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2007年11月27日 (火)

日本カウンセリング学会第40回大会公開シンポジウム「 カウンセリングにおける心的成長と癒し」

 大会長の新里里春先生が司会・企画でした。新里先生には、このような機会を与えていただき感謝いたします。沖縄は、はじめて訪れたのですが、独特の雰囲気がありますね。夏川りみ・ビギン・さまざまな魂の歌が、沖縄から生まれていますよね。癒しの風土を感じましたね。戦争の犠牲という悲しい歴史が、癒しの風土を一層醸し出しているのかもしれませんが。
 シンポジウムで、私はPost traumatic growthにかかわるケースを2例紹介しました。坂野雄二先生が、事前打ち合わせでも、シンポでもおっしゃっておられたように、クライエントは成長や癒しを求めてきているのではなく、それは結果だと。それについては、私も全く同感なんですね。私が紹介したケースも、結果として、悲しい出来事から、新しいこと・ものを生みだしていったんですね。それに、犯罪被害者遺族の会で、「癒し」という言葉は使われませんね。心を癒すために、集まっているのではないのです。今の司法制度の矛盾や理不尽さに、みんなで立ち向かう力を集める、といった方がグループの趣旨にあうと思うんですね。
 ただ、坂野先生が、「すべての人にカウンセリングマインドは、大きなお世話!」とスライドで紹介していたのは、「うん?」と思いましたね。これは、いろいろな意味が込められているんでしょうけど、子どもの事件後の心のケアに携わって思うことは、やはり、おとなはカウンセリングマインドをもっていないと、子どもの嘆き・悲しみ・怒りに、すっと手を差し伸べられないですよね。行動面の変化にのみの対応では、指導に終わってしまって、問題は解決しないのです。
 ただ、カウンセリングマインドが、受容と共感のみを指しているのであれば、それだけでは十分ではないですよ、と言いたいですね。受容と共感は、基本だけど、さまざまな心身反応の仕組みをカウンセリングで伝える心理教育や望ましい体験の積極的提案もカウンセリングに含まれているんですね。
 しかし、認知行動療法であるトラウマへの長時間暴露療法をわが国で中心的に展開している飛鳥井望先生は、共感性の乏しいセラピストは、この技法を使わないで欲しいといわれていました。 

 ですから、カウンセリングということばに、受容・共感・心理教育・望ましい体験の積極的提案、ということが含まれていることが、重要になるんですね。「カウンセリング」や「心のケア」は、広く、周知されてきたので、これらの言葉を、積極的に、世間にアピールする方が得策だと思います。
 沖縄は、もう一度、ゆっくり行ってみたな、と思いましたね。

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2007年11月18日 (日)

はぐくむ防災力ー心のケアと防災教育

 私のゼミの修了生の磯野さんは、震災が教師にどのような影響を及ぼしているかを調査研究しました。内地留学を終えて、神戸の中学校に復帰されてから、生徒たちと、防災教育、心のケア、ストレスマネジメント教育に取り組んでいます。

 今年、8月-9月にインドネシアを訪問し、「災害とトラウマからの再建(Disaster and Reconstruction from Trauma)」というHp&Blogを作ろうと思ったんです。日本語・英語・インドネシア語で、特に、アジアの被災地の子どもたちが、交流できるといいなーと思っています。

 磯野さんのように、被災地(神戸)から被災地(新潟中越)へのお手紙の取り組みっていいですね。Hp&Blogができたら、ぜひ、参加してください!

記事を書いた幸長さんは、防災教育に理解のある記者さんです。いい記事にであうとほっとする今日この頃です。

はぐくむ防災力:須磨・飛松中3年、中越沖地震の被災地に手紙送る /兵庫

 

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2007年11月10日 (土)

マスメディアはそれぞれのフィルターをもっている

フィルターは、知識です。よきフィルターは、被災者や被害者の慟哭や悲しみの結晶かもしれません。
 しかし、思いこみや、衝撃のみを与えようとするフィルターもあります。
 昨日、加古川市役所にて、記者会見をしました。
 やはり、正確に、子どもたちのようすを含めて心のケアの現状を伝えたかったからです。事件から、もうすぐ、1ヶ月になります。犯人が未逮捕の状況下で、あれだけのメディアスクラムがあったため、子どもも保護者も、ほとんどがマスコミ・アレルギーになっているのではと思います。でも記者さんは、記事を書くのが仕事です。しかし、情報がない。そうすると、どうしても、個別の取材、戸別訪問がはじまります。やっと、静かな日々を送り出したのに、それでは、たまりません。それで、市教委は、情報を一元化して、だせる情報をだしてきたのだと思います。私は、心のケアチームのアドバイザーとして、リーフレットやアンケート・保護者の心のケア研修会・心の授業・担任による個別面談などを提案・担当してきました。そして、私は、保護者と児童とのカウンセリングにも従事してきました。この時期に、きっちりと、やったことと、子どものようすをプライバシーを損なわないように配慮して伝えたかったのです。
 でも、同じ記者会見を聞いていても、記事の構成が、神戸新聞(児童の落ち着き戻る 心のケア奏功)と読売新聞(加古川・女児刺殺・・・同年代心身の不安訴え)では、こんなに異なるのです。
 私たちが伝えたかった趣旨は、神戸新聞の内容です。

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2007年11月 9日 (金)

親が子の「カウンセラー」・・うーん、正確に伝えるためには・・・悩みますね

親が子の「カウンセラー」に 加古川・女児刺殺の小学校(朝日新聞)

20071108

 兵庫県加古川市の自宅前で刺殺された小学2年、鵜瀬柚希(うのせ・ゆずき)さん(7)が通っていた市立別府(べふ)小で、親自身が我が子の「カウンセラー」となって、子どもたちの心の支えになるよう促す試みが始まった。保護者を対象にした研修会を開催した同市教委は「なじみのないカウンセラーより、身近な大人が早い段階からどう児童に接するかが重要」と説明する。

 事件発生2日後の10月18日から、市教委は別府小と隣の別府西小にスクールカウンセラーを派遣。校内に設けられた専用の相談室に常駐させ、児童が相談できる態勢を敷いた。担任の教諭は、児童に「不安な気持ちや聞いてほしいことがあれば、相談室に行きましょう」と呼びかけているが、利用する児童は少ない。

 一方で、学校や市には、母親らから「子どもにどう接したらいいのかわからない」といった問い合わせが相次いだ。市教委は「大人が動揺すれば、子どもはますます不安になる。まず保護者を指導し、ケアしなければ」と発想を転換。保護者を対象にした「心のケア研修会」を別府小で10月24日に開催し、246人が詰めかけたという。

 研修会では、専門家が事件発生後の子どもの変調について、「受け入れがたい出来事を心の中に収めていくための道のり」と説明。(1)怖い気持ちがよみがえった時は話をしっかり聞いてやる(2)甘える時は添い寝して抱きしめる(3)死について尋ねたり、涙が止まらなかったりしたら一緒にお祈りする――などの対処法を紹介した。参加した2児の母親(34)は「言葉に出せなくてもそばにいてあげることが大切だとわかった」と話した。

 臨床心理士の冨永良喜・兵庫教育大教授は「子どもには身近な人による対処が効果的。特に低学年の場合、親の心が揺れていると子も不安定になる。保護者への早期の対応が必要だ」と強調する。

いくつか、正確でない部分があります。

>「なじみのないカウンセラーより、身近な大人が早い段階からどう児童に接するかが重要」

というのは、「なじみのないカウンセラー」は、児童とのカウンセリングは、向かないという印象を与えますよね。危機事態では、親も、教師も、カウンセラーも。。。みんなが力をあわせて、子どもを守る!ということが、大切なんです。メディアで発信するときは、多くは、2分法的な論調になってしまいます。「カウンセラーでなくて親が」といったくくり方です。これは、読者には、わかりやすい表現なんですが、事実として、正確ではないのです。

>担任の教諭は、児童に「不安な気持ちや聞いてほしいことがあれば、相談室に行きましょう」と呼びかけているが、利用する児童は少ない。

このことは、当初から予測できていたことです。だから、いろいろと工夫をして、児童ともかかわってきたんですよ。震災のときもそうでしたし、「相談室に自らすすんでいく子ども(おとな)」なんて、そうそう、いませんよ。だから、アウトリーチを積極的にやっているんですよ。うーん、詳細なことが、いま、書けないので、。。。

ただ、「親がわが子のカウンセラー」という見出しは、いいですよ。さすがに、記者さん!うまいですね。それと、最後の引用や、研修会で私がお話したまとめは、簡潔にまとめられていますね。

ここで、取り組みについて、詳しく書けませんから、一度、記者さんに、心のケアの全容をお話したいですね。

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2007年11月 3日 (土)

いのち

まわりからみれば、ぼーっと、なにもしてないようにみえる
しかし、こころは、どうして! なぜ! わたしが..と、といかける

どれくらいながく生きてきたか ということではなく
どれくらいふかくかかわってきたか ということ

すざまじい力がそこにある
そこにたちあい
なみだがながれる

心のケアということばは 心地よい響きをともなう
しかし、現実の心のケアは、暴力とのたたかい
わたしたちは、暴力に屈するわけにはいかない
この涙は、子どもたちがおとなになる時代への力に、きっとなる

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