佐世保の銃乱射事件後の心のケア4-助かった人の罪悪感
「なぜ私は逃げた」助かった人に罪悪感、乱射の傷深く(読売新聞;2007/12/22)
長崎県佐世保市のスポーツクラブで水泳インストラクター倉本舞衣さん(26)ら2人が殺害された散弾銃乱射事件で、当時施設内にいた会員らから、助かったことへの罪悪感にさいなまれる「サバイバーズ・ギルト」(生存者の罪悪感)を訴える声が出ている。専門家は「罪悪感を心の中に押し込めて自分を傷つけたりせず、信頼できる人に悩みを打ち明けてほしい」と呼びかけている。
事件当時、プールに入ろうとした際に銃声を聞き、避難した市内の自営業男性は「倉本さんは子供をかばおうとしたのに、自分はなぜ、自分の安全だけを考えて逃げたんだろう」と悔やんでいる。
事件から1週間が過ぎた今も、倉本さんの笑顔や、避難した時の状況が繰り返し思い起こされ、仕事が手に付かないという。
また、事件の1時間前まで倉本さんから水泳を習っていた市内の中学2年と小学6年の兄弟は、不意に「夢だったらいいのに」とつぶやき、不安定な精神状態が続いている。
母親によると「先生が撃たれたのは、ぼくらがレッスンで注意を守ろうとしなかったせいだ」と自分を責めて泣きじゃくっているという。
事件事故の被害者のカウンセリングに取り組んでいる冨永良喜・兵庫教育大教授(臨床心理学)は、兄弟のケースのように自責の念にかられる心理もサバイバーズ・ギルトに当たると指摘し、「理不尽で耐えがたい苦痛を受けた時、自分に原因を見いだして納得しようとするのは当然の心理現象だ」と語る。
トラウマを体験すると、過覚醒(身体が危険に全力をあげて立ち向かうため興奮水準をあげること、危機が過ぎ去っても興奮緊張は続く)、再体験(ありありとその場面が浮かび、まさに今体験しているように感じる、フラッシュバックと悪夢)、回避マヒ(思い出させる刺激を避ける)の3つの反応が引き起こる。再体験と回避マヒは、凍りついた記憶のあらわれ。それと同時に、否定的な認知(negative cognition)が、心の中に浮かんでくる。マイナスのつぶやきである。そのマイナスのつぶやきの一つが、「生き残った者の罪悪感」である。
このマイナスのつぶやきを、心のなかに抱え込むと、そのつぶやきが刺激となって、前向きに生きようとする気力を削いでいく。
まずは、そのつぶやきを声にして、開いてみること。しっかり聴いてもらい、「そうじゃないよ。あなたが悪のではないよ!」と繰り返しいってもらう。しかし、そのメッセージは、なかなか身体のなかに、しみこんでこない。だけど、マイナスのつぶやきをしっかり聴いてもらい、「そうじゃないよ、あなたが悪いのではないよ!」と言ってもらううちに、少しずつ、自分のつぶやきが、そうじゃないということがわかってくる。
このマイナスのつぶやきこそが、PTSDなどのストレス障害を持続させる一つの要因といわれている。長時間曝露療法(Prolonged Exposure Therapy)は、出来事に向き合い、その出来事を語る中で、マイナスのつぶやきが、払拭されるという。一方、トラウマの認知療法やEMDRは、まさに、このマイナスのつぶやきを、取り扱う。
私は、マイナスのつぶやきを他者に開いた時点から、そのつぶやきが、「正しくない、そうではない」ということの作業がはじまっていると思う。
この事件では、犯人がストーカー行為の最悪の結果として、このようなことを引き起こしたということがあきらかになってきつつある。そのことも、伝えてあげたらいい。
子どもには、ストーカー行為ということを、やさしいことばで伝えることは、非常に、むつかしいかもしれない。子どもは「『人を好きになって、それで人を殺してしまう』なんて、どういうことなの?」というだろう。
犯人は、人を好きになること、愛することが、人を思い通りにすること、支配すること、と思って育ってきたのだろう。このような不幸が起こらないためには、銃の正当な規制と同時に、人を愛するということはどういうことなのかといった心の教育を、すすめていかなければならない。
心のなかに浮かんでくるつぶやきを、他者に開き、自由に、意見を交わしながら、生き残った者の罪悪感を、払拭してもらいたい。
心のケアは、ただたんに、やさしく声をかけてあげることではない。
事件後の心のケアは、暴力との闘いである。
私たちは、決して、暴力に、屈するわけにはいかない。
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