四川大地震後の心理援助12-心理健康教育の導入
第二次派遣で、通訳を務めてくれた張磊さんが「被災地の学校では9月から『心理健康教育』が必須になります」と知らせてくれた。
「それから、四川教育庁(教育委員会)は、9月新学期から授業の一環として、「心理教育」が含まれます。
http://news.xinhuanet.com/edu/2008-08/21/content_9563462.htm
小学校毎学期9時限以上、中学校、高校は10時限以上。
前の三週間は毎週1時限、第4週目から隔週1時限と、必修となります。」
インドネシア・アチェでは、カウンセラーは、中学・高校は常勤職だった。日本といえば、週8時間としてはじまったスクールカウンセラー事業は、いまや、週5時間に短縮されている。道徳で、保健で、学校教育で、「怒りと悲しみの向き合い方」を一切教えない国がどこにあるだろう。海外からわが国の教育行政をみたとき、とくに、心の健康教育に関しては、貧困としかいいようがない。道徳の副読本の「心のノート」に、「怒りと悲しみとどう向き合ったらいいか」というページが全くないことをみんな知っているのだろうか。
もっと、どーんと、思い切った教育行政を行ってほしい。
人は、人生のなかで、怒りと悲しみを抱えることがある。その時、どうすれば、人を傷つけずに、怒りや悲しみを望ましい表現のエネルギーに変えていくことができるのか、
そのことをもっと、教育の中で、具体化していかなければならない。
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コメント
そうですね。感情を健全な方法で理解し表現する能力・・・こういった能力を発揮していいんだよ、というメッセージは、今思えば我々が育った養育環境や教育の中にはなく、どちらかといえば敬遠されていたように思います。特にこの日本という社会は悲哀の感情をストレートに表現することに対する禁忌が強い。男性であればなおのこと、美徳に反するという考え方があるのかもしれません。
いじめ、被虐待、災害、喪失体験など・・・人が生きていくうえで遭遇する怒り、悲しみは、時を経て風化されたように見えても、そう消えるものではありません。むしろ何かのきっかけで表面化することの方が多く、それが外に出た場合、非情に不適切な反社会的な行動として他者を攻撃することとなり、内に向けば、何らかの形で症状化し、最悪自ら命を絶ってしまうことにもつながる。痛ましい限りです。
傷ついた人が、どこかで「怒り」「悲しみ」を一度でも誰かに解放し、受け止められるという体験を持つことができればいいのですが、現実はなかなかそうはいきません。そういった対象を見つけること自体がまずは難しいし、たいていの人はその破壊的なエネルギーの前におののき、逃げていってしまう。また周囲の人たちも、自分自身がそういった感情を封じ込めることを余儀なくされてきた部分があるので、相手が抱える悲しみ、苦しみに対する理解や共感を自分の中に育ててきてはいない場合が多いからです。
私は、自分が抱いている感情の激しさ、その意味を理解し認めることは、同時に怒り、悲しみを含んだ他者の存在、人間そのものの存在を認めることでもあると思っています。そしてその感情を健全に表現し、適切な方法で表現することを学ぶことを抜きに、真の「癒し」や「心のケア」はあり得ない。これからの教育に課せられた重要なテーマだと考えています。
投稿: 仙太郎 | 2008年8月25日 (月) 00時58分
仙太郎さん、ありがとうございます。
<そしてその感情を健全に表現し、適切な方法で表現することを学ぶことを抜きに、真の「癒し」や「心のケア」はあり得ない。これからの教育に課せられた重要なテーマだと考えています。>
全くその通りです。この夏、アチェ、入試、療育キャンプとあっというまに過ぎ去っていきました。これから、心理臨床学会、国際学会の準備です。おたがいベストを尽くしましょう!
投稿: Tominaga,Y | 2008年9月 1日 (月) 08時15分