1997年の神戸児童連続殺傷事件の悲しみと怒りから兵庫県・神戸市は「心の教育緊急会議」(河合隼雄座長)を設置し、その結果中2の全生徒の社会体験学習(トライやるウィーク)がはじまって、全国に広がっていった。もう一つ、命の教育・心の教育の充実を図るため兵庫県心の教育総合センターを立ち上げ、いじめ・暴力・自殺予防の授業案が作成されていった。しかし、それらの授業案は、2015年道徳の教科化により、道徳授業では実施できなくなり、今日に至っている。
どのように小6児童は殺害されたのかにニュースは多くの時間を割いてきたが、「とめられなかったのか」、「どうすれば防げたのか」、継親・実親にかかわらず、家族間・恋人間での暴力防止に、日本は何が足りないのか、西欧諸国はどうなのか、検討する必要があるのではないか、そして具体的な教育政策を強化する必要があるのではないかと考えた。そこで、Chat-GPTにQをし、考える材料になればと思い、長文だが、ぜひお読みいただきたい。
Q1.養父による小6児童殺害事件、児童を養父が叩いていた、友だちに大嫌いと言っていたなど、が報道されています。これだけ、虐待には敏感に、通告が徹底しているのに、なぜ?と思ってしまいます。学校で、暴力により心身の打撃について、道徳授業で、ほとんど扱われていないのが、問題だと思います。
報道内容は時点で変わり得るので、まず事実関係と公的な虐待対応の枠組みを確認し、その上で「学校で何を扱えていないのか」を整理します。
思考時間: 11s
本当に、「なぜ?」と思います。
報道では、安達結希さんが同級生に「お父さん大嫌いや」と話していたこと、父親の話を避ける反応があったこと、一部の保護者もその様子を把握していたこと、しかし府警には虐待や暴行の相談は寄せられていなかったことが伝えられています。 また別報道では、友人の前で養父に殴られていたという証言も報じられていますが、捜査上「差し控え」とされている点も多く、現時点では慎重に見る必要があります。
おっしゃる通り、今の学校は「虐待を疑ったら通告」という制度面ではかなり強化されています。文科省も、学校には早期発見の努力義務や関係機関への通告義務があると明示し、学校・教育委員会向けの虐待対応手引きや研修教材を整備しています。 それでも重大事件が防げないのは、通告制度だけでは拾えない「子どもの小さなSOS」があるからだと思います。
特に今回のような場合、問題は「虐待かどうかを大人が判断する」以前に、子ども自身が、
「叩かれることはしつけではなく暴力である」
「身体だけでなく心にも深い傷を残す」
「家族のことでも、嫌なこと・怖いことは相談してよい」
と学ぶ機会が十分にあったか、という点です。
現在の道徳では、生命の尊さ、思いやり、家族愛、相互理解、規則の尊重などは扱われます。しかし、「暴力が心身に与える打撃」「家庭内暴力・虐待・心理的支配」「助けを求める権利」を、子どもが自分ごととして学ぶ構造にはなりにくい。ここに大きな空白があると思います。
道徳授業で扱うなら、単に「暴力はいけません」では弱いです。たとえば小学校高学年で、
「叩かれると、体だけでなく心にはどんな影響があるか」
「怖い相手のことを友だちや先生に言いにくいのはなぜか」
「家族のことを相談するのは、悪口や裏切りではなく、自分を守る行動である」
「友だちから“家のことは聞かないで”と言われたとき、周囲の子はどう受け止めればよいか」
という問いを立てる必要があります。
これは、道徳の「生命の尊さ」だけでなく、「相互理解と寛容」「公正・公平」「よりよく生きる喜び」、さらに保健、特別活動、生命の安全教育、SOSの出し方教育とつなげて扱うべき内容だと思います。文科省資料でも、児童虐待防止には未然防止、早期発見・早期対応、虐待を受けた児童生徒への支援が重要で、学校・家庭・地域・関係機関の連携が必要とされています。
先生の問題提起は、「学校が虐待を見抜けなかった」という個別責任論にとどまらず、もっと本質的です。
つまり、学校教育の中で、子どもが「暴力を受けたときに、それを暴力と認識し、助けを求める力」を育てているのか、という問いです。
私は、道徳授業に次のような単元を明確に入れるべきだと思います。
単元名案:『たたかれること、こわい思いをすることは、心と体を傷つける』
ねらいは、「暴力や威圧は、相手の心身を傷つける行為であり、家庭内であっても許されないことを理解し、不安や恐怖を感じたときに信頼できる大人へ相談しようとする態度を育てる」。
評価は数値化せず、感想や相談先の確認にとどめる。ここは先生が以前から大切にされている「心のサポート授業では評価しない」という考え方と非常に合います。
この事件を直接教材化するのは慎重であるべきですが、同じ問題意識をもとに、匿名化・一般化した事例で授業化することはできます。
「暴力を受けている子どもを早く見つける」だけでなく、「子ども自身と周囲の友だちがSOSの意味に気づける学校教育」に変えていく必要があると思います。
Q2.Second Fatherによる子ども殺しは、日本、海外で、この10年間でどれくらい報告されていますか?
「Second Father」は日本語報道では多くの場合「継父・養父・母親の交際相手・同居男性」が混在します。統計上は分類がそろっていないので、まず公的統計で拾える範囲と、研究・報道で補える範囲を分けて確認します。
思考時間: 57s
結論から言うと、「Second Father(養父・継父・母親の交際相手・同居男性)」だけを、この10年間で国際比較できる形で集計した統計は、ほぼありません。
ただし、公的統計・研究から見ると、日本では少なくとも数十件規模、米国では数百件規模と考えるのが妥当です。
1. 日本:公的統計で見える範囲
こども家庭庁の「こども虐待による死亡事例等の検証結果」では、加害者分類に「養父」「継父」「実母の交際相手」があります。
最新の第21次報告の特集表では、第5次〜第20次報告の累計として、心中以外の虐待死853人のうち、Second Fatherに相当する人物が関与したものは、少なく見積もっても次の程度です。
分類 心中以外の虐待死
養父 8人
継父 11人
実母の交際相手 30人
実母+養父 10人
実母+継父 4人
実母+実母の交際相手 21人
実母の交際相手+その他 2人
合計 86人
つまり、第5次〜第20次報告の累計では、心中以外の虐待死のうち約86人に「養父・継父・母親の交際相手」が関与しています。これは16報告分の累計なので、単純平均では年間5人前後、10年換算では50人前後という規模感になります。
心中も含めると、養父2人、実母の交際相手4人、実母+実母の交際相手2人などが加わり、累計ではさらに少し増えます。
ただし、これは「殺人事件全体」ではなく、児童虐待による死亡事例として国が把握・検証したものです。刑事事件としての「子ども殺し」全体や、虐待死と認定されなかった死亡は含まれない可能性があります。
2. 日本の特徴:高年齢児では「しつけ」「再婚家庭」が問題化しやすい
第19次報告では、心中以外の事例について、「再婚等」の家庭では死亡時の子どもの年齢が3歳以上に多く、加害動機は「しつけのつもり」が半数以上と整理されています。また、養父・継父による高年齢の子どもの養育には困難が生じる可能性がある、と明記されています。
これは、先生が問題にされている小6児童の事件とも重なります。乳幼児虐待とは違い、学齢期の子どもでは、暴力が「しつけ」「反抗への対応」「家族内の問題」として見えにくくなる危険があります。
3. 米国:母親の男性パートナーによる子ども殺害は非常に多い
米国のJAMA Pediatricsの研究では、2003〜2019年の子どもの殺人について、加害者が分かる事例の中で、**“Mother’s male companion”、つまり母親の交際相手・継父等によるものが983人、全体の15.5%**と報告されています。特に1〜5歳では、**603人、29.6%**が母親の男性パートナーによるもので、実父・実母を上回る年齢層もあります。
これは17年間のデータなので、単純平均では年間約58人、10年換算では約580人規模です。ただし、これは米国の一部州等を含むNVDRSデータに基づく研究であり、完全な全国全期間の「10年集計」ではありません。
4. 英国・豪州など:正確な「Second Father」集計は見えにくい
英国では、NSPCCが「警察記録上、平均して少なくとも週1人の子どもが殺害されている」とし、子どもの殺人は親または継親によるものが最も多いとしています。 ただし、英国の公開統計では「継父」「母親の交際相手」だけを10年分で簡単に取り出せる形にはなっていません。
豪州では、報道・研究で「親による子ども殺害」は年間約20人とされ、フィリサイド、つまり親または親に準じる者による子ども殺害が家庭内殺人の重要類型として扱われています。 ただし、ここでも「Second Father」だけの10年総数は公的に一目で取れる形ではありません。
まとめると
かなり慎重に言うなら、次のようになります。
地域;把握できる数字
日本;国の虐待死亡事例累計から見ると、Second Father関与は16報告分で約86人。10年換算では約50人規模
米国;2003〜2019年研究で母親の男性パートナー等による子ども殺人983人。10年換算で約580人規模
英国;子ども殺人は平均で少なくとも週1人。親・継親が最も多いが、Second Father単独の10年数は公開統計からは取りにくい
豪州;親による子ども殺害は年間約20人とされるが、Second Father単独集計は限定的
したがって、先生の問題意識に引きつけて言えば、これは「まれな異常事件」ではなく、再婚家庭・内縁関係・母親の交際相手・養父・継父という家族構造の中で、子どもが暴力のリスクにさらされる問題として、国際的にも繰り返し報告されている類型です。
そして日本では特に、学齢期の子どもに対する暴力が「しつけ」「家庭内のこと」として見逃される危険があり、ここに道徳・保健・SOS教育で扱うべき大きな空白があると思います。
Q3.「本当の父ではない」と言われて、絞殺したと供述していると報道されてますよね。しかし、その後の隠ぺいを考えると、衝動的というより計画的犯行ではないか、この犯行の計画性、衝動性、の観点から、国内外の知見はどうですか? 思考時間: 29s
はい。報道ベースでは、かなり重要な点です。
5月7日のMBS報道では、容疑者が「本当の父親じゃないのに」などと言われて腹を立て、首を絞めて殺害した趣旨の供述をしていること、殺害後約3週間にわたり遺体を少なくとも4か所に移動し、かばんや靴も投棄したと報じられています。
ただし、「供述上は衝動的」「その後の行動は隠蔽的・操作的」だから、どちらか一方に分類できるとは限りません。国内外の知見から見ると、むしろ次のような 混合型 として考える必要があります。
1. 衝動性と計画性は対立概念ではない
子ども殺し、特に親・継親・養父母によるフィリサイド研究では、動機は一枚岩ではありません。Resnick以来の分類では、利他的殺害、急性精神病性、望まれない子ども、虐待・ネグレクト中の死亡、配偶者への報復などが区別されます。近年のレビューでも、これらの動機は重なり合うことがあり、一義的分類は難しいとされています。
つまり、今回のように「言葉に腹を立てた」という供述があっても、それだけで純粋な一過性の衝動とは言えません。背景に、長期の不仲、支配、暴力、子どもへの拒否感、養父としての自己像を傷つけられた怒りがあった場合、最後の一言は“原因”というより“引き金” と見るほうが妥当です。
2. 「本当の父ではない」という言葉は、心理学的には“父性・支配性への傷つき”になり得る
国外の父親によるフィリサイド研究では、父親側の動機として、関係葛藤、怒り、支配、報復、自己愛的な傷つきが重要視されています。2025年の法精神医学レビューでも、父親による子ども殺害では、母親の事例に比べて精神病性よりも、関係性・怒り・支配・報復に関わる枠組みが多く論じられています。
今回の報道内容に即して言えば、「本当の父親じゃないのに」という言葉は、単なる口論ではなく、加害者にとっては「父親としての権威」「家庭内での支配」「自分が父であるという正当性」を否定されたものとして受け取られた可能性があります。
この場合、表面上は怒りの爆発でも、深層には 子どもを独立した人格としてではなく、自分の支配や承認を脅かす存在として見る構造 があるかもしれません。
3. 首を絞める行為は「瞬間的に手が出た」とは違う
ここは非常に大事です。殴打なら、瞬間的な暴力が致死的結果を招くことがあります。しかし、絞殺・扼殺は、通常、生命を奪うまで一定時間の圧迫が続きます。
したがって、法的判断は別として、心理学的・法医学的には、「カッとなって一瞬で終わった」という説明とは相性が悪い方法 です。
もちろん、怒りに駆られて始まり、途中で制止できなかったという「反応性・衝動性」はあり得ます。しかし、首を絞め続ける行為には、途中で相手の苦痛や抵抗を知覚する時間があるため、単純な反射的暴力とは区別して考える必要があります。
4. ただし、遺体の隠蔽=殺害前からの計画、とは限らない
一方で、殺害後に遺体を移動する、所持品を捨てる、発覚を遅らせようとする行為は、殺害後の合理的・操作的行動 を示しますが、それだけで「殺害自体が事前計画だった」とは断定できません。
殺人隠蔽行為に関する研究では、死体の移動や隠匿、証拠の除去などは、犯行後に発覚回避・恐怖・処罰回避・自己保身のために行われることがあります。つまり、犯行後に極めて計算的に行動する人でも、殺害の開始は反応的だった ということはあり得ます。
今回の報道では、遺体を複数回移動し、かばんや靴を投棄したとされます。これは少なくとも、殺害後にはかなり強い隠蔽意図があったことを示します。
しかし、殺害前から計画していたかどうかは、たとえば「学校に行かせないつもりで連れ出したのか」「殺害場所を事前に選んだのか」「検索履歴や準備物が殺害前にあったのか」「以前から脅しや発言があったのか」などで慎重に判断されます。
5. 国内知見では「再婚等」「高年齢児」「しつけのつもり」が重要な警告点
こども家庭庁の第19次虐待死亡事例検証では、「再婚等」の家庭では死亡時の子どもの年齢が3歳以上に比較的多く、加害動機は「しつけのつもり」が半数以上であり、養父・継父による高年齢の子どもの養育には困難が生じる可能性があると整理されています。
これは今回のような小学校高学年の事例を考えるうえで重要です。
乳幼児虐待では「泣きやまない」などが引き金になりますが、学齢期、とくに継父・養父関係では、子どもの反抗、拒否、言葉による抵抗、なつかないことが、加害者側に「自分の権威を否定された」と受け取られやすい。そこに「しつけ」「父親としての指導」という名目が重なると、暴力が家庭内で正当化されやすくなります。
6. 国外研究では「violent impulsive parents」という型もある
フィリサイド分類研究では、オーストリアとフィンランドの登録研究から、子ども殺しの加害者類型として「Homicidal–Suicidal Fathers」「Violent Impulsive Parents」「Single Sober Parents」「Prosocial, Psychotic Parents」「Infanticidal Mothers」の5類型が示されています。
この「Violent Impulsive Parents」は、まさに「もともと暴力性・衝動性があり、家庭内で暴力がエスカレートする」型として理解できます。
ただし、衝動的というのは「責任が軽い」という意味ではありません。むしろ、日常的な暴力性、支配性、怒りの制御不全があったなら、予見可能な危険が蓄積していた と考えるべきです。
7. 今回の事件を見る枠組み
現時点の報道からは、次の3層で見るのが妥当だと思います。
第一層:直前の引き金
「本当の父親じゃない」と言われて腹を立てた、という供述。これは衝動性・反応性を示す要素です。
第二層:長期の関係性
不仲、過去の暴力、友人への「大嫌い」という発言、父親の話題を避ける反応などがあったなら、単発の口論ではなく、継続的な心理的圧迫・支配・恐怖の文脈で見る必要があります。
第三層:犯行後の隠蔽行動
遺体を複数回移動し、かばんや靴を投棄したとされる行動は、発覚回避の意図を強く示します。ただし、それは殺害前からの計画性とは区別して検討されるべきです。
したがって、現段階での見立てとしては、
「完全な突発的犯行」と見るには、首を絞める方法とその後の隠蔽行動が重い。
一方で、「最初から殺害を計画していた」と断定するには、殺害前の準備・誘導・検索・発言などの証拠が必要。
もっともあり得るのは、長期的な支配・不和・暴力の蓄積の上に、直前の言葉が引き金となり、殺害後は計算的に隠蔽した“反応性と操作性の混合型”である。
という整理です。
先生の問題意識に引きつければ、学校で教えるべきなのは、まさにここです。
「暴力は、カッとなって一回だけ起こるもの」ではなく、支配、屈辱、怒り、沈黙、家庭内の秘密、助けを求めにくさの中で蓄積し、ある日、致命的になる。
だから道徳・保健・SOS教育では、「叩かれること」だけでなく、「怖くて言えない」「家のことだから言ってはいけないと思う」「相手を怒らせる自分が悪いと思う」といった心理まで扱う必要があると思います。
Q4.道徳教材で、暴力や犯罪行為がどのように扱われてきたのか、教材分析をする必要があると思います。暴力で思い浮かぶのは、「青の洞門」、他にありますか? 犯罪行為は、「卒業文集の最後の2行」、自分のカンニングを被害児童の罪にした、これ、謝罪したかどうかわからない教材。大事にしていた釣り竿を約束の時間に帰宅しなかったからとへし折る教材。ジャンバルジャンもありますね。ほかにありますか?
教材分析としては、「暴力・犯罪が出てくるか」だけでなく、①加害の描かれ方、②被害者の痛み、③謝罪・償い、④周囲の対応、⑤制度的解決の有無、で見ると整理しやすいと思います。既知教材名を確認しながら、代表例を広げます。
思考時間: 23s
あります。かなりあります。
ただし、先生の問題意識から見ると、多くは 「加害行為そのもの」よりも、「加害者の後悔・改心・寛容・感動」に焦点化されていて、被害者の心身の傷、恐怖、権利侵害、周囲の通告・介入が薄い という特徴がありそうです。
まず、先生が挙げられた教材
1. 「青の洞門」/「恩讐の彼方に」
これはまさに重要教材です。
了海は主殺しという重大な犯罪を犯し、その罪の償いとして洞門を掘る。そこへ殺された主人の息子・実之助が敵討ちに来る、という構造です。日本文教出版の実践例でも、「罪を償う旅」「了海が殺した主人の息子」「敵討ち」という筋立てが示されています。
ここで扱われる暴力・犯罪は、殺人、復讐、敵討ちです。
しかし授業の主眼は、被害者遺族のトラウマや加害者責任というより、了海の償い、実之助の心の変容、感動・畏敬・よりよく生きる喜びに置かれがちです。光村図書の中学教材「恩讐の彼方に」でも、主殺しの大罪、父の敵を討とうとする実之助、了海の二十一年の償いが紹介されています。
分析上は、
「殺人を扱っているが、被害者の死や遺族の傷よりも、加害者の改心と赦しの物語になっていないか」
という観点が必要だと思います。
2. 「卒業文集最後の二行」
これも非常に問題提起性が高い教材です。
公開されている道徳科通信では、筆者がカンニングをし、周囲が女の子のほうがカンニングしたのだろうと騒ぎ、筆者も「そうだそうだ」と加担してしまう、というあらすじが紹介されています。
東京都の指導案でも、「カンニングしたのは自分なのに、尻馬に乗りT子を責めた小学6年生当時の筆者」という発問が示されています。
ここでの加害行為は、
カンニング、不正、虚偽、濡れ衣、いじめへの加担、名誉侵害、心理的暴力
です。
先生が言われるように、この教材で重要なのは「謝罪したのか」「T子さんはその後どうなったのか」「被害回復はあったのか」です。ところが授業では、筆者の後悔や心の弱さに焦点が行きやすい。
分析上は、
「加害者の苦い思い出」として語られることで、被害児童の人生被害が後景化していないか
を見る必要があります。
3. 「釣りざおの思い出」
これも暴力・虐待的行為を考えるうえで重要です。
富山県の指導案では、教材名は「釣りざおの思い出」、内容項目は「節度、節制」とされ、「釣りに夢中になるあまり約束の時間を破ってしまい、母に釣りざおを折られた『私』の心の動き」を考える教材と説明されています。
別資料では、約束の帰宅時間に遅れ、入院中のいとこが急死し、母親が買い与えた大事な釣り竿をへし折る、という内容として紹介されています。
ここでの問題は、教材の主題が「節度・節制」になっているため、
母親が子どもの大切な物を破壊する行為が、暴力・威圧・心理的支配として十分検討されにくい
点です。
これは、体罰や家庭内暴力の教材分析に入れるべきだと思います。
「子どもが約束を破ったから、大切な物を壊されても仕方がない」という読みを生む危険があります。
4. 「銀のしょく台」/ジャン・バルジャン
ジャン・バルジャン教材も、犯罪と赦しの典型です。
埼玉県の指導案では、ジャン・バルジャンが銀の食器を盗んで逃げ、憲兵に捕まって連行されるが、ミリエル司教は怒らず、食器はあげたものだと言い、さらに銀の燭台まで持たせる内容だと説明されています。
ここでの犯罪は窃盗です。
ただし授業の主眼は、窃盗被害や再犯防止、社会的排除というより、寛容、赦し、人間理解に置かれます。
分析観点としては、
「赦し」が美談化される一方で、犯罪被害、責任、回復、制度的支援がどう扱われているか
を見る必要があります。
ほかに検討対象になる教材
5. 「償い」さだまさし
これは中学校道徳でよく扱われます。
学校だよりの実践紹介では、道徳教科書に載っている「償い」を用い、「自分の生活をふりかえり、これからもごめんなさいと素直にお互いに言える人になりましょう」という授業目標で扱ったとあります。
この教材は、交通事故による加害、過失、謝罪、償いを扱うものです。
犯罪・加害責任の教材としては重要ですが、ここでも分析すべきは、
被害者遺族の苦しみと、加害者の償いがどのようなバランスで描かれるか
です。
「謝ればよい」「償えば許される」という単純化になっていないかも見る必要があります。
6. 「万引き」系教材
中学校道徳や非行防止教材では、万引きを扱う教材があります。
CiNii掲載の論文概要では、教材「万引き」は、友人の誘いに流されて万引きをした女子生徒が、警察署で叱責され、母親の涙に直面して深く後悔する物語だと説明されています。
また、万引き防止教材ドラマでは、「もしも万引きしたら自分や周囲がどうなるか」を中学生の視点から描き、万引きの結果、家族・友人関係が崩れていくとされています。
これは犯罪行為を比較的直接扱っています。
ただし、分析観点としては、
被害店舗・社会的損害・加害者の背景・同調圧力・再発防止がどこまで扱われるか
を見る必要があります。
7. いじめ教材全般
暴力そのものを扱う教材としては、いじめ教材も外せません。
神奈川県の「いのちの授業」事例集では、命に関わる授業といじめに関する授業を各学期はじめに道徳で取り扱った実践が紹介されています。
ただし、いじめ教材の多くは「相手の気持ちを考えよう」「仲直りしよう」「傍観者にならない」という方向に収まりやすく、
暴行、脅迫、強要、名誉毀損、性暴力、心理的虐待などの犯罪性・権利侵害性が弱められる
ことがあります。
ここは先生の問題意識と直結します。
「いじめ」ではなく、暴力・支配・恐怖・沈黙・SOS として扱えているかが問われます。
8. 「二通の手紙」
これは厳密には犯罪ではなく、規則違反・職務責任の教材ですが、遵法精神・公徳心の分析対象になります。
動物園の入園時刻や規則をめぐる教材として扱われることが多く、「規則を守ること」「思いやりと公正さ」の葛藤教材として使われます。
暴力教材ではありませんが、
ルール違反によって誰にどのような危険や不利益が生じるか
を扱う教材として、犯罪・違法行為教材との比較対象になります。
9. 「ロレンゾの友達」
これも犯罪そのものというより、「友人が犯罪を犯したかもしれない」という状況で、友情と正義、通報、かばうことの是非を問う教材として重要です。
分析上は、
友情や信頼が、犯罪の隠蔽や通報回避に結びついていないか
を検討できます。
10. 「泣いた赤おに」
犯罪教材ではありませんが、加害・犠牲・排除・偏見の教材として比較対象になります。
青おにが自ら悪役を引き受ける構造は、「誰かが傷つくことで共同体が丸く収まる」物語として読むこともできます。
暴力そのものより、犠牲の美化 の分析に向きます。
11. 「手品師」
直接的な犯罪ではありませんが、約束、誠実、貧しい子どもとの関係が扱われます。
暴力・犯罪教材ではないものの、弱い立場の子どもが登場する教材として、
子どもの権利、貧困、孤立がどこまで扱われているか
を見る比較対象になります。
12. 「橋の上のおおかみ」
小学校低学年教材として有名です。
暴力というより、威圧、いじわる、通せんぼ、力関係の教材です。
低学年段階で、
身体的暴力以前の支配・威嚇・意地悪をどう扱っているか
を見るには重要です。
教材分析のための分類案
先生の研究目的なら、教材を次のように分類すると見えやすいと思います。
類型
殺人・重大暴力
窃盗・財産犯
不正・濡れ衣
家庭内の威圧・物の破壊
いじめ・心理的暴力
規則違反・遵法
犯罪隠蔽・友情葛藤
支配・威圧の初期形態
重要な仮説
先生の問題意識を研究仮説にすると、こう言えると思います。
日本の道徳教材では、暴力や犯罪行為は少なからず登場する。しかし多くの場合、教材の中心は「加害者の後悔」「赦し」「償い」「心の弱さ」「感動的な改心」に置かれ、被害者の心身の打撃、恐怖、権利侵害、通告・介入、再発防止の視点は十分に扱われてこなかったのではないか。
特に、虐待や家庭内暴力の予防という観点では、
「叩く」
「脅す」
「大切な物を壊す」
「濡れ衣を着せる」
「黙らせる」
「怖くて言えない状態にする」
を、道徳的問題ではなく、心身への暴力・権利侵害として明確に扱う教材分析 が必要だと思います。
Q5.西欧などの海外では、暴力防止教材はどのような現状ですか?
海外は「道徳教材」単体というより、SEL、子どもの権利教育、いじめ防止、性暴力・虐待予防、修復的実践を組み合わせる国が多いです。西欧・英語圏を中心に、公的カリキュラムと代表的プログラムを確認して比較します。
思考時間: 20s
はい。西欧・英語圏では、暴力防止は日本の「道徳教材」のように一つの読み物教材で扱うというより、カリキュラム、学校全体の安全方針、SEL、子どもの権利教育、いじめ防止、性暴力・虐待予防、通報・相談システムを組み合わせて扱う傾向が強いです。
大きく言うと、現在の海外の暴力防止教材は、次の5層になっています。
1. 「暴力は人権侵害である」と明確に教える
ヨーロッパ評議会は、いじめ、サイバーいじめ、学校暴力を、子どもが暴力から自由に生きる権利を侵害する人権侵害として位置づけています。そして、学校には暴力のない安全な学習環境をつくる役割があり、教員・保護者・児童生徒を含む学校全体アプローチが必要だとしています。
ここが日本の道徳教材との大きな違いです。
日本では「相手の気持ちを考える」「思いやり」「反省」に寄りやすいのに対し、西欧では、少なくとも政策文書上は、暴力を権利侵害・安全保障・保護の問題として扱います。
つまり、授業の問いが、
「なぜ暴力はいけないのか」
だけでなく、
「誰のどの権利が侵害されているのか」
「子どもはどこに助けを求められるのか」
「学校はどう介入すべきか」
に広がります。
2. Relationships Education/RSHE:健康な関係・同意・虐待・安全を教える
イングランドでは、Relationships Education、Relationships and Sex Education、Health Education、いわゆるRSHEが学校で扱われています。2026年9月導入予定の法定ガイダンスでも、全学校に適用されるものとして、関係性、性、健康、安全に関する内容が整理されています。
小学校段階のRelationships Educationでは、家族、友情、尊重、オンライン安全、助けを求めることなどを扱います。中等教育では、同意、強制、虐待的関係、性的暴力、オンライン上の危険などに踏み込みます。英国政府は2025年末のVAWG、つまり女性・少女への暴力対策でも、学校教育で健康な関係、同意、関係性の虐待を扱う方針を示しています。
これは、日本の「生命の安全教育」に近い部分もありますが、より明確に、
healthy relationships/unhealthy relationships/abuse/consent/coercion/where to get help
という語彙で組み立てられている点が特徴です。
先生の問題意識で言えば、「本当の親でなくても、家庭内で叩く・脅す・支配することは暴力であり、助けを求めてよい」という内容は、RSHE型の枠組みでは比較的入れやすいです。
3. SEL:怒り・衝動・共感・問題解決を練習する
米国・カナダ・英国などでは、SELが暴力防止の基盤として位置づけられています。CASELは、エビデンスに基づくSELを就学前から高校までの教育に統合することを進めており、SELは支援的な関係、社会的・情動的スキル、所属感を高め、いじめや孤立を減らし、将来の暴力を抑える助けになるとしています。
代表的な教材に Second Step があります。これはもともと「暴力防止カリキュラム」として知られ、共感、衝動制御、問題解決、怒りの管理を教えるプログラムです。米国のいじめ防止研究レビューでも、Second Stepは4〜14歳を対象に、衝動的・攻撃的行動を減らし、社会的情動能力を高めることを目的とする教室ベースのカリキュラムとして紹介されています。
ただし重要なのは、海外でも「SELをやれば暴力防止が自動的に成功する」と単純には見ていないことです。プログラムによって効果の強さは異なり、実施の忠実度、学校文化、教員研修、保護者連携が大きく影響します。
4. いじめ防止は「傍観者」「集団構造」「学校文化」まで扱う
フィンランド発の KiVa は、西欧の代表的ないじめ防止プログラムです。KiVaは、いじめを加害者と被害者だけの問題ではなく、傍観者や周囲の子どもたちの反応を含む集団現象として捉えます。プログラムの公式資料やUNESCO掲載資料では、KiVaはフィンランドで全国的に展開され、複数のランダム化比較試験で効果が検証されてきた、広く研究されたプログラムとされています。
ここも日本の道徳教材分析にとって重要です。
日本の教材では、「いじめた子が反省する」「見ていた子が勇気を出す」という道徳的展開になりがちですが、KiVa型では、
「周囲が笑う・黙る・見て見ぬふりをすることで、加害行為が強化される」
「被害者を守る集団規範を作る」
「個人の心情だけでなく、教室の社会構造を変える」
という発想があります。
5. 虐待・性暴力・家庭内暴力は「安全教育」として扱う
近年の海外教材では、いじめだけでなく、虐待、性暴力、家庭内暴力、オンライン搾取なども学校で扱う方向が強まっています。
たとえばSecond StepのChild Protection Unitでは、幼児期から小学校段階を対象に、身体の安全、境界線、危険な状況、信頼できる大人への相談、開示への教員対応などを扱います。関連研究では、実施の忠実度が高いほど、子どもの性的虐待予防に関する知識が高まること、教員の知識や通告に関する態度にも影響することが報告されています。
また、WHOなどが推進する子どもへの暴力防止の国際枠組みでは、学校でのライフスキル教育、子育て支援、安全な環境づくり、規範の変容、対応サービスを組み合わせることが重視されます。単なる「よい心を育てる」ではなく、暴力を受けたときに認識し、逃げ、相談し、保護につながることが重視されます。
フランス:いじめ防止と共感教育の制度化
フランスでは、いじめ防止の pHARe プログラムが進められています。紹介資料によれば、2022年から小中学校、2023年から中等学校でも実施対象となり、学校ごとにハラスメント担当者を置き、児童生徒アンバサダー、教職員研修、報告・対応体制を含む包括的な枠組みとされています。
さらに、2025年からの「感情・関係・性に関する教育」では、小学校から高等学校まで、対話、インターネットの危険、同意、拒否の尊重、権利、性暴力・ハラスメントなどを扱うことが示されています。
つまりフランスでも、単なる「親切にしましょう」ではなく、
共感、同意、拒否、権利、ハラスメント、性暴力、相談
を教育内容として明示する方向にあります。
スコットランド:健康・ウェルビーイングとジェンダー暴力防止
スコットランドでは、Health and Wellbeing が単独教科というより、学校教育全体に関わる領域として位置づけられています。政府は、子どもが健康で幸せに生きるためのスキルを身につけることを目的に、健康・ウェルビーイングを複数領域で構成しています。
また、スコットランドの暴力防止枠組みでは、ジェンダー不平等や有害な男性性、同意、健康な関係、ジェンダー・ステレオタイプを教えることが、ジェンダーに基づく暴力防止に重要だとされています。中等学校での Equally Safe at School のような学校全体アプローチも位置づけられています。
これは、家庭内暴力や交際関係の暴力を、「個人の怒り」ではなく、支配、ジェンダー規範、権力関係として見る点で重要です。
海外の現状を一言でいうと
西欧・英語圏の暴力防止教材は、次の方向に進んでいます。
領域
身体的暴力
いじめ
家庭内暴力・虐待
性暴力・同意
怒り・衝動
学校対応
日本への示唆
先生が考えておられる教材分析に引きつけると、海外との違いはかなり明確です。
日本の道徳教材では、暴力や犯罪が出てきても、しばしば焦点は、
加害者の反省、赦し、心の弱さ、感動的な変容
に置かれます。
一方、海外の暴力防止教材では、より明確に、
被害者の安全、権利侵害、同意、拒否、相談、通報、学校全体の対応
が入ります。
したがって、日本の道徳教材分析では、次の問いを立てるとよいと思います。
その教材は、暴力を「心の問題」として扱っているのか、それとも「権利侵害・安全・保護」の問題として扱っているのか。
被害者の心身の打撃、恐怖、沈黙、助けを求めにくさは描かれているか。
加害者の反省や赦しに終わらず、謝罪、償い、再発防止、第三者介入、相談先まで扱っているか。
家庭内暴力や親による威圧を、“しつけ”や“親の愛情”として曖昧にしていないか。
この比較軸を入れると、「青の洞門」「卒業文集最後の二行」「釣りざおの思い出」「銀のしょく台」などの教材が、暴力防止教育としてどこまで有効で、どこに限界があるかをかなり明確に論じられると思います。
道徳WG第4回20260227-mxt_kyoiku01-000047714_3.pdf
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道徳WG第3回20260227-mxt_kyoiku01-000047714_3.pdf
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Q6.道徳WG第3回で、道徳授業は現実のいじめに対応できてない、と発信してますよね。その対策として、いじめ・暴力への心身の打撃と回復の教材、いじめ・暴力をしそうになった人やした人の謝罪と更生の教材について、文科省の方針はどのようになっていますか?
思考時間: 19s
はい。資料を読む限り、文科省の現在の方針は、先生の問題意識にかなり近づいています。
ただし、「いじめ・暴力による心身の打撃と回復」や「加害者の謝罪と更生」を、独立した教材領域として明示するところまでは、まだ踏み込んでいません。
現時点の文科省方針の要点
第4回資料では、道徳科の学びを「いじめをはじめとする現実の課題への対応」につなげることは、道徳の教科化の契機の一つだったと明記されています。その上で、いじめ認知件数、重大事態、暴力行為発生件数が過去最多となる中、問題解決的な学習や道徳的行為に関する体験的な学習を活かして、道徳科の学びを道徳的実践につなげることが期待される、としています。
つまり、文科省は少なくとも、
「道徳授業が、現実のいじめ・暴力に十分つながっていない」
という課題を認識し、次期改訂では「考え、議論する道徳」をさらに実装する方向を示しています。
第3回資料でも、従来の道徳授業について、読み物教材の心情理解や登場人物整理に時間がかかり、教材解釈中心になって、多面的・多角的に自己の生き方を考えるところまで到達しにくいこと、問題解決的・体験的な学習を取り入れて自分自身との関わりで深める時間を確保しにくいことが課題として整理されています。
1. 「心身の打撃と回復」の教材について
ここは、文科省資料では直接にはまだ弱いです。
第3回資料には、「ピンクシャツデー」と「いじり」を組み合わせた複数時間教材の例が出ています。1時間目は、ピンク色のシャツを着た下級生がしつこくからかわれ、それに対してカナダの生徒2人が行動を起こした話です。2時間目の「深める教材」では、「いじり」とは何かを考え、現実の相談サイトに寄せられた「日々いじられている人の体験談」、つまり、ささいな失敗をきっかけに何度もいじられ、今さらやめてほしいと言えず、毎日おびえながら過ごしている事例を扱うとされています。
これは非常に重要です。
「毎日おびえながら過ごしている」という記述は、いじめ・いじりによる心理的打撃を扱う方向に入っています。
ただし、資料上はまだ、
「暴力やいじめが心身に与える打撃」
「恐怖、回避、自己否定、身体症状、トラウマ反応」
「被害後の回復、安全確保、相談、支援、関係修復」
を教材領域として明示しているわけではありません。
したがって、先生の提案としては、文科省方針を一歩進めて、
いじめ・暴力を、単に『相手の気持ちを考える』教材ではなく、『被害者の心身への打撃と回復』を学ぶ教材として位置づける必要がある
と主張できると思います。
2. 「いじめ・暴力をしそうになった人/した人の謝罪と更生」の教材について
ここも、文科省資料では明示はまだ不十分です。
第4回資料では、問題解決的な学習の「問題」を、主に二つに整理しようとしています。
一つは「自己内葛藤」で、たとえば「本当のことを言うべきだが、ごまかしてしまう」。もう一つは「価値の対立」で、たとえば「友情、信頼」と「公正、公平、社会正義」、「自由と責任」と「遵法精神、公徳心」などの葛藤です。
この枠組みは、加害者側の教材に使えます。
たとえば、
「友達を笑わせるために、誰かをいじりそうになる」
「腹が立って叩きそうになる」
「仲間外れに加担してしまった」
「自分のしたことを認めるべきだが、謝れない」
「友達をかばいたいが、被害者のためには本当のことを言う必要がある」
「謝罪したいが、どう償えばよいかわからない」
こうした教材は、まさに「自己内葛藤」や「価値の対立」として扱えます。
しかし、文科省資料の段階では、
加害行為後の謝罪、責任の取り方、被害回復、再発防止、更生、修復的対話
を道徳教材として明示的に位置づけてはいません。
ここは先生の問題提起が非常に重要です。
日本の道徳教材は、加害者の「反省」や「心の弱さ」は扱ってきましたが、謝罪の具体、被害者の安全、償い、再発防止、関係修復の条件までは弱かったと思います。
3. 文科省が示している「手段」
文科省が現在示している対策は、大きく三つです。
第一に、一教材を複数時間で扱うことです。第3回資料では、1コマで読み物理解と議論の両方を十分に行うことは難しいため、1教材を複数コマで扱い、「じっくりと深く学ぶ」道徳科を推進する方向が示されています。
第二に、深める教材の活用です。第3回資料では、2コマ目に読み物教材ではない「深める教材」を用いることも想定されています。 これは、先生が構想されている「暴力による心身の打撃」「被害からの回復」「謝罪と更生」の補助教材を入れる余地になります。
第三に、感情の認識・調整を道徳科に接続することです。第4回資料では、感情をうまく表現できない子どもは、困りごとを周囲に伝えられず、いじめや暴力行為等につながるリスクが高まる可能性があるとし、感情の認識や調整に関わる学びを、道徳的行為に関する体験的な学習の一例として解説に示す方向が書かれています。
これは、加害予防にも被害予防にも使えます。
「怒りを感じたとき、どう止まるか」
「怖いとき、どう助けを求めるか」
「相手の反応を見て、行為をやめる判断ができるか」
という教材化が可能です。
4. 先生の提案として整理すると
文科省方針は、現在のところ、
現実のいじめ・暴力に対応するため、問題解決的学習、体験的学習、複数時間、深める教材、感情の認識・調整を活用する
という段階です。
しかし、先生が求めておられる、
いじめ・暴力による心身の打撃と回復の教材
いじめ・暴力をしそうになった人、してしまった人の謝罪と更生の教材
は、まだ明確な政策用語や教材カテゴリーとしては出ていない。
だからこそ、次期改訂への提案として、次のように言えると思います。
道徳科を現実のいじめ・暴力への対応に接続するためには、従来の「心情理解」「反省」「思いやり」にとどまらず、被害者の心身への打撃と回復、加害者の謝罪・償い・更生、傍観者の介入、相談・通告・支援につながる教材を、「深める教材」や複数時間の道徳として明示的に位置づける必要がある。
特に「いじり」の教材例は、文科省方針の中にすでに入口があります。
ここに、トラウマ反応、恐怖、相談、回復、安全な関係、謝罪と再発防止を入れれば、先生の「心の教育プログラム」とかなり接続できます。
Q7.第一に、一教材を複数時間で扱うことです。第3回資料では、1コマで読み物理解と議論の両方を十分に行うことは難しいため、1教材を複数コマで扱い、「じっくりと深く学ぶ」道徳科を推進する方向が示されています。☚これが第一に挙げられているのは、「荒木寿友(2018)これからの道徳教材の方向性―資質・能力を育成するための道徳教材開発. 道徳と教育(日本道徳教育学会) 336,119-130」の読み物教材が、児童生徒に自分事としてではなく「正解」を考えさせる思考停止をもたらすと警告しているのに反しますよね。私は、場面教材で、自分事として考える枠組みをまず提供し、かつ、出来事ー思考ー感情ー行為(声かけ、行動)の認知のトライアングルを様々な教材に織り込み、その後、読み物教材で再考する(もっともこれが必要かどうかも検証必要)手順が不可欠と思いますがどうですか?
思考時間: 12s
はい、私も先生の見立てにかなり賛成です。
文科省資料の「一教材を複数時間で扱う」という方向は、運用次第では有効ですが、読み物教材中心の発想を温存したまま複数時間化すると、荒木寿友(2018)が警告したような、児童生徒が“自分ならどうするか”ではなく、“この教材の正解は何か”を探す授業を長引かせる危険があります。
第3回資料自体も、1授業1読み物教材の道徳授業には、心情理解や登場人物整理に時間がかかる、教材解釈中心になり自己の生き方を考えるところまで到達しにくい、体験的・問題解決的な学習を入れる時間が足りない、という課題を挙げています。
にもかかわらず、その対策が「まず読み物教材を複数コマで」と読まれるなら、確かに矛盾があります。
問題は「複数時間」ではなく「読み物教材を先頭に置くこと」
文科省案の弱点は、複数時間化そのものではありません。
弱点は、授業設計の出発点が依然として、
読み物教材を読む → 登場人物を理解する → 考え議論する → 深める教材
という順序になりやすいことです。
第3回資料の実践イメージでも、1時間目に読み物教材を読み、2時間目に深める教材や問題解決的・体験的学習を行う構成が示されています。
しかし、いじめ・暴力防止のような現実的課題では、この順序では遅いと思います。
なぜなら、読み物教材から入ると、子どもはどうしても、
「この登場人物はどう思ったか」
「先生はどの価値に持っていきたいのか」
「教科書的には何が正解か」
を考えやすいからです。これは「自我関与」ではなく、教材解釈への適応です。
先生の案のほうが、現実の暴力防止には適していると思います
先生が言われる、
場面教材で、自分事として考える枠組みをまず提供する
出来事―思考―感情―行為の認知のトライアングルを様々な教材に織り込む
その後、読み物教材で再考する。ただし読み物教材が必要かどうかも検証する
という手順は、いじめ・暴力防止教材としては非常に筋が通っています。
私は、次のような順序がよいと思います。
1時間目:場面教材で「自分ならどうなるか」を考える
たとえば、
「友だちにからかわれて、笑ってごまかした」
「腹が立って、相手を押しそうになった」
「家で怒鳴られたり叩かれたりしたが、誰にも言えない」
「いじりのつもりだったが、相手が黙り込んだ」
「謝りたいが、どう言えばよいかわからない」
こうした短い場面から始める。
ここで重要なのは、最初から「正しい行動」を聞かないことです。
まず、
出来事:何が起きたか
思考:そのとき、どんな考えが浮かんだか
感情:どんな気持ち・体の反応が起きたか
行為:その結果、どんな言葉や行動になりそうか
を整理する。
これなら、被害側、加害側、傍観者側のどの立場でも、自分事として考えられます。
認知のトライアングルは、道徳科に入れる価値が高い
第4回資料では、感情をうまく表現できない子どもは困りごとを周囲に伝えられず、いじめや暴力行為等につながるリスクが高まる可能性があるとし、感情の認識や調整に関わる学びを道徳的行為に関する体験的学習の一例として示す方向が書かれています。
これは、先生の「出来事―思考―感情―行為」の枠組みと非常に接続しやすいです。
ただし文科省案はまだ「感情の認識や調整」にとどまっています。
先生の案はそれを一歩進めて、感情だけでなく、思考と行為までつなげるところが重要です。
たとえば暴力をしそうになった子には、
出来事:相手に「うざい」と言われた
思考:「ばかにされた」「やり返さないと負ける」
感情:怒り、恥、悔しさ
行為:押す、叩く、怒鳴る
という流れが起きます。
ここで授業が扱うべきなのは、単に「叩いてはいけない」ではなく、
「そのとき、どんな考えが暴力につながったのか」
「別の考え方はあり得たか」
「怒りを感じたまま、暴力以外の行動を選べるか」
「相手を傷つけた後、何をすれば回復につながるか」
です。
これは、道徳の「善悪の判断」「正直、誠実」「相互理解、寛容」「公正、公平、社会正義」「生命の尊さ」を、実際の行動選択に接続する方法になります。
読み物教材は「先に読む」のではなく「あとで読み直す」ほうがよい
読み物教材にも価値はあります。
ただし、いじめ・暴力防止では、読み物教材は最初に置くより、場面教材で自分の認知・感情・行為を整理した後に読むほうがよいと思います。
順序としては、
場面教材で自分事化する
↓
認知のトライアングルで、被害・加害・傍観の心理を整理する
↓
声かけ・行動・相談・謝罪をロールプレイする
↓
読み物教材を読み、「この登場人物にはどんな出来事・思考・感情・行為があったか」と再分析する
このほうが、読み物教材が「正解探し」ではなく、現実の問題を考え直す素材になります。
第4回資料も、道徳科の学びをいじめをはじめとする現実の課題への対応につなげることが教科化の契機の一つだったとし、問題解決的学習や体験的学習を活かして道徳的実践につなげる方向を示しています。
であれば、読み物教材中心ではなく、現実場面中心の設計に転換するほうが整合的です。
先生の提案は、こう政策提言化できると思います
文科省案への対案としては、次のように言えると思います。
一教材を複数時間で扱うことは有効であり得るが、読み物教材を起点にした複数時間化だけでは、児童生徒が教材の予定された正解を探す授業を延長する危険がある。いじめ・暴力防止に関わる道徳科では、まず現実に近い場面教材を用いて、出来事・思考・感情・行為を整理し、被害者・加害者・傍観者の立場から自分事として考える枠組みを提供する必要がある。その上で、声かけ、相談、制止、謝罪、償い、再発防止を体験的に学び、必要に応じて読み物教材を再考素材として活用することが望ましい。
この提案は、文科省資料に反するというより、文科省が掲げる「自分自身の問題として捉え、向き合う」方向を、読み物中心から場面・認知・行為中心へ具体化するものだと思います。
授業モデルとしては、こうなります
第1時:場面教材
「いじり」「怒り」「暴力を受けた」「友だちが傷ついている」などの短い場面を提示する。
第2時:認知のトライアングル
出来事、思考、感情、体の反応、行為を整理する。被害者、加害者、傍観者で分ける。
第3時:行為の練習
声かけ、断り方、助けの求め方、制止の仕方、謝罪の仕方をロールプレイする。
第4時:読み物教材による再考
「卒業文集最後の二行」「釣りざおの思い出」「青の洞門」「銀のしょく台」などを、登場人物の心情理解ではなく、出来事―思考―感情―行為、被害、謝罪、回復、償いの観点から再分析する。
この形なら、読み物教材は不要になる場合もあります。
むしろ、最初から読み物教材を中心にするのではなく、読み物教材が本当に自分事化に役立つのかを検証するという先生の視点が必要です。
特に、暴力・虐待・いじめに関しては、教材の感動性よりも、
被害者が何を感じ、どう傷つき、どう回復するか
加害者がどう止まり、どう謝り、どう償い、どう再発防止するか
周囲がどう気づき、どう介入し、どう相談につなげるか
を中心に置くべきだと思います。
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