一方、怒りの感情を抱えたとき、人を傷つけずに、その気持ちを表現する方法があるのだということを体験的に子どもたちは学ばなければならない。それは、「心理健康教育」が担うべきであろう。ロールプレイやリラクセーションは臨床心理学や心理学が基盤として学問が発展してきている。

だから、「道徳」と「心理健康教育」の2本柱で、子どもの心の成長を支援し、その基盤の上に、教科教育の充実が求められるのだろう。

英国では、「他人を尊重することや、感情コントロールの方法などを学校活動全体を通して教える体制・環境をつくろうとする政策Seal (Social and Emotional Aspects of Learning) Programme」が着々と普及している。英国政府は、2011年にはすべての小中学校に導入することを目標としているらしい。

中国は、もともと、「道徳」とは別に「心理健康教育」という授業が、地震前からあったのだ。

その点日本はどうだろう。「心の健康教育」は、保健体育で一部教えられているだろう。しかし、そういった扱いでは、全児童生徒への展開はむつかしい。

文部科学省は、諸外国の動向を調査し、早い時期に、「心理健康教育」プログラムを全児童生徒へ導入してほしい。

そのためには、心理健康教育が担える教師を養成し、常勤で配置してほしい。そして、予防的な心理健康教育が展開すれば、教育相談への敷居も低くなり、学校臨床心理士(スクールカウンセラー)への相談へとつなげることができるだろう。

もちろん、スクールカウンセラーは、全員、「心理健康教育」の授業ができることが求められるのはいうまでもない。でないと、心理健康教育教師へのスーパービジョンができないからである。

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2008年11月 7日 (金)

JICAこころのケア調査団・四川へ

11月9日から15日、JICA調査団のメンバーとして中国・四川に行きます。

心のケアに関して、どのような中長期の支援ができるのかが、今回の派遣の目的です。

ちょうど、2005年、インド洋大津波から5ヶ月目に、高橋哲さんや神田さんが、EARTHのメンバーとしてスリランカに、事前会議に行って、6月のプログラムを立ててきたのですが、そういった派遣に、目的が似ています。

四川被災地の「心の支援」へ調査団 JICA兵庫(神戸新聞)

 
 中国・四川大地震の被災者の心のケアについて、どのような支援ができるかを調査するため、国際協力機構兵庫国際センター(JICA兵庫)は五日、兵庫県こころのケアセンターの加藤寛・副センター長ら五人を現地に派遣する、と発表した。派遣期間は、九-十五日の一週間。(森本尚樹)

 現地では、臨床心理士、看護師らが、仮設住宅で暮らしている被災者の心のケアを担っている。調査は、現地の臨床心理士らに、どのような協力ができるかを探るとともに、被災状況やニーズを把握するのが目的。

 九-十二日は四川省の被災地の仮設住宅や学校などを訪ねる。十三-十四日は北京で、医療機関や研究機関、政府関係者と協議する。

 調査団のメンバーは加藤副センター長のほか、同センターの明石加代・主任研究員、兵庫教育大学大学院の冨永良喜教授、県立大学地域ケア開発研究所の渡辺智恵准教授、JICA兵庫の細川幸成調査役。一行に、JICA中国事務所から五人が合流する。

(11/6 09:19)

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2008年11月 3日 (月)

「心のノート」の改訂はすすんでいるようだが。。。

「心のノート」の改訂は進んでいるようだ。

 文科省の「「心のノート」の改善に関する協力者会議」に第一回の議事録が載っている。ある委員は、わが子に「心のノート」の感想を尋ねている。<息子は「それはいい本だとは思うけれど、記述のところは先生が書いてほしいことはわかるんだよね」という言い方をしております。>と。

道徳は、「道徳(どうとく)や倫理(りんり) 、あるいはモラルとは、社会や共同体において習慣の中から生まれ、通用するようになった規範のことである。](Wikipedia)であるから、「かくあるべき」論であり、それは必要であろう。

しかし、「(やってはいけないと)わかっているけど、(やってはいけないことを)やってしまう」ことへの対応は、「道徳」で教えることは無理であろう。「心のノート」の改訂に期待していたが、どうも、それは、根本から、間違っていることに、気づいた。

 「かくあるべき」と明示することは必要なことであり、それが道徳教育であろう。しかし、「家庭で暴力にさらされている子ども、学校でいじめにあっている子ども」に、「かくあるべき」論をいくらいっても、でも、現実は・・・ということになってしまう。

 以前は、「道徳」の時間に、アンガーマネジメント、ストレスマネジメント、いじめ防止教育、自殺防止教育をいれていってはと提案してきたが、それは、ふさわしくない、ということがわかってきた。

 ストレスマネジメントの授業は、やはり「道徳」ではない。でも、子どもにとって、自分のストレスと向き合い、怒りや悲しみを、プラスのエネルギーに変えていくにはどうしたらいいか、怒りや悲しみで人を傷つけてしまわないためにどうしたらいいかを考え、実践する体験は必要であろう。

 この教育を、「心の健康教育」ないし「心理健康教育」と呼んで、プログラム化してはどうだろう。「かくあるべき」の「道徳」と、自分の悲しみと怒りとの上手なつきあい方を体験する「心の健康教育」の両輪で組み立ててはどうだろう。

 「心のノート」はあくまで「道徳」の副読本であり、そこに「心の健康教育」の内容を入れ込もうと考えたのが、間違いだったと思う。

 しかし、「心の健康教育」はどの分野・領域で展開すればいいのだろうか?保健体育の分野で「健康教育」が取り入れられている。健康教育に「からだの健康教育」と「心の健康教育」の2分野を設け、それを軸にしてはどうだろう。

 そうすると、改訂案で、議論されている「ともだちをたたいてはいけないよ」というメッセージが、どうしてそうなのか、「たたかない」で自分の気持ちを伝える方法があり、それを教室で練習・体験し、生活の中に生かしていくことができるのではないだろうか?

 文科省は、「心の健康教育」という柱を明示して、打ち出してほしい。家庭で豊かなコミュニケーションがはぐくまれている子どもには、「心のノート」はよい副読本になるだろうが、そうでない家庭の子どもには、なんらインパクトをもたないものになってしまう。

 第一回協力者会議の議事録には、「心のノート」を子どもひとり一人に持ってもらうことの是非が議論されている。子ども個人がもった場合、ノートに書き込んだ本音を友だちからからかわれてしまう危険性が指摘されている。まったくそのとおりなのだが、この点で、「心のノート」は「道徳」なのに、「心の健康教育」を扱おうとしている無理というか、誤りがあるのではないだろうか。

 「心の健康教育」を専門に行う者が学校にひとりいなければならない。「スクールカウンセラー」でも「相談教諭」でもいい。そういう専門職を充実する必要があるのではないだろうか。

文科省が心のノート改訂案  盗むな、殺すなに異論も(47news)

新学習指導要領で道徳教育が強化されたことを踏まえ、文部科学省は20日、小中学生全員に配布する道徳の副教材「心のノート」の改訂案のたたき台を、有識者会議で示した。規範意識を示した部分で「盗むな」「殺すな」と禁止事項を並べた記述に対し、委員からは「単純なスローガンだ」との異論が出た。

 規範意識の項目では、小学校低学年で「ともだちをたたいてはいけないよ」、同高学年で「暴力はダメ」と書き、「殺すな」「盗むな」「ウソをつくな」「いじめるな」などと、守るべき決まりを、イラストも交えて記載した。

 会議では、これらの記述に論議が集中。委員は「なぜいけないのかを考える仕掛けになっていない」「家庭で教えることまで国が口出しをするのか」との異論の一方で「低学年には教え込むことも必要」との肯定的な意見が出た。

 心のノートは2002年から配布。小学校低、中、高学年用と中学校用の4種類があり、来年度には改訂される予定。改訂案では低学年用が現行88ページから104ページになるなど、それぞれ8-16ページ増となるという。

2008/10/20 20:00   【共同通信】

 私は、「暴力」についての記述が、「心のノート」に加わっただけでも、進歩だと思う。この記述をきっかけに、「暴力」や「犯罪」についての授業ができるからである。ただ、どうしたら「たたかない」で、気持ちを伝えることができるかの指導案は、また、別にいる。

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