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2008年4月 6日 (日)

岡山突き落とし殺人事件の少年の過去2

岡山突き落とし殺人事件の少年の心がどうすれば救われたのか、二度と繰り返さないためにも、考えてみたい。

震災、いじめ、進学・・・翻弄された18歳の逃避行の果て」(MSN産経ニュース)からの限られた情報からの推論であることをお断りしておきたい。

推論:つらい感情に蓋をし続けた結果、回避行動を繰り返した末の行動化である。

1,阪神大震災で尼崎で被災、大阪に転居。

 当時の光景が思い浮かぶ。それは、被災地という非日常の空間と、隣接する日常の空間の違和感である。大阪(大阪でも豊中などは被災したのであるが)や姫路と、被災地のあまりにかけ離れた光景である。被災した人が、被災していない空間に身をおけば、心が癒されると考えがちであるが、それは違う。もちろん、余震などがない安全な空間は一時的には、安心感を与えるであろう。しかし、そこでは、被災体験でのさまざまな感情を、心の中に留めざる得ない。周りのものは、誰一人として、その気持ちをわかりえないからである。

 被災から4年後、被災していない地域でスクールカウンセラーをしていたときのことである。被災地からの転校生が、友だちといっしょに相談室にやってきた。転校生は、地震のときの死ぬかもしれないと思った恐怖をさらっと語った。生徒の友だちは、「へー、まだ、そんなことおぼえとるん」という言葉に、<忘れられない記憶なんだよ。しっかり聴いてあげてね>と言った記憶がある。

 被災地に身を置き、復興を共に経験していれば、折々に、つらかった気持ちを友や大人たちに語ることができたであろう。

 もし、今後災害が起こって、転校していく児童生徒がいれば、その後の心のケアを息長く続けなければならないということを、この事件は教えてくれている。

少年は、事件を起こす直前、尼崎に立ち寄っていたらしい。

朝、大阪の自宅を出た動機は「どこかで人を殺そう」。

 そして大阪・梅田をぶらぶらしたあと、幼少時を過ごし、震災まで住んでいた兵庫県尼崎市に入った。この間の詳細は分かっていないが、ゲームをしたり持っていた小説を読んだり、少年はまるでこの町の住人のように振る舞っている

なんとも切なくなる。

2.いじめられ遠い高校へ通う

「めちゃくちゃされてきたから、仕返ししたる」。一度だけこう話すのを聞いたが、「そんなことしたらあかん」と諭すと、納得したように見えたという。

 それは、諭して処理できるような感情ではない。このような子どもたちにかかわってきた者なら、その感情がどれほどエネルギーをもっているかを知っている。繰り返し繰り返し恨み辛みを語る内に語り方が変わっていき、今度同じようなことをいわれたりされたら、今度はこう対処してみる、といった望ましい対応のイメージを語れるまで、つきあわなければならない。

「仕返ししたる」という感情を、このとき、処理できていれば、今回の行動化は起こらなかったであろう。しかし、そのことで、両親を責めることはできないだろう。それは、わが国の心のケアの理解にかかわっているからである。(「心のケアの専門家」なんていらない」という本が注目されたり、心のケアは重要といいながら、30%もの予算削減をしてしまう国だから。)

小・中といじめにあい、同級生のいない遠くの高校へ通った。これも、つらい感情に蓋をして、今のみを生きたのであろう。

 ここでも、つらい感情に蓋をして、回避行動を選択することを、まわりの大人も少年に強いてきたのである。転校すれば、すべてが解決すると考えるのは誤りである。転校して安全で安心な生活が送れれば、もちろん、それで、人生を変えていける人もたくさんいるだろう。しかし、心のなかのわだかまり、深い心の傷がなくなったわけではない。順風に進んでいるときはいいが、再び嵐に遭遇すると、過去の傷がよみがえる。

 大切なことは、回避することではなく、再び同じようなことが起こったなら、今度はこう対処するというイメージと行動の明確化である。だから、回避している場所・人にチャレンジをしていく。それには、いきなりでは、打ちのめされてしまうので、段階的練習(実生活内曝露)が必要なのである。

 回避行動のパターンを身につけてしまうと、つらい感情を抱えているという自覚や意識すらもてなくなる。ベトナム退役兵士が戦争トラウマを回避し生活し続けて、本人は相談行動を起こさないのだが、その子どもに多くの問題が発生しているという論文を読んだことがある。

 つらい感情を閉じこめ回避行動をとることは、一時的にはよい対処であっても、長期的には、生活を阻害し、問題行動を発生させる確率を高くすることを、広く知ってもらう必要がある。これが、「心のケア」の知識である。

(「「心のケアの専門家」なんていらない」と主張している人の本を読んでみると、

心のケアの知識 (特に、回避反応の意味は言及されていない。身近な人が心のケアができるというところは同感するが。これまでにない危機に遭遇すると身近な人もどのように接して良いかわからなくなるというのが実際である。その本の著者らは、そのようなケースに遭遇したことがないのだろうかと思ってしまう)

をもっていないことがわかる)

#8人殺傷事件のニュースをみての父子の会話から親子関係の問題が推測できる。

事件前日の24日夜、自宅で食事中、茨城県の連続殺傷事件のテレビニュースを見ながら、「こんなことするなよ」と声を掛けると、「うん」とうなずいたという。」

父はこの少年を信頼していなかったことがわかるやりとりだ。これは、「心のケア」のあり方を知らない無知から起こっている。この少年の気持ちを代弁しているブログをみつけたので、参考にしてほしい。

八人死傷をみてこんなことするなよと。

 いじめ意識尺度の結果もそうだが、いじめを経験した人だけが、心身反応を知っているというのは、よくない。心のケアとは、傷ついた人はどのような心身反応を示しやすく、どうすれば回復できるのかを、心理学・精神医学の最新の知識によって、提供することである。

 事件後の心のケアは、みえない暴力との闘いである、「心のケア」はやさしげな言葉だが、実際は、闘いであることを、知ってほしい。どこかで、暴力の連鎖を断ち切らないといけない。戦後、同和教育の浸透が、人権意識を変えていったように、いまこそ、正しい心のケアの知識と体験の普及によって、暴力の連鎖を断ち切るときである。文科省の平成20年度の予算をみると、「心のノート」の全面改訂が予定されているという。

 人が悲しみや怒りを抱えたとき、どうしたらいいかを是非、新しい「心のノート」には掲載してほしい。

 二度と悲しい事件を繰り返さないために、できることをやっていこう。

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コメント

初めてここを訪問しました。
最新の記事へのコメントじゃありませんが、お許しください。

>父はこの少年を信頼していなかったことがわかるやりとりだ。
ブログの中で、この部分が私にはとても印象に残りました。
どうして親は自分の不安を子どもになするんだろう?といつも疑問に思います。
子どもは親に信用されていないと感じる事で、
どんなに情けない思いをしただろうかと思うと胸が痛みました。

投稿 ココナッツ | 2008年4月14日 (月) 22時05分

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